『選択』
「決心はついたかい?」
茅場美耶にそう問いかけられたのは、現在捕虜とされている上条あひるだ。朝陽の弾丸によって穿たれた腹部には包帯が巻かれており、今もベッドの上で安静にしていなければならない。
そんな彼女は今、新しく密かに発生した事件の詳細を聞き、美耶に選択を迫られていた。
事件の内容は、警視庁AOAが、観月祭を訪れた客を人質に取り、公安局員一名を誘拐した、というもの。
東京マークツリーの観光客を殺害したあひるにとって、そのようなことは極めてどうでもいいことであったが、この事件がきっかけで、あひるは今、究極の選択をしなければならなくなったのだ。
「本当に…私が公安に協力すれば、これ以上異常患者が増えることはなくなる可能性が、高くなるんですか?」
「ああ。すぐには無理だろうが、君が研究に協力してくれれば、異常患者の増加を止めることができる」
まさに、究極の選択と称しても良いほど、今のあひるは悩んでいた。
あひるから大切な人を奪った能力者、公安局では有能者と呼ばれる連中も、異常患者あるらしい。
確かに、有能者を根絶やしにすることで、かたき討ちがしたい。だがそれでは、今後も異常患者の発生と共に、有能者も増えてしまうのは回避できない。
だが、公安局に協力すれば、今、存在している有能者を根絶やしにすることはできないが、今後の異常患者と有能者の増加を食い止めることができる。
これまでのあひるならば、迷わず前者を選んでいただろう。だが、今はそういうわけにもいかなかった。なぜなら……..
「私は人工生命体で…..有能者?」
美耶に告げられた言葉が、あひるの思考を困惑させていたのだ。
あひるの経歴は奇妙なもので、六年前に秋田に在住していたことはわかるものの、それ以前の記録がまるでないのだ。引っ越しを繰り返すような家庭でなければ、秋田に住んでいたであろうとは推測できるが、あらゆる情報がデータ化されて保存されるようになったこの時代、生年月日の記載すらないのは不自然なのだ。それに加えて、あひる自身も六年以上前の記憶が全くない。
このことから、美耶はあひるが人工生命体ではないかと推測した。人工的に生み出された生命には、あらゆるプログラムを行うことができる。記憶の植え付けも、もちろん可能だ。六年前に秋田に住んでいて、大感染後に東京へと越してきて、有能者に肉親を殺された、という記憶を植え付ければ、AOAが有能者を抹殺するために彼女を利用するのは容易い。
あまりにも合点がいくこの話によって、あひるはAOAを信じることができなくなっていた。本来なら、生みの親である警視庁の組んだプログラム通りに動かなければ、そこで人工生命体の存在意義は消滅してしまう。だが公安局は、新たな存在意義を示してくれている。
そして、自分も有能者であること。今まで知りもしなかった事実。
選ぶべきなのは公安局に協力する、という選択肢。あひるでもそれはわかっていた。
有能者がかたき討ちのために有能者を殺す、身勝手な話である。
だが、世話になった人たちを容易く裏切ることも、あひるにはできなかった。
しかし、AOAも公安局員を捕虜としてしまった以上、あひるとその公安局員を交換することで、平和的に解決される可能性がある。それでは、今は平和的でも、将来的には平和的ではない。
こうなれば、いや、はじめから、選ぶべき選択肢は決まっていた。
「決心はついたかい?」
再度、美耶に問われる。
あひるは目を閉じ、しばらくの間それを続けた。そして、しばらくした後、
「決めました」
この選択が、今後の未来を大きく左右する。
★
警視庁庁舎にある監禁部屋。
迅はイスに座らされ、手足をイスに結び付けられ、身動きが取れない状態にされている。
そんな状態の迅に、大河は容赦なく暴力を振るう。
「さぁ吐け。俺の部下は元気か?公安に能力者はどれだけいる?ひと月前、公安局本部を襲った集団は何者だ?」
思い切り殴ったことにより、イスごと倒れてしまった迅の首をつかみ、大河は声を荒げて訊ねる。
「ハァ…何度も言わせんなよ….そんな簡単に…吐くわけねぇだろ….」
ドンッ!
大河は迅の顔を、壁に叩きつける。小さくうめき声をあげて、迅はグッタリと姿勢を崩す。
「調子に乗るなよガキが…能力者のくせに、律儀に情報守ってんじゃねぇ」
「へへ….かたき討ちのために数十人の関係ない人間に手ェかけるような….ケホッ….もはや人からかけ離れた思考回路持ってるヤツに言われたかねェ」
顔中、痣、血だらけの迅が、睨みながら大河をあざ笑う。
さらに拷問を続けようとする大河に、迅はさらに言い放つ。
「…ガキにバカにされたくらいで取り乱すとか、沸点低すぎ。あと、やりすぎると俺死ぬよ?情報なんも引き出せないけどいいの?」
今すぐにでも殴り飛ばしたくなるような、そんな迅の笑みに覚えた怒りをグッと抑え、大河は出しかけた拳を退いた。
「それに…公安局は捕虜交換には応じない」
「….それは、貴様が決めることではないだろう」
「あぁ。そしてAOAも…捕虜交換をするつもりはない」
大河はキッと、迅を睨み付けた。そんなものに物怖じせず、迅は霞みかけている意識下で口を開く。
「…そんなことしたら、プラマイゼロで終わっちまうからな」
大河が歯軋りをする。
「あんたらの目論見は、捕虜交換を持ちかけたが応じてもらえなかったので攻撃した。結果、公安局は崩壊した。的な感じだろ」
倒れたイスに縛られたまま、迅は得意げに唇を曲げる。そんな迅を起こし上げると、大河はこれ以上、拷問を続けることはなかった。
「大した推測だが、もしそれが正しければ、お前は死ぬということになるが」
大河の言う通り、公安局が捕虜交換に応じなければ、迅はAOAによって抹殺されることになる。
「確かにそうだな…でも、これが正しい選択だ」
「…バケモノが正義の味方気取りか….ご立派だな」
「言ってろ。化けの皮を剥がされんのはAOAだ」
大河は迅の言葉を聞くことなく、監禁室を出た。
監禁室の外には、黒髪が逆立ち、まるで怒っているかのような感じの少年が、大河の退出を待っていた。
「...遅ェよ大河さん。待ちくたびれたぜ」
「鷹城…別に待っててくれと頼んだわけじゃないが」
偉そうに腕組みして物を言う鷹城レイジを、大河は軽くあしらう。
「それより、大河さんよ、アイツとオレをバトらしてくれよ」
「ダメだ。一応大事な捕虜だからな。まだ駄目だ」
「いいじゃねェか。どうせ殺すんだろ?遅かれ早かれってヤツだろ」
「もし、お前が負けたらどうするつもりだ?」
「ハッ、そんなことはあり得ねェ」
大河の問いを、レイジは即答で否定する。一瞬も迷うことなく自信満々で。
「勝負に100パーセントはない。お前が『うたせ網』の使用に長けてるのは分かるが、油断は戦闘に損しか齎さない。今のうちに捨てろ」
「...アンタの言うことはいつも正論だ。でも心配御無用。俺は負けねェ」
油断を捨てる気のないレイジに見かねた大河は、深くため息をつくと、口を開いた。
「慌てるな。遠くないうちに、お前の好きなように戦わせてやる」
そう言う大河の目は、倒すべき敵を、しっかりと見据えていた。
To be continued……