亡命者と暗殺者(中編)
その日は、いつもと変わらなかった。
でも、何故かその日、いつも来てくれる侍女は悲しげな表情をしていた。
それは死を覚悟しているように見える、そんな表情だった。
「どうしたの?」
「いえ、何でもありません」
「そう……、こんな所、嫌になるわよね」
「案外、もうすぐ出られるかもしれませんよ」
「気休めでも、ありがとう……下がっていいわ」
「では、失礼します……」
星占学という学問があった。
留学中、少女は少しだけ齧った程度だが、その中に『人相』や『手相』といった、人の様子からも、未来を占う術が存在した事を思い出す。
彼女の中にあったのは、そんな中で最も縁起の悪い『死相』というもの。
明日、死んでしまう兵士などに多く現れるという。
もちろん、占いである以上は、100%という訳じゃない。
そして、専門でもないので、どれくらい信用できるかも分からない。
窓から見える景色というのは、狭い中でも希望を持たせてくれる。
絶対に出られないと分かっていても、希望を見てしまう。
籠の中の鳥が飛べないと分かっていても、逃げ出そうとバタつく事があるように。
外に出たって、野性に帰れる訳が無く、どうせ死んでしまうとしても。
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「積荷を受け取りに来た」
「ええ、お待ちしておりました……」
私は、一人建物の中に侵入を果たしていた。
建物内の人物は、必要があれば全て殺害しても良いとミシェルから暗に言われているが、派手に動けばそれだけ、足が着くのが早くなるのも事実。
協力者が鍵の束を取り出し、その中の一本を使って、亡命者の部屋の鍵を開けてくれた。
「こちらです」
扉が開かれる。
ベッドと机、分厚い本が納められた本棚。
この部屋の主はそのベッドに横になり、視線だけをこちらに向けて来た。
「どなたですか……?」
明らかに堅気の雰囲気ではない自分と、侍女がこの部屋へと通したという事実。
声こそ荒げなかったが、良くない雰囲気を感じ取った。
寝床から起き上がり、こちらに相対してくる。
「亡命の受け入れ準備が出来ている、そう言えば分かりますか?」
その時、目の前の少女は、驚くように目を見開いた。
押せば折れてしまいそうなほど、華奢な体系のお姫様。
権力者に対する言葉遣いなど分からないから、とりあえず率直な物言いをする。
「では、参りましょう」
「ま、待って!今ですか?」
「待てません。まずはこれに着替えてください」
そういって、地味だが軽め、そして皮で出来た防具を渡す。
無いよりはまし程度の、運がよければ一撃耐える程度の防具を渡す。
「では、行きましょうか」
「あ、あの!彼女は……」
侍女の方へ向き直る。
彼女は連れていけない。
ここは敵地であり、そんな中でいくら腕が立とうとも、一人ならともかく二人は連れて行けない。
「残念だけど、彼女は連れて行けない。彼女は明日、起床の時間にこのドアを開け、初めて貴女の不在に気付く。そういう筋書きなのだから」
「はい、その通りでございます。お気遣い、ありがとうございます」
「これを、噛んでください。途中、声を出さないために」
「はい?」
ポケットから、新品のハンカチを取り出し、それを咥えられるような大きさに丸める。
これから起こる事に対して、声を出さない為、そして舌を噛まないようにする為に。
一瞬躊躇するような素振りを見せるが、状況が状況で、大人しく従ってくれるようだった。
「では、失礼して……」
そういって、少女を抱きかかえ、地上20メートルはありそうな位置にある、部屋の窓を開け放つ。
そして、気流と光を操作して透明化し、風に乗って一気に駆け落ちる。
少女は軽かった。
魔法で身体機能を強化しているのもあるが、苦になる重さではなかった。
訓練では、もっと重いものを抱えての走行訓練もあるし、それに比べれば容易かった。
抱えられた少女は、「ん”ー」と声にならない叫び声を上げながら、それでも必死に耐えていた。
だが精神は耐えられなかったようで、途中でぐったり動かなくなり、気を失った。
噛み締めたハンカチだけは、落とさずに居るみたいだが、それだけ強く歯を食いしばったのかもしれない。
夕暮れ時、空を滑空しても捕捉はされ難いが、おまけに透明化している、
それに、この世界は『魔法を感知する』類の技術は、あまり存在しない。
その為、私は牢獄への潜入を簡単に済ませ、そして今もこうして誰にも見つからずに、優位を取れている。
ふと、飛行中に気付いたことがあった。
このまま集合場所へ降りたとして、私以上に早く、国境付近まで行ける人物は居るのだろうか?と。
妨害を仄めかすような助言を受けた事を思い出す。
私は決められた集合場所ではなく、一直線に国境沿いの宿場町まで行く方が、安全性の面としても、確実ではないかと考えた。
計画立案者が、さすがに私の魔法まで把握していたとは考えづらい。
目指すは、来た時に立ち寄った場所で、近くに森が多く、首都から数日は掛かるような町。
検問が敷かれる前、情報の伝達より速く、離脱した方がより安全性も高い。
もしかしたら、国の思惑としても、殺害されて欲しいと願っている可能性すらもある。
だが、私の部隊は『任務に忠実であれ』という事を叩き込まれている。
このまま行けば、護衛どころではない可能性すらあり、亡命者を生きて連れて行く事はできない。
私の指示は、安全にこの人物を送り届けることにある。
その為に、独断専行だが、帰りまでミシェルや情報部の誰かと同行すれば、少なくとも進行速度が飛躍的に下がるのは必須。
「そうと決まれば、早速行動するか……」
ポケットから、緊急時に発する閃光弾を手に持った。
色は黄色で、集合場所へは行けないという合図。
予定外の事があった際に、仲間との通信用のそれを、あらかじ決めている。
途中、集合場所の頭上付近を飛行中、火を着けてそれを投下する。
これで、ミシェルなどは本国へ直帰する選択を取るだろう。
万一気付かなかったとしても、集合場所へ来れなかったという事が、一種の答えにもなるのだ。
軍隊で独断は良くない。
しかしながら、私の部隊の性質上は、多少の独断が許される任務が多い。
状況的に最良を判断し、究極的には『目的を果たす』事を、第一目標と定めているからである。
補足だが、飛行する魔法は、あまり実用的ではない。
私だけが、飛行に必要な『イメージ』を上手く作れるからこそ、魔力の消費が少なく済むが、大抵は高所からの落下時、衝撃を和らげるか、一時的に『跳躍力を上げる』だけの魔法しか使われない。
透明化する魔法も同様で、こちらは提唱されることすら稀である。
物理的な課題をいくつもクリアしなければならず、現存しても長時間の運用には耐えない魔法ばかりしかない。
魔法の基本は学校や、教会に行く事で学ぶことが可能で、そこから先の応用は、個人技として誰かに教えられる事は少ない。
軍用の魔法は、使い易いよう正規化された魔法ではあるが、特殊部隊に選ばれたり、突出した英雄と呼ばれる人物は、自分の得意技や、必殺技のようなものを持っている傾向にある。
私だって、基本より先は自力で研究して、技を得ている。
それが、この世界で魔法が、普遍的に広がらない理由でもある。
魔法は強大で、生活に必要な魔法は、個人でも学べるほど簡単に出来ているし、家庭レベルで継承される。
それでも、攻撃用となれば、訓練や教育なしだと、習得は厳しいものがある。
時は過ぎ、ある程度の距離を飛行する。
町へ行くまで、一瞬の出来事だった。
少なくとも、表通りから人の気配が消える前には、到着できた。
近くの森に、密かに舞い降りると、その町に入る準備をする。
気絶中の少女を起こし、私は少女に話かける。
「気分はどう?」
「……最悪です」
「ここから先は、黙って私に着いてきてね?」
「はい。身の程は弁えているつもりです」
そうして、一日目は過ぎようとしていた。
行きとは違い、完全にアドリブで宿を決めると、二人一緒の部屋に入る。
私は、適度に休みながらも気は抜かず、しかしその日は何事もなく過ごすことができたのだった。




