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出立

 バーナード・エインズワースは身長2メートルを越す大男だった。体格はがっちりと筋肉質で、文官より武官を思わせる。これがマリーの夫なのかとクリスティーナの後ろに控えたシェイラとエイミーは、思わず顔を見合わせた。


「殿下、今回ゴルゴナへ同行する外務局の者達を紹介させていただきます」


 出発を明日に控え、クリスティーナと外務局の面々の顔合わせが青の間と呼ばれる接見室で行われていた。

 外務局からは5名の外交官が随行する。通訳、護衛、シェイラ達侍女も入れて、ゆうに50を超える一団がゴルゴナへ向かうことになっていた。

 外務局トップであるバーナードが口を開くと、後ろにいた外務官たちが恭しく礼をとった。


「左からレオンハルト・スペンサー、ユアン・ベーコン、ヒース・バイウォーター、オリヴィア・クックです」

「クリスティーナです。よろしくおねがいしますね」


 クリスティーナが笑むと、「はっ」という声が揃う。

 彼らの中には爵位を持つ者もいるが、身分の上下が職務に影響しないよう爵位はつけずに呼び合うのが慣例だ。


「滞在する一ヶ月の間、殿下の式典参加には、オリヴィアが付き添います。私も含め他の者は交渉担当です」

「オリヴィア・クックと申します。お見知りおきください」

「女性の外交官もいるのね」


 クリスティーナが思わず、というように呟くと、オリヴィアと名乗った女性は微笑んだ。彼女は赤銅色の瞳と髪を持つ、快活な印象の女性だった。真っ赤な口紅が、エキゾチックな顔立ちによく映えている。


「オリヴィアはこれでも優秀な外交官です。ご安心ください」


 クリスティーナの呟きをどう解釈したのか、バーナードがニヤリと口を挟むと、オリヴィアは器用に片眉をあげて不満を表した。


「エインズワース局長。これでもとはなんです。うら若き乙女に失礼ではないですか」

「自分で言う奴があるか」


 呆れたようにバーナードが言うと、オリヴィアは艷やかに笑う。

 そんな仕草も様になっていた。ほうっとして見とれていると、不意にオリヴィアがシェイラへ視線を移した。


 一瞬、その瞳が何か問いたげに揺れているように思え、シェイラは小さく首を傾げた。疑問が顔に出ていたのか、オリヴィアは曖昧に微笑むと、ついと視線を外してしまった。


「ゴルゴナへの道中も出来る限りお側に控えさせていただきます。侍女の方々もどうぞよろしく」


 先ほどの表情は既に見えず、笑顔でシェイラとエイミーへ礼をとられ、慌てて「こちらこそよろしくお願いします」と頭を下げた。

 こうして、出発前の顔合わせは終始和やかな雰囲気で幕を閉じたのだった。


***


「では、オリヴィアとヒースとレオンハルトは大学の同窓生なの?」


 クリスティーナが聞き返すと、オリヴィアが頷いた。


「まあ、私は法学、彼らは政治学を専攻しておりましたので学寮は別なのですが。ただ当時から友人ではありました」


 早朝、王宮内にて出発の儀を手短に済ませ、一行は王都を出発した。

 ゴルゴナの首都へは、馬車と航路を併せて七日の行程となる。ゴルゴナ行きの船が出る港町へは馬車で半日。それ以降は船旅が続く。

 船に乗り込んで間もなく、当初の宣言通りオリヴィアがクリスティーナのいる個室へやってきた。

 人懐こいクリスティーナは、早速あれこれとオリヴィアを質問攻めにする。その中で、オリヴィアがレオンハルトと同じ大学の出だという話になったのだ。


「オリヴィアって本当に優秀なのねえ」


 感心したようにクリスティーナがいうと、オリヴィアは肩をすくめた。


「私の場合、個人の能力というより環境が大きいですね。私の父は医者ですが、これからは女も職業を持つべきだという考えの持ち主だったんです」

「それは、とても先進的な考えだわ」

「はい。むしろ母の方が、大学まで行ってしまっては嫁の貰い手がいなくなると心配する始末でして」

「オリヴィア自身は気にならないの?」

「女に学があることを嫌う男など、こちらから願い下げです」


 そう言って、からからと笑う。見た目に反して随分と気さくな人なのだ、とシェイラは思った。


 女性が大学に入ることを許されてから10年余。制度が整ったといっても、実際に大学まで進むことは稀だ。

 この国の大学は2年制で、国立の大学は五つしかない。卒業生の半分は官僚か政治家になり、残りの半分は学問を探求するため大学に残る。まさにエリート中のエリート達が集まる場だった。

 本人は環境のおかげだと言うが、オリヴィア自身相当優秀でなければ入学できるはずがなかった。

 世の中には凄い人がいるのものだ、とシェイラは素直に感嘆した。


 当初、静かに話を聞いていたシェイラとエイミーだが、クリスティーナが話に加わるよう促すと場は途端にかしましくなった。


「では、シェイラ様は出仕してからまだ一ヶ月なのですか?」

「はい。ですから、殿下の初外遊に同行させていただけるとは思いもよらなくて。これでもかなり緊張しているんです」

「お顔に出ないんですねぇ。非常に落ち着いて見えますよ」

「シェイラはとっても真面目だし、よく気がつくのよね」


 クリスティーナがにこにこと言う。クリスティーナの言葉に、シェイラはほんのりと頬を染めた。レオンハルト以外の人間に、手放しで褒められることに慣れていないのだ。

 それこそ侯爵令嬢であった頃は、夜会に出れば歯の浮くような世辞を聞いてきたのだが。誰の言葉もその裏に侯爵家に媚びようという意図が透けて見えて、素直に喜ぶことはできなかった。


 クリスティーナは人の美点を見つけることが得意で、シェイラだけでなくベスやエイミーの事もよく褒める。「エイミーは優しくて周りをほっとさせるわね」「ベスは流行に敏感でお洒落だわ」と、ことあるごとに口にする。まっすぐな心根が眩しくも面映ゆくもあり、この方を主人に持つことができて幸せだとシェイラは思う。


「ああ、楽しそうな声が聞こえてくるなと思ったら、オリヴィアもいたのか」


 ひょっこり姿を見せたのは、先ほど話題にしていたレオンハルトとヒースだった。ヒースは人好きのする甘い顔立ちの青年である。かなりの童顔で、はじめシェイラは彼を同年代だと思ったほどだ。レオンハルトは落ち着きのある端正な顔立ちなので、並ぶと一層若く見える。ヒースがオリヴィアに親しげに声を掛けると、後ろにいたレオンハルトはクリスティーナへ顔を向けた。


「殿下。少しお耳に入れたい情報があるのですが。入ってもよろしいですか」

「勿論よ。どうぞお座りになって」


 部屋の中は六人しか座れないため、ヒースはオリヴィアの隣に、レオンハルトはシェイラの隣に腰を下ろす。

 他意は無いとわかっているのに、レオンハルトが隣に座ったことにシェイラの心臓が大きく跳ねる。

 レオンハルトはそんなシェイラの胸の内には気づかなかったようで、席につくなり真剣な面持ちで口を開いた。


「実はゴルゴナの宰相がご病気でせっているようなのです。今は別の者が政務を代行しているという情報がゴルゴナにいる連絡官から入りました」


 レオンハルトが告げると、それまで寛いでいたクリスティーナも姿勢を正した。


「そんな時期に私達が行っても大丈夫なのかしら?」

「殿下の訪問は以前から決まっていたものですし、我々がその情報を掴んでいる事を向こうは知らないはずですから、訪問を取りやめるわけにもいきません。ただ、事前にその情報をゴルゴナ側が伝えて来なかったのが気になります」

「それは、弱みを他国に見せたくなかったからではないの?」

「それだけなら良いのですが。長年の友好国とはいえ、異国です。どれほど気をつけても、用心のし過ぎということはありません」

「そうね、分かったわ。充分気をつけます」


 シェイラも隣で真面目な顔で頷く。これから向かう先は、異国の地なのだと改めて気を引き締めた。


「クリスティーナ殿下は、私が命に代えてもお守りします!」


 突然、エイミーが興奮したように握り拳を作って立ち上がったので、その場にポカンとした空気が漂った。一瞬面食らった表情をした後、レオンハルトは困った顔で口を開いた。


「とは言っても、今回は両国の友好を示すための訪問だから、あからさまに警戒してもあちらも気が立ってしまうだろう」

「……そうですね。すみません」


 途端にしゅんとうなだれるエイミーに、クリスティーナが優しく声を掛ける。


「ありがとう、エイミー。その気持ちだけで嬉しいわ」

「……殿下」


 エイミーは目尻に涙をためて感極まったようにクリスティーナを見つめている。その様子を微笑ましくシェイラが見ていると、耳元に優しい声が落ちてきた。


「シェイラ、君も充分気をつけて」


 隣を見れば、深い青色の瞳が慈しむようにシェイラへ向けられている。その表情にきゅう、と胸が締め付けられた。


「はい。レオンハルト様も」


 彼の瞳を見つめ返して、ゆっくりと言葉を紡ぐ。この人のことがどうしようもなく好きだと思う。

 

 この時、オリヴィアが複雑な表情で二人を見ていたことに、シェイラは最後まで気づくことはできなかった。

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