亡命者と暗殺者(前編)
一人の少女は恐怖した。
少女自身に力が無くとも、権威にすがろうとする人たちの、醜い笑顔とその表情に。
それでも、少女には経済に対する嗅覚と、才能があった。
何が発展するか、何が衰退するのか、知識を得れば得るほど、どこからその答えを導くかと言うほどの天性の才能が。
少女は時代が違えば、歴史に偉大な名前を残していたかもしれない。
それだけの才能があったにも関わらず、少女は周囲に怯えた。
その頼りない姿から、侮る者も多かったが、才能だけは誰もが認めるほどだった
女性の王位も在り得る国で、王女として生まれた宿命は、政敵となる兄弟姉妹からの迫害だった。
少女の提唱する理論は尽くが奪われたが、それでも構わないと最初は思っていた。
契機は、少女が13歳の夏。
少女は閉ざされた牢獄へと幽閉された。
政治犯専用で、待遇こそ最高級の扱いを受けたが、外部に出ることは許されなかった。
だから、彼女は必死に考えた。
そして、彼女は10歳の頃、中立国へ留学していた時に出会った少年の事を考えた。
彼は今、国政の中枢に居るという。
仮にも帝政国家の皇子であり、情では動かないだろう彼とは、特別に仲が良い訳じゃないけれど、悪くはなかった。
お互いに能力を認めてはいたので、売り込むなら彼しか居ないだろうと思った。
だから、侍女の一人、私の事を生まれてから知っている人物に手紙を頼んだ。
この件がばれたら、きっと侍女である女性も殺されるだろう。
もしくは、手紙を届ける前に裏切るかもしれない。
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昼前、私はある国の首都にある、その公園で和んでいた。
暑いくらいの快晴で、噴水の周りには人が集まって休んでいた。
一人でお弁当を広げている者も居れば、桃色の雰囲気でご飯を「あーん」としている男女もいる。
「平和だな……」
首都に着いてから一泊した。
ミシェルは「協力者」と接触する為、一人で行動していて、待ち時間を持て余していた。
私は、昼食にと買ったパンを、お弁当代わりに食べていた。
レタスと、トマトのような野菜に塩をあっさりまぶして、鶏肉と一緒にパンで挟んだ軽食。
それを食べながら、私はしみじみ思うのだった。
「もっと、もっとジューシーなのが食べたい……!」
仕事の前、匂いが強いものは食べれない。
別に常識ではないが、命が掛かった場面で、食べ物の匂いで存在がばれたら嫌だ。
隠密の常識ではなく、個人的に気を使ってるだけの理由である。
命という掛け金が乗った、ある意味決闘の場で、傷になりそうな理由は排除する。
「鳥肉の串焼き、豚肉のソース焼き、牛肉のステーキ……」
お金だけは有り余っているので、本来はこういう時に散財する為にお金はあると思う。
そう考えると、この食事は不味くはないのに、満たされない思いが頭の中を支配する。
「人生、損してるかな……」
人は、娯楽自体を知らなければ、欲する事はない。
しかし、一度でも美味しい味を知ったりすれば、逃れられない欲求となって襲ってくる。
この体では食べたことは無くとも、ステーキの味は知っている。
例えば、オニオンソースが好きで、熱い鉄板と混ざり合った時の、鼻腔をくすぐる感じ。
切った一切れを口に含んだ時の、お肉を食べているという実感と、舌上で柔らかく溶ける感覚。
前世の誕生日で、ちょっとお高めのお店に、両親が無理して連れて行ってくれた時の思い出。
それが蘇ると、口の中に唾液が溢れてくるのが分かった。
「何を損してるの?」
ベンチにもたれ掛かるように座っていたら、隣からミシェルが声を掛けてくる。
さり気なく、隣に座って距離をつめてくる。
ささっと、私は距離を取る。
「で、どうだったの?」
私は暗に仕事の情報をミシェルに尋ねる。
ミシェルはこれから昼なのか、お店で買ったと思しき、食べ物の包みを開ける。
それは、豚肉の串焼きらしく、タレが多めで香ばしい香りが隣に居ても届いてくる。
「んー……、この安っぽさと、口に広がる肉汁。脂身の部分は柔らかくて、ソースと上手い具合に絡みあってるのが癖になるわね。お酒が欲しくなる」
「……私の呟き、聞いてたの?」
ニヤリと、ミシェルは人の悪い笑顔を浮かべる。
仕事の話をするつもりが、適当に流された事は、さして気にならなかった。
「どう?食べる?」
「……いらない、仕事に支障が出るから……」
「へえ、そっちは大変なのね」
横目で美味しそうに、それでいて、上品さを感じるように食べている。
育ちの良さが露呈している気がするのは、さすがに貴族の家の出だからだろう。
「積荷はここにある」
ふざけたような表情で、小声になって囁いてくる。
そして、手渡されたのは、真っ白な紙だった。
これは、魔力を篭めると一度だけ読める手紙で、一定時間すると灰となって消える。
情報部で使われる暗号紙で、作り方は、最高機密である。
「積荷以外は、処分していい。今日の真夜中に出発するから、荷造りは今日中に頼むわね。集合場所はこっち」
二枚目の、白紙の紙が渡された。
「積荷はどう判断すればいいの?」
「それはこっちに似顔絵がある。金髪で背は135センチ。髪は長めで腰辺りまで伸ばしている」
そう言って、三枚目の紙が渡されるが、これは普通に似顔絵だった。
「以上、話はこれでおしまいね」
三枚目の紙と一緒に、四枚目の黒い紙が手渡される。
すうっと、私は目を細める。
それは、エミリーとミシェルしか知らない暗号の類である。
私が作った、火にあぶると文字が浮かぶ紙。
仕事終わりにミシェルと酒場へ行き、うっかり前世で知った知識を披露してしまった事に由来する。
その時は「え?本当に?あ、本当だ!」と、ミシェルが大喜びしていた。
手元で遊ぶようにして、温風を作る魔法で黒い紙を炙り、文字を浮かび上がらせる。
「最後のお肉、食べる?」
ミシェルは串焼きを傾けて来る。
嫌がらせかと思ったが、表情は案外優しげで、気遣うような目を向けてくる。
紙を読み上げれば、そこには、集合場所が変更された事が記載されていて、二枚目の紙は無視するように書かれていた。
「いらない。それで、何があるの?」
「積荷を燃やしたい人がいる。でも、国内では表立って灰に出来ない。密輸中を狙ってる」
「ありがとう。私は良い友人を持ったみたいね」
「そう言ってくれて、嬉しいわ。メリーさん?」
ミシェルは腰を浮かせると、軽くベンチと接触していた服の部分を、払う動作をする。
「じゃあ、私は先に発つわ。そのゴミ、こっちで捨てとこうか?」
「お願い。もう少しここに居る」
公園で寛いでいると、日光は暖かく、和むような気持ちにさせてくれる。
それなのに、世界はこんなにも血生臭い空気に満ちている。
不思議と、そっち方面も楽しめるようになった私には、唇を少し吊り上げるだけで笑顔を作るのだった。
「それでも、この世界は、楽しい。……異常だって事は、理解してるけどね」