『戦闘開始』
日本政府、国防庁。
本来、海外からの侵略やテロリズムに対応するため、日々鍛錬を続けている組織に、警視庁から一報が入る。
内容は、「交換局から捕虜交換の申し出を伝える文通が届いた」というものだった。
「北条大臣、いかがなさいますか?」
国防庁の長、大臣を務める北条恒盛は、文通に目を向けたまま、秘書の問いに答える。
「”Example”に任務通達を。公安局に先手を取られたとなると、AOAは負けたも同然だ。捕虜交換に応じるのが最善の手だが、公安局と殺り合うこの機会を、彼は逃さないだろうからな。追い込まれれば、何をしでかすかわからない」
「”Example”を、ですか?彼らの力を借りなければならない事態になり得る、ということですか?」
「あぁ。今回ばかりは、公安の味方をした方が良いからな。能力者集団に手を貸すのは不本意だが、AOAには陥落してもらわないと困る事態になってしまった」
“Example”を使うことに反対の秘書は、「しかし…しかし」と言い続け、なかなか任務通達を行わない。
「君の言いたいことはわかる。”Example”のメンバーは皆、バケモノだ。延長能力を持った能力者とは別のな。あまり彼らを一般市民の前に出すのは控えたい。だが、今回ばかりは仕方ないんだ。任務通達を頼む」
「…わかりました」
「あ、待ってくれ」
渋々納得したように返事をし、執務室を出ようとする秘書を、恒盛は呼び止める。
「はい…?なんでしょうか」
「AOAには、我々日本政府はAOAに全面的に協力すると伝えてくれ。捕虜交換に応じる必要はない、とも付け加えてな」
「かしこまりました」
そう言って、秘書は部屋を出た。
恒盛は一人になった執務室のデスクに腰をかけたまま、大きな窓から見える東京の夜景を眺めた。
そして、小さく呟く。
「ご苦労だったな…警視庁」
★
夜は明け、雲一つない青空が広がる東京。
観月祭1日目を終了した会場は、2日目である今日の夜に向けて、準備が進められていた。
こんな絶好のお祭り日和のこの日、公安局環境管理課課長兼一係係長である椎名伸明は、もう使われなくなったデパートの駐車場に足を運んでいた。目的は、警視庁所属のAOAとの捕虜交換。重要な戦力である種原迅を、AOAから取り返すためだ。
「こちら椎名。取引場所に到着した。皆はどうだ?」
黒いセダン車のボンネットに腰を下ろし、耳のインカムに指をあてながら、椎名は皆に問いかける。
『こちら茜屋。配備完了しています。椎名さんの姿は、スコープ越しにバッチリです』
『こちら猪狩。妹も一緒にエントランスで待機中。他の支部の増援も到着しつつあります』
『こちら潟上。一階中央ホールで待機中。正門以外からの侵入の場合、すぐに向かえます』
本部でそれぞれの持ち場に着いたメンバーが、続々と報告を行う。
「了解だ。そっちはどうだ?河辺」
椎名の問いは、公安局本部ではない場所にいる恭介に向けられる。
『こちらも問題ありません。合図があり次第、すぐに侵入します』
「そうか…お前はまだケガが治りきっていない。無理だけはするなよ」
『了解。善処します』
そして椎名は、迅救出のカギを握る少女に、こう投げかけた。
「任務はわかっているな?篠宮」
そして篠宮は、
『当然です。私から大切なモノを奪うなんて、誰にもできませんから』
その声を聞き、椎名は笑む。「篠宮なら、やり遂げるに決まっている」と。
椎名は通信の範囲を広げ、全員に言う。
「まもなく作戦決行だ。武運を祈る」
★
午前十時。
取引の時間だ。まるで狙い合わせたかのように、十時ピッタリに取引場所に現れた警視庁AOA。
停車された車の助手席から、眼鏡をかけた男が一人、降りてくる。その車の後部座席には、一つの人影。
「申し訳ありません。お待たせしてしまいましたでしょうか?私、警視庁総監の秘書を務めております、糸部と申します」
眼鏡の男、糸部と名乗ったその男は、ムカつくほどの作り笑いを浮かべ、椎名を静かに挑発する。精神への攻撃、すなわち苛立たせ、手を出させるのが狙い。
「わざわざご丁寧にどうも。私は椎名と申します」
そんな安っぽい挑発に乗るはずもなく、椎名は冷静に取引を続ける。
「早速ですが、取引に入りましょう。まずは、上条あひるの安否を確認させていただきたい」
「その前に種原迅の安否を確認したい。我々公安はAOA宛てに取引を申し込んだはず。なのにこの場に現れたのは総監の秘書。どういうことなのでしょうか?」
「AOAは今、忙しい身でして」
白々しい言い訳に、椎名は即座に返答する。
「ならば公安局からの申し出が届いた際、日程の変更を申し出るべきだったのでは?それに、仲間の命運がかかっているというのに、AOAは通常営業なのですか。人としてどうなのか、とも思いますね、普通は」
糸部の歯軋りが、よく聴こえる。心理戦は、公安局に部があるようだ。
糸部が苛立っているのを確認した椎名はさらに続ける。
「もう一度聞きます。AOAは今何をしている?答えたくなければ、先に種原迅の安否を確認させろ」
「……」
黙り込んでいるのではない。糸部はただ、椎名を睨み付けているのだ。返す言葉が見つからずに、ではあるが。
「あ~そうそう。あなた方が返してほしい上条あひる、能力者ですよ?」
その言葉の直後、糸部の動きはフリーズした。驚愕の表情で、目を見開いている。信じられなそうに、彼は否定する。
「そ、そんなはずはない。AOAに能力者など…」
「本人も知らなかったみたいですが、本当のことです」
さすがに、椎名のこの発言すべてを鵜呑みにするとは思っていないが、十分に揺さぶりをかけることはできる。
こちらを見つめる糸部の目は、「証拠を見せろ」と言わんばかりに鋭い眼光を放っている。
「証拠が欲しいのでしたら、ここに上条あひる本人がいるので、どうぞ」
椎名は車の後部座席のドアを開け、上条あひると思われる人物を車から降ろす。見た目は完璧にあひるだ。だが、ホログラム技術が存在する以上、あひるに見せかけたニセモノという可能性も否定はできない。本人確認をするべく、糸部は要求する。
「彼女の頬をつねってもらってもいいですか?」
「…だそうだが、少しだけ、いいか?」
椎名の確認に、あひるはコクリと頷く。椎名は、あひるの頬を指で掴み、つねって見せる。もしホログラムだった場合、空間に映し出した像に乱れが生じる。だが、その乱れは見られなかった。つまり、その少女は上条あひる本人、ということ。
「本物、だろう?ホログラムなんかじゃなく」
事が進むに連れて、どんどん警視庁は不利になっていく。公安局が捕虜をしっかりと連れてきた以上、警視庁は迅をこの場に連れてきていなければ、警視庁が取引を拒否したことになる。
糸部は歯軋りをして、椎名とあひるを睨む。
「そうそう、彼女から警視庁に訊きたいことがあるそうだ。この機会に、いいか?」
椎名は糸部の返事を待たず、あひるにアイコンタクトを送る。コンタクトを受けたあひるが、一歩前に足を出す。
「私が、人工生命体だというのは…本当ですか?」
未だ、警視庁を信じていたいあひるが、悲しげな表情を浮かべながら問う。彼女が待っているのは、「違う」という返事。首を横に振る行為。
「なッ…」
だが、糸部の反応は違った。その反応は、肯定を意味するもの。
「そうですか…」
あひるは、顔を落として、そう呟いた。
「ずっと…私を騙していたんですね…犬飼さんも、警視庁も」
彼女の心情は、悲しみから怒りに変わりつつある。
「私、帰りたくありません。公安局にいた方が全然マシです」
あひるが糸部を睨んで言い放ち、糸部も歯軋りをして睨み返す。
「これは私の意思です。公安局が取引を決裂させたわけではありません。公安局は、捕虜の意見を尊重してくれた。警視庁も、捕虜の意思を尊重すべきだと思います」
どんどん追い込まれていく糸部は、声を荒げて懐から取り出した銃をあひるに向ける。
「黙れ!お前は我々に作られた『犬』だ!『人形』だ!大人しく従っていれば良かったものを…」
そこまで言った直後、
「ぐあぁぁッッ‼」
激しい爆発とともに、糸部は数十メートル吹き飛ばされる。
迅が乗っていたはずの車は、火の海に包まれている。
さらに、それだけではなく、公安局本部の方向からも、大きな爆発音が聴こえた。
「これが、AOAの答えか……」
椎名が見つめる燃える車の中に、人の気配は全くなかった。つまり、車の後部座席に見えた
人影はダミー、ホログラム。
本物の迅は、警視庁にいる。
「全員、準備はいいな」
あひるを車に乗せ、運転手に発進を命じると、椎名は再度、公安局環境管理課一係のメンバー問いかける。そして、その返事を待たずして、号す。
「戦闘開始だ」
To be continued……
2週間以上空いてしまいました。すみません
次回更新もまた間があいてしまうと思います。