『Project Aegis』
信樹の言う実験とは、いったい何なのか。被験者とは誰なのか。あらゆる疑問符を頭上に浮かべた三郷は、目の前のウィンドウを指でスワイプし、被験者リストを閲覧する。
会ったこともなければ、名前すら聞いたことがない被験者のデータが続く中、聞き覚えと見覚えのある名前を見つけ、三郷の指は止まった。
「『シノミヤ ミソノ』….お姉ちゃん….?」
実の姉のデータに釘付けになる三郷に、信樹は語りかける。
「そのリストに載ってる被験者で現在まで生きているのは六人。内四人は私と鉄二、雷杜に五海だ」
「私以外、全員?」
信樹は頷いて肯定し、さらに続ける。
「そして残る二人の内の一人がお前の実の姉、篠宮御園だ」
「….お姉ちゃんが…被験者….?」
御園のデータページに目を奪われたまま、三郷は衝撃の事実に驚嘆する。
御園と三郷の両親はこのことを教えてくれなかったし、御園も教えてくれなかった。もしかすると、御園自身も知らなかったのではないだろうか。
情報を得れば得るほど、三郷が疑問に思うことは増えていく。
「その..免疫作成実験って…何なんですか?」
三郷はまず、その実験そのものについて問うた。すると信樹は、「話すと長くなるぞ」と面倒くさそうな顔で三郷を見る。が、諦めなさそうな彼女を見て、信樹は口を開いた。
「わが社の新型細胞異常発達ウイルス【GW-01】の開発は、十年以上前から行われていた。ウイルスを作ってはネズミやハムスターを使って実験を行っていたが、それで満足できなかった当時の研究者たちは、人体実験のデータを欲するようになった」
三郷は口を挟まずに、黙って信樹の言葉の続きを待つ。
「だが当然、死ぬかもしれぬ人体実験の被験者になる人間はいない。そこで研究者たちが目を付けたのが、経済状況が芳しくない家庭の子どもだ」
小説や漫画でよくある話だ、と思いながらも、三郷はハッと思い出す。
三郷と御園の家庭は経済的に危機を迎えた時期があった、という話を聞いたことを。
「わが社はその家庭を訪ね、多額の金額の支払いと引き換えに、息子・娘の身柄を預けてほしいという話を持ちかけた。第三者からしたら、どれだけの金をもらえても断るべきなのだが、これが人間というものなのだろう…ほとんどの家庭が子どもをわが社に預けたのだ」
「…じゃあ、私たちの両親も….」
三郷は、今は亡き両親の非道な決断に悲観する。
「君たちの両親は違うぞ。君たちの両親は金の支払いを断り、代わりにわが社に試験・面接なしで就職させる、という条件で君の姉を献上したんだ」
「…それでも、実の娘を売ったことに変わりはありませんよ」
そう言い返された信樹は返す言葉に迷い、話を続けることで誤魔化すことにした。
「私や鉄二たちを含め、被験者はおよそ五百人。その被験者全員に行われたのは、【Project Aegis】と名付けられた人体改造実験だった。その内容は、人体をあらゆるウイルスにも適応する身体にする、というものだ」
「あらゆるウイルス….それって、例えばインフルエンザウイルスが体内に入っても、症状が出ないで潜伏期間を終えることができる免疫力を付ける、ということですか?」
「うーん…少し違うな」
惜しい、とでも言いたげに、信樹は三郷に向けて言葉を続ける。
「簡単に言えば、体内に入ったウイルスを取り込み、自我を消滅させずにウイルスの効力を身体能力に反映させる、というのがこのプロジェクトの概要だ」
「それって……」
三郷の記憶に、それと似た映像がフラッシュバックされる。一か月前、公安局本部を襲撃した際、雷杜や鉄二が使っていた注射薬だ。投与してから数十分は、常人とは桁外れの身体能力を発揮することができる。言ってしまえばドーピングだ。だがあの薬は、「神」になり得る者、つまり有能者を探すために、信樹らが一般人に投与していた物と同じなはず。だとしたら、雷杜たちも異常患者になっていてもおかしくないのだが…….
「言っただろう?私たちも被験者だった、と。私たちはその実験に成功し、どんなウイルスをも自らの身体能力向上に使えるようになった。お前の姉・御園も、成功した内の一人だ」
その言葉の後に間を置かず、
「これは実験の第一段階。だがこの段階で生き残ったのは、たったの七人。他の被験者は皆、驚異的な人体改造に耐え兼ね、命を落とした」
「そ..そんな…..」
たくさんの人間が、実験で命を落としたという事実に驚く三郷だったが、今自分たちがやっていることも同じだと思うと、他人事ではなくなる。
「生き残った被験者に行われた次なる実験は、延長能力の発現だ。最初の段階をクリアした時点で、この後【GW-01】を投与されても、〔フェーズ3〕になることはない。〔フェーズ5〕か有能者のどちらかだ。結果、成功したのは六人、〔フェーズ5〕になったのは一人、残りの一人は…不明だ」
「不明?」
そう問い返す三郷に、信樹は被験者リストのページをめくり、ある少年のデータを見せた。
被験者の名前は、『咲原駿』。もし、今も生きているなら十七歳、姉の御園と同い年だ。
データには家族の名前も記されており、この咲原駿という少年は、父・母・二つ年上の姉が一人の四人家族のようだ。
「この少年の両親は君の両親同様、自らの雇用と引き換えに息子を献上したのだが、少年が第一段階をクリアした翌週、息子を連れて両親は逃亡した。わが社は総力を尽くして探したが、あらかじめ偽名や戸籍の書き換えを済ませていたらしく、発見することができなかったんだ。君の両親も、同じように逃亡を図るのだが、それはもう第二段階を君の姉がクリア後だった。覚えていないか?なぜかわからないが住む家を転々としたことがあるだろう?」
三郷はコクリと頷いた。
「君の両親は娘二人をうまく隠し、わが社の追っ手によって捕縛された。死んではいないが、もう君らのことは覚えていないそうだ」
聞き捨てならないセリフに、三郷の顔色が変化する。
「覚えてないって…..まさか、拷問を….」
「まあ、そうだろうな」
軽々と肯定され、怒りの情を覚えた三郷だったが、P&R社には命を救ってもらった恩があるため、表情には出せずにいた。ひとまず今は、ずっと死んだと思っていた両親が生きていた、ということが何よりの便りだ。
「第二段階を突破した五人から御園を除いた四人は、最終段階へと突入した。最終段階といっても、やることは第二段階となんら変わらず、【GW-01】の投与だ」
三郷の両親の話をあっさりと切り上げ、平然と信樹は続けた。
「『神』になるには、延長能力を手に入れ、その能力を『覚醒』させなければならない。だが、能力を『覚醒』させられる人間はごく稀にしかいないそうだ。最終段階へ進んだ私たちも、能力を『覚醒』させることはできなかった。四人中ゼロだ」
「ちょっと待ってください。『覚醒』って…..」
解説もなく、知っていることが前提とされてしまい、三郷は少し慌てながら説明を求めた。
「ああ、すまない。君は知らなかったな。『覚醒』とは、延長能力が派生したものだ。より優れた能力に進化することを、我々は『覚醒』と呼ぶ。能力を『覚醒』させることができれば、『神』になる準備はほぼ整っていると言える」
「『覚醒』した時点で『神』になれるわけではないんですね。どうすれば『神』になれるんですか?」
「……」
三郷の問い返しに、信樹は口を閉ざした。別段、言いにくい、といった様子ではなさそうな顔をしている。信樹は情けなさそうに、ゆっくりと口を開いた。
「それはまだ…誰も知らない。だが、わが社の手の内にある被験者は全員、能力の『覚醒』の域にすら到達できなかった。免疫作成というひと手間を加え、より確実に有能者の被験者を集めて行われた【ProjectAegis】も、このままでは失敗に終わってしまう。だが、」
「…だが?」
「まだ、希望はある。君の姉・御園だ。わが社の支配下を離れたが、彼女は確実に『神』へと近づいている」
「なぜ、そう言い切れるんですか?」
その問いに信樹は、得意げな笑みを浮かべて返答する。
「四年前に起こった大感染。あれを引き起こしたのはわが社であり、御園を『覚醒』させるのが目的だったからだ。そして大感染が起こると同時に、私が視ていた彼女の未来は確定した」
大体見当がつく信樹の言葉を、三郷は黙って待つ。
三郷がP&R社の非道な計画に協力しているのは、他でもない姉・御園のためだ。大感染で生き別れた大好きな姉とまた暮らせる可能性がある内は、三郷はこの計画に協力するつもりでいる。
「三郷。君の延長能力は【万里双眼】だったな?かつての御園も、君と同じ能力だった」
「『かつて』は….?」
信樹は首を縦に振り、言葉を紡ぐ。
「御園自身もまだ気づいていないかもしれんが、今の御園の能力は…...」
To be continued…