『研究室にて』
どうして…こんなことに………
これは、御園の心の叫びである。
御園が今立っているのは、迅の家の前。玄関扉の前に、大きなキャリーバッグに手を置き、大きくため息をつく。
公安局襲撃事件から一夜明けた土曜、御園は朝っぱらからドキドキしっぱなしだった。なぜなら…
「だって…だって……」
プルプルと肩をふるわせて、御園は目の前の扉の表札を見上げる。
「男の子の家に居候なんてーーー‼」
しかも、御園が好きな男の子の部屋である。ココ凄く重要。御園にとってはテストに出るレベル。
明らか挙動不審になっていると、扉がガチャリと開けられ、中から迅がひょこっと顔を出した。
「まだインターホン押してないのに!!」
「…いや、鳴らさんでも騒ぎ声聴こえてたから…落ち着けよ御園」
少し来るのが早かっただろうか。迅はまだ寝起きの格好だった。寝癖がついていて、まだ眠そうな顔をしている。そんな迅でも、御園には輝かしく見えている。
「まぁ、とりあえず入れよ。外で待たせるのも嫌だし」
「あ…うん。お邪魔します」
迅は御園のキャリーバッグを持ち家に入ると、御園を空いている部屋に案内する。
恋する女の子たる者、好きな男の家は隅々まで目を向けるのだ。御園は迅の家を隈なく、凡ゆるところを見る。
「きゃあぁッッ!!!?」
キッチンの入り口前を通った途端、御園は突然誰かに抱きつかれ、バランスを崩して倒れ、壁に激突した。
痛みに耐えながら、何事かと目を開けると、そこには女の人が。
「いらっしゃい、御園ちゃん」
「言葉遣いと行動のギャップがあり過ぎだろ」
すかさず迅にツッコミを入れられたのは、迅の姉である鏡だ。
花柄のエプロンを身につけ、鏡得意の「お玉持ったままハグ」が、見事に炸裂していた。
迅は深ーいため息をつくと、御園から鏡を引っぺがした。
「悪いな、御園。この大人っぽい言葉遣いのくせに幼稚な女の人は俺の姉の鏡だ。苦労をかけるかもしれないけど…よろしく」
「大人で幼稚な鏡です。よろしく」
「よ…よろしくお願いします」
大人なのか幼稚なのかどっちなのか、最早わからなくなってしまった。
鏡は、居間の隣の部屋を指指すと、
「御園ちゃんの部屋はあそこよ」
「そこは俺の部屋だ」
すぐに訂正する迅。
鏡は笑顔でクルリと反転し、キッチンに戻ろうとする。その間際に、
「今日は御園ちゃん歓迎会をやるから、お姉ちゃん、ひと肌脱ぐわよ〜」
「おうおう…頑張れ頑張れ」
「すみません…気を遣わせてしまって……」
「気にしなくていいのよ」
鏡はキッチンに戻り、調理を再開する。
その間に、迅は御園にトイレや風呂場などを案内し、最後に御園の部屋へと向かった。
「御園の部屋はここな。もともと父さんと母さんの寝室だったから、ちょっとした家具とか、ダブルベッドも余ってるんだ。一人だとデカイかもだけど、使っていいから」
「あ…うん…ありがとう」
そう言って、御園は部屋へと入っていく。キャリーバッグを壁際に置き、部屋をぐるりと見回す。
「ゴメンな、狭い部屋で。何か足りないものがあったら言ってくれ」
迅が申し訳なさそうに、言う。
御園は、身振り手振りで「そんなことないよ」とアピールする。
「私こそ、突然居候なんて…」
「実際、一人暮らしだと危ないしな」
「でも…公安局に居候すれば、問題ないんじゃ…絵怜奈ちゃんみたいに」
「そしたら、この前みたいにまた奴らが公安局を襲撃したら、お前は直ぐに誘拐されちまうだろ」
迅の表情が、固くなる。
「それに」
迅は続けて何かを言おうとしていたが、鏡が背後から覗いているのに気付き、少し躊躇ってしまう。
「それに?」
部屋の中にいる御園は、そんなことを知るはずもなく、迅の言葉の続きを急かす。
迅は一歩御園に近づき、一度深呼吸をして、「それに」の続きを口にする。
「……御園が公安局に住んだら、俺が直ぐに助けに行けない。パートナーなのに、そんなんじゃダメだと思う。だから……ダメなんだ。公安局じゃ」
頬を赤くして、迅は御園に目を合わさないで言った。完璧な照れ隠しだ。
御園はそんな迅を見て、自分の心臓が高鳴っているのを感じた。
ただでさえ迅のことが好きなのに、どんどん惚れていってしまう。要は迅にゾッコンというわけだ。
それを自覚してしまうと、一気に恥ずかしくなってしまう。
御園は、赤くなりそうな顔を、両手でペシッペシッと、叩くと、迅に今日一番の笑みを浮かべた。
「うん、ありがとう。種原君」
「お、おお……」
両者、頬をほんのり朱色に染め、お互い顔を見つめ合う。一言も声を発さず、数秒の沈黙が流れる。
あ、今すごく良い雰囲気かも…
御園が、ふと思う。今こそ、告白のチャンスだったりするのだろうか、と。
御園は、頬を先ほどよりも赤く、熟れたトマトのような色にして、マジマジと迅を見つめる。しっかりと、迅の双眸を見つめる。
大きく息を吸って、勇気を出し、覚悟を決め、口を開いた、その時、
「お二人さ〜ん。良い雰囲気の所悪いんだけど、ご飯できたわよ」
エプロンを既に脱いでいる鏡が現れ、良い雰囲気は完全にぶち壊される。
「あ、おう。行こうぜ、御園」
「……うん」
御園は、迅の後に続いて、食卓へと向かう。
せっかく出した勇気と、決めた覚悟が、水の泡となってしまった。
心臓のバクバクも止まらないし、今すぐにでも布団を被りたい気分だ。
「……ハァ………」
迅は、ドッと疲れを感じて、息を漏らす。
種原鏡。
確かに苦労させられそうだ………
★
警視庁。地下五階。警視庁の人間でも、ごく僅かな人間しか入る事が許されない、超極秘エリア。
そこに、一人の男が入り、コツコツと足音を立てながら、最奥部へと進んでいく。
その道中、通り過ぎる部屋からは人間の呻き声が聴こえてくる。
苦しそうに、何かに抗っている。
そう、ここは研究室。それも、完全な人権侵害に値する、人体実験が行われる研究室だ。
男は、その呻き声などまったく気にせずに、奥へと足を進める。
やがて最奥部に到着、そこにあるのは、扉。
男は、その扉をゆっくりと開け、扉の中のものに恐れることもなく、部屋へと入っていく。
「おぉ、来たか。犬神」
「鳶浦博士。苗字で呼ばれるのは嫌いだと言っただろう。大河と呼んでくれ」
中にいた白髪の博士、鳶浦由鐘に、犬神大河は不満を垂らす。
「で…用はなんだ?俺も、実験体の呻き声を聴くのはあまり好きじゃないんだが」
大河は、ポーカーフェイスをキープしつつ、小さな弱音を吐く。
由鐘は、「すまんすまん」と言いながら、壁際のスイッチを押す。
すると、手術台真上の蛍光灯が点灯し、手術台に寝かされている、人間のような何かが鮮明に見えるようになる。
その"人間のような何か"はツギハギだらけで、もう生きているようには見えない。
「こいつが例の『死人形』か…」
「そうじゃ。VR世界で動かすアバターの動きを、この『死人形』とリンクさせることで、我々は延長能力とやらをこちらの駒として操ることができるのじゃ」
雄弁する由鐘と、人体を手術によって改造され、かなりの筋肉質になっている『死人形』を隈なく見つめる大河。
「この『死人形』が生前から持っていた延長能力は?」
「おそらく、超音波に似た波動を声で起こすことができる能力じゃ。かっこいい呼び方とかじゃったら、公安に聞くといい。それと、この『死人形』はまだ生きとるぞ。死んどるのは脳だけじゃ」
「それはもう、死んでるも同然だろう」
大河は呆れながら向きを変え、由鐘の方を向く。
「こいつを使えるのはいつ頃になる?」
「そうじゃのう…まだ肉体手術が完了しただけじゃからの…アバターとのリンクには、もう一ヶ月くらいかかるかの」
「そうか」
大河は再び向きを変え、今度は先ほど通ったばかりの扉へと向かう。
まさに今、帰ろうとしている大河に、由鐘は訊ねた。
「『死人形』が完成したら…どうするんじゃ…?"AOA"隊長さんよ」
「…………決まっているだろう」
長く間を取った後、由鐘の問いを愚問と定める大河。その眼にあるのは、怒り、恨み。
「能力者共を…皆殺しにする」
大河の脳裏に、二年前の悲劇の映像がフラッシュバックする。
せっかく四年前の大感染を家族全員で生き残ったというのに、その二年後、犬神家は、延長能力を持っていたと思われる強盗団に家を放火され、大河を残し、他の家族は焼死した。
あの日、火傷を負っているにも関わらず、炎の海の中に飛び込もうとした自分。そんな自分を止め、残った家族を助けようと火の中に飛び込み、そのまま帰らぬ人となった父を、大河は忘れない。無論、他の家族の事も。
「能力者など…もう人間ではない」
そう言い残し、大河は研究室を出た。
To be continued……