『音響世界-サウンドスケープ-』
仮想現実世界に入り、最新の身体記録をもとに作成された迅のアバターが、現在の東京を模した街に転送される。
上着はジャージ、下は高校の制服だろうか。どちらにしろ、動きやすい格好だ。腰に巻かれたベルトには、〈デュランダル〉が備えられている。
迅が転送されたのは、東京と言っても、少し都心から離れた、緑の多めな公園だ。大きな噴水が一際目を引く、野鳥の囀りが心地良い場所。
辺りを見回すと、鞘に収められたままの刀を手にした、河辺恭介が、ゆっくりと歩み寄ってくる。
迅も恭介の方へと歩き、対峙して足を止める。
二人の距離、約十メートル。
両者、鞘から刃を抜き出す。
「怖気づかずに来ましたね。そこだけは褒めてあげます」
「そりゃどうも」
上からで達者な口調の恭介を、迅は軽くあしらう。
「まぁ、あんたなんかが俺に勝てるわけないですけど。哀れにも向かってくるというのなら……」
「口じゃなくて、実力で示せ」
恭介を、迅は言葉でズバッと斬る。
恭介は、納得いかなそうに迅を睨む。
「じゃあ…始めましょうか。かかってきてください」
とことん生意気でムカつく野郎だが、御園から恭介の能力の詳細を聞き忘れた迅は、小手調べに恭介に斬りかかる。
恭介は迅の振る〈デュランダル〉を受けずに全て避けて、迅に空振りによる隙を作らせようとしている。
迅は、その隙を突かれるのを覚悟して、もう少し様子を見ながら剣を振ることにした。
右肩をめがけて、次は左肩、左肩から右下に斬りおろすように、正面からの突き、上半身と下半身を両断する横一線。ありとあらゆる攻撃を仕掛けたが、恭介はすべてを回避した。それも、刀型リジェクター〈キテン〉で、一回もたちを受けることもなく。どこに刃が向けられているのか、すべてお見通し、とでも言うように。
迅は、恭介の能力を推測し、それが正しいか確証を得るべく、もう一度斬りかかった。
案の定、恭介は躱す。
やっぱり、ね………
迅は斬りかかった際、恭介の顔を見ていた。否、正確には目を見ていた。迅が斬りかかる瞬間の、恭介の視線の向きを。
迅が斬りかかる瞬間、恭介が見ていたのは、迅の振る〈デュランダル〉の刃ではなく、迅自身。なのに、恭介は迫る刃を全て避け切っている。
このことから、迅は恭介の延長能力について、二つの選択肢にまで絞り込んだ。
一つ目は、未来予知の能力。
二つ目は、超鋭敏感覚の能力。
そしてすぐさま、前者の可能性を否定した。
もし前者、未来予知の能力を持っているのなら、迅の初撃を予知して、すぐに隙を突くことができただろう。だが、それをしなかったということは、迅の攻撃が当たる寸前まで、どこに刃が当たるのかはわからなかったということだ。よって、未来予知の能力の可能性は皆無となる。
この推理を瞬時に行えるのも、迅の延長能力【超速演算】の賜物だろう。
恭介の能力が、超鋭敏感覚の能力だろうと確信を持ったところで、攻撃を避けられた迅は、大きく飛躍して距離を取る。
すると、なにを勘違いしたのか、恭介は肩を震わせて笑い始めた。
「フフフ…フフフッ……手も足も出ないでしょう?だから言ったんですよ。あんたは木偶の坊だって」
まだお前からも攻撃を受けてもないんだけどな、というツッコミをいれてやりたかったが、大人な迅は言わないでおいてあげた。
「全然攻撃が当たらないでしょう?それはそうですよ、俺の超鋭敏感覚の延長能力【音響世界】をかい潜り、俺に傷を負わせることができる者など、いませんから」
「そう?ならお前は今頃レベル5だ」
ついポロッと本音を零してしまったが、正論なので誰も異論は唱えないだろう。
何より、勝手に能力をバラしてしまうあたり、愚か者にもほどがある。
迅の推論が大正解だったと証明されたところで、迅は仕上げの作戦を立てる。
恭介に勝つ方法など、数えきれないほどあるが、どうせなら、恭介の吠え顔を拝みたい。
恭介は、絶対回避の能力を百パーセント信用して油断しまくり、余裕綽々だ。その緩みまくった神経を、思い切り……斬る。
「どうしますか?まだやりますか?勝ち目はないですよ」
恭介から向けられる侮蔑の笑み。
弱い獣ほどよく吠える、というのは、まさにこのことを指すのだろう。
「俺はこの木偶の坊をボコボコにしてくれと、頼んだはずだが?」
「…なるほど、まだやりますか」
哀れです、と、恭介はほくそ笑む。
この時、恭介はまだ気づいていない。今、迅が使える武器は〈デュランダル〉だけではなく、腰の背中側、つまり恭介から見て死角の部分に携えられた補助リジェクター〈光剣〉に。
「はああぁぁッッ!!!」
迅は大きく振りかぶり、恭介を頭から一刀両断するつもりで剣を振り下ろす。恭介はそれを、左に飛び退いて回避する。
迅は即座に右手に〈デュランダル〉を持ち替え、追撃を図る。
「無駄無駄♪」
上機嫌で、恭介は身をかがめた。迅の剣は恭介の頭上を儚く舞う。
そして恭介は、無防備の迅の腹部をめがけて、刀型リジェクター〈キテン〉を振る………
ブスッ
斬られたのは、否、刺されたのは恭介。
恭介の目の前には、自分の眉間から伸びる〈光剣〉の刃があった。
恭介が振るった〈キテン〉は、自分の武器を捨てていた迅の右手の刃に、寸でのところで止められていた。
頭をひと突き。即死である。恭介のHPゲージは、ものすごい勢いで左端へ達してゼロを示し【Dead】と、敗北を意味する文字が表示される。
絶対に避けられるという過信から生まれた油断と、迅は武器を一つしか使っていないという思い込みが齎した、河辺恭介のあまりにも無様な大敗北劇が今、幕を降ろした。
★
「ダッサ」
模擬戦を終えた恭介に向かって、最初に御園がぶつけた言葉がそれだった。
まあ、そう言われても仕方のないやられ方ではあったが。
「何が勝って見せますよ、よ。情けない男だね。恭介くん」
今でも十分に怖い御園だが、この直後、御園はさらに恐ろしさを増す。
「しかも…種原君を"木偶の坊"呼ばわりしたよね……?」
迅の背筋にまで、ゾゾゾッと寒気が走り抜ける。
「そ…それは……」
「したよね?」
「……はい」
「最低。それだから椎名さんに勝てないんだよ」
河辺恭介、完膚なきまでに叩きのめされたり。哀れすぎて、目も当てられない。
「ほら、種原君に謝って」
御園は、恭介を迅に謝罪させることで、怒りを収めるつもりなのだろう。恭介にも、ここで謝らないとデメリットしかないため、恭介は渋々、迅に謝る。が、
「すみませんでした」
「気持ちがこもってないなぁ…」
御園から、強く指摘される。
指摘された恭介が、御園に再度指摘されることなく謝るにはどうするか、迅には検討がついていた。
こういう時、渋々謝る人間にはプライドがない。つまり、軽々しく地に頭をつけるわけで………
恭介は土下座した。
それを、今度は迅が制止する。
「やっぱり…土下座した。土下座はするな。頭上げて」
恭介はゆっくりと頭をあげた。彼の表情は、「俺どうすればいいの?」って感情に満ちていた。
「いいか?お前は俺をとことん馬鹿にして負けた。超カッコ悪い男なわけ」
恭介の顔に、うっすらと怒りが見えた。反省の色なしだ。
「でもな、そんなカッコ悪いヤツに馬鹿にされた俺も、すっげぇ恥ずかしいわけ」
うっすらだった怒りが、倍増した。まったく、反省の色なし。その恭介の様子に気づいている御園の怒りも、増えていっているのだが。
「恥ずかしいのは嫌なんで、お前には強くなってもらう」
御園と恭介の表情が、少し緩んだ。予想外の展開だったのだろう。
「御園、次の昇格戦っていつ?」
「え?んーっと…十月かな」
「OK。じゃあ恭介には十月までありったけ鍛錬してもらって、その成果を昇格戦で見せてもらう。俺が認めるくらい成長してたら、お前を許してやる。いいか?」
まったく反省していない恭介は、迅にそっぽを向けると、
「別にあんたなんかに許されなくても死にませんから」
と、爆弾を投下した。
御園が大爆発しそうだったので、迅が半ば慌てて口を開く。
「無理ならいいよ?拒否しても。そっか、根性ないから無理か。残念だなぁ」
恭介は、キッと迅を睨みつけ、頭を掻き毟りながら喘いだ。
「ああ〜〜もうっ!!やりゃいんでしょやりゃ!!やってやりますよ!!」
「おう。また口だけじゃないことを祈ってるよ」
迅の返事を聴く前に、恭介は走って逃げてしまった。
そんな彼を見やりながら、御園が迅に問いかける。
「いいの?あれで。私、期待できないんだけど」
「さあね。本人次第だろ」
「あとね…種原君。言い忘れてたんだけど………」
御園は申し訳なさそうに、両手の指をモジモジして言った。
「昇格戦なんだけど……種原君に話したのは個人戦の話で、実は団体戦もあるんだ」
「……へ?」
御園があそこまで申し訳なさそうにする必要はない話の内容だったが、迅は少し驚いてしまう。
「ルールは個人戦とほとんど変わらなくて、トーナメントで勝ったチームのメンバーに、レベル5に挑戦する権利が与えられるんだ」
御園は、さらに付け加える。
「でも唯一、個人戦で違うのは…そのトーナメントにはレベル5の人間も参加しなきゃいけないってところ」
「………え?」
迅の素っ頓狂な声が、再度空間をこだました。
To be continued……