『噂話』
「なんだ、今の爆発は」
警視庁庁舎でレイジと交戦中の恭介にも、モノリス爆破の衝撃が届いていた。
恭介に猛攻を続けていたレイジも、流石に攻撃の手を止めた。
「おいおい大河さん…それは’’禁断の手’’だって言ってたじゃねェか」
窓のない、周りが壁に囲まれた室内で、レイジは見えないところにいる大河の行動に唖然とした表情を見せる。
「おい、どういうことだ。お前らは何をした?」
当然、恭介から質問が投げかけられる。
「…俺たちもタダでは済まねェ状況になっちまったってだけだ」
あくまで、恭介の質問に答えるつもりはないようだ。
「あまり、のんびり遊んでるヒマはなくなっちまった。さっさと終わらせるぞ」
恭介はよくわからなかったが、どうやらAOAは自分の首も絞めるかもしれない、そんな手をうったようだ。ということは、公安局本部での戦闘は、公安局が優勢ということ。
「そうか。なら、決着をつけよう」
「俺に勝てると思ってんのか?俺の『うたせ網』を凌ぐのが精いっぱいだったくせによ」
「勝たなきゃいけないんだ。お前を先輩のところへは行かせない」
「カッコつけやがって...そういう口は…」
レイジは浮遊デバイス・通称『うたせ網』を操作し、一斉に弾丸を発射する。
「それなりの強さを見せてから言いやがれッ!」
恭介に迫る数多の弾丸。レイジの浮遊デバイス『うたせ網』は、おそらく実弾しか発射できない。警視庁には、まだ最新のレーザー技術はないのだろう。そのため、何発か撃てば、リロードのためにレイジのところへ戻る。恭介が狙うのは、その瞬間。
「〈キテン〉-‘’オロチ’’」
刃を「斬れる鞭」に変化させた恭介は、〈キテン〉を振り回して弾丸を斬り裂いていく。
「見える…弾道が」
恭介の眼に映る弾丸は、動きがまるでスローモーション。いつもは延長能力【音響世界】に頼りきっていた。だから負けが嵩んだのだ。
迅に敗北し、御園に罵られ、恭介は学んだ。
いちばん頼るべきなのは目、耳、自分の感覚器官から入ってくる情報。
情報と能力による察知を使い、今の恭介にはすべての弾丸の弾道がわかるのだ。
「なにィ…?」
あまりにもあっさりと、すべての弾丸を斬った恭介に、レイジは驚愕する。
『うたせ網』が止まる。弾切れだ。
「終わりだ」
漆黒の撓る刃が、レイジに襲い掛かる。
「クソガキがぁッッ!」
間一髪、レイジはリロードを完了させ、再び、連射する。
恭介は、斬って、避けて、を繰り返し、かすり傷ひとつ負うことなく、レイジの懐に飛び込む。
恭介の撓る〈キテン〉が、レイジの腹部をしばく。
患部にできるのは痣ではなく、大きな斬り傷。噴き出た血が、辺りを赤く染める。
「強さを示してから言え、だったか?」
〈キテン〉を鞘に収め、恭介は言う。レイジは、言葉を発しない。
「俺は勝たなきゃいけないんだ。お前を先輩のところへ行かせるわけにはいかない」
恭介は、レイジに背を向ける。向かうは、御園のいる十二階だ。
「覚えて…やがれ…!」
口から血塊を零し、レイジは恭介を睨む。
「お前の負けだ。おとなしく寝てろ」
そう言い残し、恭介はその場を去る。レイジは間もなく、意識を失った。
★
東京都内のあちこちで、公安局員と異常患者の戦闘が勃発していた。
西部、南部は、公安局員の現着が早く、あと数分でひと段落つきそうな具合だ。だが、数が少ないから、という理由で局員の現着が遅れている北部に現れた異常患者は巨大な獅子。ただでさえ鋭利な牙が、更に研がれている。その獅子型の異常患者が二頭。凶暴な二体を相手に、最寄りの支部の局員が奮闘するものの、まったく歯が立たない。牙だけでなく、細胞の異常発達によって強化されたパワーは、人間を軽く二十メートルは飛ばすことができる。
「今向かっている!なんとか持ち堪えろ!」
最初は、異常患者の数の多い方に加勢するつもりだった椎名は、急遽北部の獅子型の異常患者殲滅に向かうことにした。
現場が近づくに連れて、戦闘による破壊音が大きくなる。獅子型の異常患者の凄まじさを、音が物語っていた。
「三枝、戦況は」
椎名は、モニタリングしている茂袮に、獅子型の異常患者と公安局員の戦闘の現状を問う。
『明らかに劣勢ですね~。このままでは街の中心部まで行かれるのも時間の問題かと~』
相変わらずの、気の抜けたような口調で、茂袮は言う。声からは感じられないが、彼女にも危機感はある。
「感染者は」
『まだいませんね~』
椎名が知りたかったのは、優勢か劣勢か、ではなく、感染者の有無。これだけ凶暴な異常患者が相手なのだ。噛まれてしまった者がいてもおかしくはない。新型細胞異常発達ウイルス【GW-01】の感染経路は、空気感染ではない。食物を通して、直接体内
に取り込んでしまうか、感染者に噛まれてしまった場合のどちらかだ。そのため、異常患者がひとり現れれば、ゾンビのように増殖していく。
「こちら椎名。間もなく現着する。耐えろ!」
獅子型の異常患者は視界に捉えた。あと数百メートル。だが、
「うわああぁぁぁッッ!」
獅子型の異常患者に一斉に襲い掛かった局員たちが、一蹴されてしまった。もう何度もそれを繰り返していたのだろう、彼らの身体が限界を超え、立ち上がることができなくなっていた。
動けなくなった局員に、トドメを刺そうとする獅子型の異常患者。
「〈ラビット〉………?」
脚力増強シューズ〈ラビット〉で加速を図ろうとした椎名の口は、目の前の光景によって止められた。
「お、女の子…?」
絶体絶命の局員と、獅子型の異常患者の間に、一人の少女が現れた。気配も感じさせず、まるで風のように。
「こちら土門。現着しました。獅子型の異常患者一頭。戦闘を開始します」
現れた少女・土門彩花は、インカムでそう報告すると、無表情で獅子型の異常患者を見つめる。
獅子型の異常患者の標的が、彩花へと移る。横に構えられた前脚が、勢いをつけて彩花の身体を襲う。
「逃げろ!」
椎名は叫んだ。
彩花はそれに耳の貸さず、身体をクルリと一回転させ、
獅子型の異常患者の攻撃を、蹴りではじき返した。
「ヴォォォォォォォ」
むしろ、獅子型の異常患者がダメージを受けていた。椎名を含めた、周囲にいる人間は皆、あんぐりと口を開けて驚くことしかできなかった。
ダメージによって激昂した獅子型の異常患者が、彩花に噛みかかる。
ガチン!
聴こえたのは、歯と歯がぶつかる音。獅子型の異常患者の歯には、血痕ひとつない。だが、彩花の姿もない。
たった一瞬の出来事だったはずだ。少女が、目の前から、文字通り消えた。
「こっちだよ」
声のする方向、上を見た獅子型の異常患者の顔面に、彩花の強烈な蹴りが炸裂する。
地面に顔面から叩きつけられた獅子型の異常患者は、そのまま動かなくなる。
「任務完了」
言葉も出せない周囲の人間たちを他所に、彩花は無表情で去っていく。
椎名は、こんな噂話を聞いたことがあったと、思い出す。
政府は、密かに戦争用の兵器を開発中だ、という話。
交戦権を放棄しているため、公にはできない極秘の開発。
あくまで噂、そう思って気にかけなかったその噂話が、椎名の脳内で再生される。
友人が雄弁していた、その話を。
その兵器の名は……
「’’実験サンプル’’…通称’’Example’’」
To be continued……