噂の魔法使い
1章:噂の魔法使い
エミリーという一人の女性が居た。
その女性は、軍隊に所属し、軍規を犯した者を殺害したり、国家反逆者の殺害の任務を行っている。
姿を見た者は少なく、その任務の特性上、滅多に表舞台に姿を現すことはない。
エミリーの所属する部隊は、国内の氾濫分子の排除と懲罰、諸外国への特殊工作、軍隊での汚れ仕事を背負っている。
もちろん、ひとつの部隊が全てを行うのではないが、所謂、汚れ仕事をこなす『暗部』のひとつである事は確かである。
エミリーはその部隊の一員で、部隊長の指示があるまでは、仮の名札を着けて生活している。
軍隊の中でも、窓際に近い扱いで、居なくても変わらないような部署の、その一員として。
同時に、彼女は部隊の中でも随一の暗殺手腕を持つ凄腕の魔法使いとして、軍内でも噂として恐れられていた。
サイレントキラー、音も無く忍び寄り、そして気付くと死んでいる。
そんな、空想の幽霊のような、酷く現実味のある化け物として語られる。
「ねえ、この噂は聞いた?先月、ハイエル将軍の側近の一人が、橋から落ちて死んだって話。あれ、ただの事故じゃなくて、実は暗殺されたらしいって」
「そうなの?」
「出所は掴めなかったけど、経理部の子と飲んでた時、あの人には汚職の噂があるって聞いたの。だけど、数字上におかしな所は見受けられなくて、単なる噂って話だけど」
「へえ、それで?」
「だけどさ、死ぬ間際に、羽振りがよくなったって、その部下の女の子が言ってた。本人も急な収入があったって、語ってたそうだけど……」
私は、おしゃべりが好きな友人の隣で、静かに話を聞いていた。
書類を読みながら、付箋で分類の番号を割り振り、それを2番の箱の中に収める。
「エミリー、聞いてる?」
「はい、聞いていますよ」
私が居るのは、軍隊でも窓際である『軍務 第三資料部』という部署。
日常業務の中で出る、機密度の低い膨大な『書類』を管理する、雑用部署である。
軍といえど、訓練……体力作りや武器ばかりを扱っている訳ではないし、後方支援部隊、そしてそれらを補佐する部署があり、文官よりの仕事をしている。
そして、噂好きな友人は平民である私とは違い、貴族の三女という生まれながら、軍隊に仕官している物好きな女の子である。
彼女の実家は、政略結婚を進んで行う程、地位の高い爵位を持ってはいない。
長女、次女は既に結婚に出ているが、それも政略結婚というよりは、公務員として宮廷に登用され、そこで知り合った貴族の男性と結婚して身を固めているらしい。
「もう、仕事ばかりで私の話を聞いてよ?」
「ミシェルさん、もう今日のノルマを達成したんですか?私は未だなので、早めに終わらせたいんです」
彼女の名前は『ミシェル』という。
髪は栗色で、肩より下まで伸ばしている。
ミシェルは、私によく絡んで来ていて、その度に仕入れてくる『噂』とやらを聞かされる。
彼女は顔が広く、軍内では割合としては少ない『女性の隊員』と仲良くなっては、そこそこ確かな情報を仕入れてきて、それを知り合いに話して回る。
「……エミリーは、いつも午前中には仕事を終わらせちゃってるけど、私は定時までにゆっくりやるから良いの……」
ハイエル将軍の側近というのは、私が暗殺した者の一人で、衆人観衆の中、さも事故を装って消した人物。
内心では、仕事の内容がどこかで漏れた可能性を考えたが、私が考える事ではないと頭から消す。
その人物が『暗殺』された事を知る人物は、私の上司の他には、上司より上の命令系統のどこかにしか存在しない。
もし、それが意図的に噂を流したなら、私が気にする事ではなく、上司が問題だと考えるなら、既に調査が行われているだろう。
そもそも、国軍の指揮とは言いつつ、私の所属する部隊は独立した指揮系統を持ち、軍の総帥ではなく、国政監査の官僚、つまり文官からの指示で動くことが許されている。
これも、文民統制の一環であり、軍部に多大な権限を許す代わりに、分を越えた政治領分を侵した場合には処罰する為の、懲罰部隊としての役割もある。
「それに、さっきの噂の出所はどこなの?そんな話、聞いた事ないけど」
「だから、経理部の女の子が、事故のタイミングが良すぎるって、噂してるだけよ」
本当か?と疑いつつも、ミシェルの情報収集力は、それだけで一種の才能だと考えていた。
じゃなきゃ、仕事の邪魔ばかりしてくるこの同僚とは、友達として付き合って居ないと思う。
偏った情報だけではあるが、軍の情報調査部に所属する諜報官じゃないかと疑う程の、噂を持ってくることもある。
「さて、私は仕事が終わったから、休憩所行ってくる。明日からしばらく、輸送部の手続きの手伝いに行って来るから、会うのはまた来週になりそうだけど」
「そうなの?珍しいわね。エミリーは体力なさそうだし、体には気をつけてね」
第三資料部に関わらず、軍隊の中でも文官よりの部署では、度々、他部署の書類手続きの代行が依頼される事がある。
下級兵士だけの部隊では、揉め事に対する耐性が少なく、すぐ問題を起こす事もあるからである。
当然、私の場合は今口にしたような、額面どおりの任務など行わない。
ミシェルあたりは、もしかしたら、噂の『暗殺者』が私と疑っているのかもしれない。
買いかぶりかもしれないが、私の前で「魔法使いの暗殺者」「懲罰部隊の凄腕暗殺者」など、私にその話をしてくることが度々あった。
もちろん、酒場に立ち寄った時、同じような話を私以外の女の子や、同席していた男の子にしていることはあったから、ただ興味があるだけかもしれない。
別に、考えるのは自由だ。
私は「そうですか?」と聞かれて「はいそうです」なんて言わないし、疑惑だけや誰かに情報を漏らさない限りにおいて、特にアクションを起こすこともない。
「第三資料部長、私はこれにて失礼します」
「はい、お疲れさんでした」
部長室に立ち寄り、本日の終業の挨拶を済ませる。
この部署は、軍隊内では特に規約がゆるく、全軍の軍務時間内でも、仕事さえ終わっていれば早退しようと懲罰を受けない。
表向き、資料整理以外にも外に出ることが多く、早退しようがどうしようが、他部署・部隊にばれることはない。
『他部署の人に、もう仕事終わりましたなんていわないこと。
後は、やる気を出して、自分から率先して仕事を増やさないこと。
人生損するし、職務を増やされても私が困る。
仕事を終わらせたら早退していいけど、このことは口外しては駄目だからね』
第三資料部長、長身でメガネを掛け、いかにもエリートといった風体の男性である。
しかし、『表向き』は出世コースから外れ、窓際である部署に配属されたとされている。
出世欲も無くやる気の無い姿から、同期の部隊長などからは、陰口を叩かれているのを私も目にしたことがある。
しかし、私のような『例外』が居て、私のような『特例行動』が許される時点で、彼が言葉通りの無能者ではないと考えている。
一方で、これ以上は詮索してはいけないのは、自明の理でもある。
パンドラの箱を開けるには、リスクが大きく、この場合は得られるものも無いのでは、自分にメリットは無い。
そして、普段の行動をなぞりつつ、女子寮へと歩みを進める。