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過去2

「では、計画が成功したあかつきには、公爵位をいただけると?」


 書斎からくぐもった父ジョンの声が聞こえ、シェイラは思わず足を止めた。誰もが寝静まった深夜、父親と聞き覚えのない男の声がして、自然と眉間に皺ができる。こんな深夜にいったい誰だろう。

 寝付けず水を飲もうとダイニングルームへ向かっていたシェイラは、そっと扉に耳を寄せた。

 

「成功すればな。疑われるからすぐにとはいかぬが、折をみて叙爵しよう」

「期限のわからぬ約束ではいささかこころもとないですな」

「私が約束を違えると言うのか?」

 

 忌々しげに男が言うが、父親は意に介さないように続けた。


「とんでもございません。ただ此度の計画、露見すれば首がなくなります故、こちらもそれ相応の見返りをいただきたいだけでございます」

「ふん。すでに目当てのものがあるのであろう?」

「さすが殿下。話が早くて助かります。エレーヌ運河通行料の徴収権をわがイングラム家にお認めいただきたいのです。ついでにモルドの所が主張している徴収権の話は潰していただけますかな」

「モルド伯爵と揉めている件か。いいだろう。エレーヌ運河の徴収権はイングラム家のものと認めよう」

「ありがとうございます」


 シェイラの背中にじっとりと汗が広がる。ガンガンと頭の中で「この話を聞いてはいけない」と警鐘が鳴るが、足は縫い付けられたように動かなかった。


「で、雇った男の方は大丈夫なのだろうな」

「万事滞りなく進んでおります。狩猟中に"事故"はつきものですから」

「伯父上も大好きな狩猟中に命を落とすならば、本望だろうよ」


 くつくつとぞっとするような声で男が笑った。シェイラはそっとその場を離れると、出入り口が見える図書室へと移動した。しばらく身を潜めていると、先ほどの男が屋敷から出てくるのが見えた。手に持ったランタンが男の横顔を明るく照らす。

 男の顔を確認すると、シェイラは自室に戻り、そのままずるずると扉に凭れ掛かった。


「ベンター殿下だわ……」


 2度、会ったことがある。挨拶に言葉を交わした程度だったが、寡黙で物静かな人物という印象だった。王位継承順位第二位の王の甥。

 先ほどの会話の意味するところを考えて、シェイラは茫然とした。自分の未来が真っ黒に塗りつぶされていくように感じる。心は考える事を拒否するのに、頭はめまぐるしく動いていた。

 先ほどの会話の意味するところは1つしかない。王位継承順位第二位のベンターが玉座につくには、王だけでなく現在13歳の第一王子の存在が邪魔になる。王だけでなく王子まで害するつもりなのか、傀儡として生かすつもりなのか会話からは分からなかったが、ベンターは王を殺して実権を握るつもりなのだ。そして、その計画に父が加担していることは明白だった。

 王が参加する鹿狩りは二ヶ月後に行われる。シェイラは悩んだ。


 一ヶ月後の結婚式を終えれば、シェイラはスペンサー家の人間になる。仮に暗殺計画が露見しても、結婚後ならば、公爵家は新婚の花嫁を追い出すまい。

 父親を告発することは、シェイラにとって死刑宣告に等しかった。黙っていれば誰にも知られることはない。事故死として処理されて、自分はレオンハルトとの結婚生活を続けることができるかもしれない。


 一方で、シェイラの中の良心が罪を暴けと囁く。現国王は名君の誉れ高く、国民から絶大な人気を誇る。慈悲深く、民への献身を信条とする人物で、レオンハルトからその人柄を聞いたシェイラも尊敬の念を抱いていた。

 今、王が亡くなり、ベンターが実権を握れば、国が荒れるのは明らかだ。王の暗殺計画など、この国の民として許してはならない。

 何より、このまま知らぬふりをしてレオンハルトの隣に立ち続けることができるのか、シェイラは不安だった。いつかレオンハルトが真実を知った時、シェイラは間違いなく軽蔑されるだろう。その時、自分は耐えられるだろうか。


 人生を左右する選択にシェイラは懊悩おうのうした。

 思考は散り散りに飛ぶ。いったいどれくらいの時間そうしていたのか。結局最後は「レオンハルトならどうするだろう」とシェイラは己に問いかけた。迷った時、それはシェイラの行動指針の一つとなっていた。レオンハルトと同じように思考し、行動すること。

 レオンハルトなら間違いなく告発するはずだ。彼は己の利より、国の安寧を優先する人だから。そう結論づけて、シェイラは大きく息をついた。

 いつの間にか夜が明け、東の空が乳白色に染まりだしている。結局あの後一睡もできなかったシェイラだが、心は定まった。



 寝ずに朝を迎えたのと同日、父親が屋敷を出た後で、シェイラはこっそりと書斎に忍びこんだ。代々当主が使ってきた書斎の書き物机の引き出しは鍵がかかる上、二重底になっている。何かを隠すならばここだろうとシェイラはにらむ。

 シェイラが書き物机の仕掛けを知っているのは、幼い頃、存命中だった祖父に教えてもらったからだった。いたずらっ子のようにシェイラを手招きしながら、二重底の中身を見せてくれた。「ここには私の宝物が入っているんだよ」と、自慢げに見せてくれたのは、シェイラと兄の思い出の品々だった。兄妹を愛してくれた祖父も、シェイラが6つの時にこの世を去った。祖父も兄もシェイラの元からいなくなってしまった。そしてレオンハルトもこれからいなくなるのだと考えれば、どうしようもなく気持ちが沈んでゆく。決心が鈍りそうになって、シェイラは頭を振って幼い日の記憶を追いやった。


 告発には証拠が必要だった。証拠がなければ、シェイラの訴えはただの疑惑に過ぎず、全ては闇に葬り去られてしまう。何としても証拠を見つけ、レオンハルトへ渡さなければと、シェイラは己を奮い立たせた。

 書き物机の引き出しに手を掛けると、案の定、鍵がかかっていた。シェイラは書き物机の下に潜り込むと、引き出しの底板を手で何度か押してみる。年季の入った書き物机は底板がたわみ、手で押せば底板がわずかに浮く感じがする。シェイラは持ってきた果物ナイフを取り出すと、底板と側面の溝に先端を差し込み、歪みが広がるように左右に動かしはじめた。額に汗がじんわりと浮かぶまでこの動作を繰り返していると、ついに底板が外れた。書類がばさばさと床に落ちてくる。シェイラが書類を一つ一つ確認していくと、目的のものはすぐに見つかった。父ジョンと暗殺計画に関わった貴族の署名の入った連判状である。


 実はこれ程まであっさりシェイラが証拠を見つけることができたのには理由がある。ジョン・イングラムは元来疑り深く慎重な性格で、これまで不正の証拠を残したことはなかった。今回連判状という逃げられぬ証拠を残したのは、その疑り深さ故だった。国王暗殺という禁忌に手を出すにあたって、彼は仲間の貴族を信用できずにいたのである。仲間の裏切りを防ぐ為に残した連判状が、皮肉にも彼の罪を証拠立てる決定打となったのだった。


 シェイラは書類をドレスの胸元にしまい込むと、急ぎ部屋を出た。自室に戻って慌ただしく最低限の荷物を旅行鞄に詰め込む。そうして執事に命じて用意させた馬車に乗り込むと、レオンハルトの公爵邸へ向かうよう告げた。馬車が動き出したところで、シェイラはやっと息をついた。


 自分がこれからやろうとすることを考えると恐ろしさに身が震える。家も豊かな生活も、愛しい婚約者まで手放そうとしているのだ。胸の前で手を組み、なんとか震えを止めようとするが、いっこうに収まらず、歯がカチカチと鳴った。レオンハルトの前ではどうか落ち着いて話ができますようにと、シェイラは祈るような気持ちで公爵邸へ着くまでの間、じっと瞳を閉じていた。

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