『女の子はね』
翌日。
波乱の幕開けのなった夏休みも二日目、今度こそ、迅と御園がお出かけする日だ。
御園はこの日が楽しみで昨夜はろくに眠れていない。だが、寝不足にはなっていない。眠気よりも欲求が勝っているのだ。
「ふんふ〜んふっふふ〜ん♪」
洗面所の鏡の前で、御園はリズミカルに弾みながら身支度を整える。
「お、御園。なんか気合入ってるな。あんま気負わなくていいんだぞ?」
洗面所の前を通りかかった迅が、立ち止まって御園を見つめる。
迅の服装は、白のポロシャツにベージュのロングジーンズという、シンプルなものだ。
「こ〜ら、そこの青年。女心がわかってないぞ?」
どこからか、姉の鏡の声が聴こえてくる。
「女の子はね、初デー……」
「鏡さんッ!!!!」
顔真っ赤っかの御園が、声を張り上げて鏡を黙らせた。息を荒げながら、御園はしばらく呆然としていると、我に帰ったのか、
「ご、ごめん!!大声だしちゃって……」
驚いた様子で御園を見ていた迅に、彼女は何度も頭を下げて謝罪した。だがそれにしても、頭下げすぎである。
「わかったわかったから!頭下げるのやめろって!」
この時、迅はデジャヴを経験した。以前にも、同じように頭を下げる誰かに、それをやめさせたことがあるような………恭介だ。
思ったことをすぐに口にしてはいけないことくらい、迅もわかっていた。でも、この時の迅は、完全に無意識だった。
「御園って…恭介に似てたりしてな」
ピタリ………
御園の動きが、瞬時に止んだ。前髪に隠れ、目の様子は伺えない。
だが迅は気づいた。気づいてしまった。
女の子は頭を下げて謝る時、両手を前に組んでいるもの。御園の組まれていたはずの両手がいつの間にか解かれ、あらん限りの力で握り締められていることに。
迅がそれに気づいてすぐに、御園の身体はプルプルと震え出した。
ヤバい………
不意に投下してしまった大型爆弾が、今すぐにでも爆発しそうだ。
「じょ……」
否、爆発した。
「冗談でも、もうそんなこと言わないでよね!!?」
爆風が及んだのか、鏡は部屋に逃げ込んだ。
「絶対に!絶対に!似てないんだからね!!」
この後、迅は深々と謝罪した。
★
迅と御園の休日は、最悪のスタートを切ってしまった。やはり、嫌いな人間と似てると言われると、心底嫌なのだろう。でなければ、あんなに怒ったりしない。
迅は何度も謝り、御園も許してくれたのだが、なんとなく話しかけづらい。「まだ怒ってたらどうしよう」という不安が、迅の口に封をして開けさせてくれないのだ。
遊園地へ向かうモノレールの中、迅は悩んでいた。
「あの……種原君…?」
迅の隣に腰掛ける御園が、迅の肩を人差し指でトントンと、優しく叩く。
迅は恐る恐る、御園に視線を向ける。
「あのね…もう怒ってないから…大丈夫だよ?怒らせちゃった相手には話しかけづらいのは、わかるんだけど…」
御園は、ションボリとしてしまった。このままではいけない。御園は全くもって悪くないのに、御園まで罪悪感を感じてしまっている。
「このままだと気まずいままだし、遊園地もつまんなくなっちゃうから……ね?」
御園は首をカタッと傾けて、ニッコリと微笑んでみせる。
正直、最後の「ね?」は何が「ね?」なのかわからなかったが、今は御園の笑顔に救われた。
女の子に救われるとは、男として情けない。
「そうだな…悪い、御園」
頭を掻いて苦笑いを浮かべ、迅は御園と目を合わせる。
「「あっ……」」
すぐに、二人とも目を背ける。第三者から見たら、バカップル全開である。
「う…うん……楽しもうね!」
恥じらいを隠しながら、御園は再び笑った。その笑顔はまるで、女神のよう。
「お、おお!思い切り楽しもう!!」
二人の乗るモノレールが、遊園地の最寄り駅への停車をお知らせしたのは、それから数分後のことだった。
★
「あぁ〜遊園地行きたいです…」
公安局環境管理課一係。レベル5のエリートが揃うこの課のエリアを、少女の願いが駆け抜けた。
「お前はただ種原君と篠宮さんを尾行したいだけだろう」
「……そうですけどぉ……」
「そうなのかよ」
やる気ナッシングの妹・輝夜にツッコミを入れる兄・蒼夜と、ツッコミに対する輝夜に更につっこむ海斗。
時刻は午前九時を指したばかり。もうすぐ朝礼が始まろうとしている。
いつもは学校で朝礼に出席しない輝夜、海斗、朝陽も、夏休みの今は早朝出勤だ。
先ほどの三人の会話に入らなかった茜屋朝陽も、気怠そうにデスクに突っ伏している。
『ふっふっふ………』
全員のデスクに備わったパソコンのスピーカーから、中学生くらいの少女の高らかな笑い声が聴こえてくる。
『輝夜先輩♪この私、三枝茂袮が、先輩の願いを叶えて差し上げます』
いつもの伸ばし口調ではなく、キリッとした口調の茂袮を、椎名が窘める。
「監視カメラのハッキングは許さんぞ」
それを聴いた茂袮は、また高らかに笑い始めた。
『ふふふ……まだまだですね〜椎名さん……監視カメラのハッキングなんかしませんよぉ〜犯罪ですからねぇ〜』
「……じゃあ…どうするのよ」
口を開いたのは朝陽。体制は相変わらず、机に突っ伏したままだが。
『朝陽先輩を遊園地に行かせればいいのですよぉ〜』
次の瞬間には、朝陽は立ち上がっていた。
「はぁ!!?何言って……私、巡回あるんだけど!?」
ただならぬ動揺の仕方をおもしろがりながら、茂袮は朝陽を言い負かす。
『だって〜朝陽先輩の今日の巡回区域には、遊園地もあるんですも〜ん』
引きこもりの茂袮が、どんな顔して言っているのかはわからないが、絶対に勝ち誇った顔をしているのは間違いない。
「そうだな…遊園地は人も集まるし、異常患者が出てもおかしくない。茜屋、行くべきだ」
「椎名さんまで…!!」
椎名にまでそう言われ、朝陽は裏切られた気分になる。そんな朝陽に追撃をかけるのは、蒼夜。
「でももし、茜屋さんが遊園地に行って、二人が仲良くしてるところを目撃したら、茜屋さん、多分篠宮さんに嫉妬しちゃうね」
「なんでですか!?なんで私が嫉妬しなきゃいけないんですか!?」
「だって…朝陽……」
トドメを刺したのは、輝夜。その顔は、笑いをこらえようとしているが、まったくこらえることができていない。
「先月、迅さんに褒められた時…うっとりしてましたもん」
「うあああああぁぁぁッッ!!!」
朝陽が、沸騰した。沸騰どころの話ではない。噴火した。怒りではなく、恥ずかしさのせいで。
輝夜が言っているのはおそらく、先月の迅vs朝陽の模擬戦のことだろう。結果は迅の勝利だったが、迅は御園の作戦を、後で褒めていた。
「う、ううっとりなんかしてないわよ輝夜!!ほ、褒められて嬉しくない人なんかいないじゃない!!」
「おやおや?朝陽はもう、いつの話なのか察しがついてるみたいですね?やっぱり、印象的だったとか?」
「輝夜ぁぁぁぁぁッッ!!!」
朝陽の恥辱に満ちた奇声が、部屋中に響き渡る。
この猪狩輝夜、狙われたら勝てる気がしない。密かにそう思う男性陣。女性である朝陽でもああなのに、勝てるわけがない。
「助けて…海斗先輩」
まだ何も言っていない海斗に、朝陽は救いの手を求めた。
「裏切られた女性ほど、屈辱的な顔をするものだ」という、海斗の心に潜む闇が、海斗に朝陽を裏切らせる。
「いっておいでよ。遊園地」
悪意に満ちた笑みを浮かべる海斗。
とことんいじられまくった朝陽、とうとう「被イジリ容量」が限界を迎えたのか、彼女は泣き出してしまった。
「そんな…海斗先輩まで……」
一同の視線が、海斗に集中する。
「あ、泣かせた」
と、蒼夜が。
「ペナルティを課そうか」
と、椎名が。
『女の敵ですね』
と、茂袮がスピーカーの向こうから。
「あ〜あ、海斗さん……」
と、輝夜がため息を。
「え、なに?俺だけのせいなの?それは違くない?ねぇ皆さん、ねぇ?」
シーン……
海斗に聴こえたのは、朝陽が鼻を啜る音のみ。海斗の命乞いは、儚く終わった。
To be continued……