『そのまさかです』
警視庁での取り調べを終え、公安局本部へと戻ってきた迅は、建物に入るなり環境管理課の部屋を目指す。
二度も蹴られた脇腹が痛むが、警視庁の医務室で治療をしてもらった時は、骨に異常はないと言われた。我ながら、頑丈な体だと思う迅。
だが、しばらくは出動禁止と言われそうな予感が、迅の脳裏を過った。頭には包帯を巻いているし、服に隠れてはいるが、腹部は頭の包帯なんか比べ物にならないくらい包帯がぐるぐる巻きにされている。客観的に見て、とてもじゃないが出動できる状態ではない。おそらく椎名は、迅が大丈夫と言っても出動は許さないだろう。
そうなると、コンビを組んでいる御園も、迅とともに公安局本部で待機ということになるのだが、迅にとっては都合が良い。
「お疲れ様です」
環境管理課の自動ドアを通ると、椎名のデスクの周りに、引きこもり少女・茂袮を除いたメンバー全員が身を寄せていた。
「ケガは大丈夫か?種原」
最初に口を開いたのは椎名だ。
迅は頭の包帯がない部分をポリポリ掻きながら、苦笑いを浮かべた。
「とりあえず、元気ではありますよ」
「そうか。直ぐに完治する、と解釈していいんだな?」
「はい。多分一週間くらいあれば治りますよ」
「それはよかった」
椎名は安心して吐息を漏らすと、軽く咳払いをして表情を強張らせた。
「よし種原。昨日の事件のことを詳しく説明してくれ」
迅はコクリと頷き、昨夜の事件について説明した。
白雪絵怜奈が何者かに操られていたこと。
白兵戦に長けたチャラい男が仲間にいたこと。
そして絵怜奈を操っていたのはそのチャラ男ではなく、また別の人物だったということ。
「人を操る…洗脳か。特質な声で相手を催眠状態に陥らせる延長能力か」
「となると、騒音完全除去装置が必要ですね」
猪狩蒼夜・輝夜の兄妹が、意見を呈した。
声で相手を操る延長能力。自分の意志に関係なく体を支配されるため、とても恐ろしい能力だ。
だが、まだ勝機はある。
「その洗脳系の延長能力を使う有能者、多分ですけど戦闘はあまり得意じゃないみたいです」
小さく手を挙げ、迅は言った。
昨夜、迅が襲われた時、確かに暗闇の中に人影が二つあるのを迅は確認した。その内の一つはチャラ男の影が、残った一つの影の持ち主が、姿を鮮明には現さなかった。三人がかりで戦えば、迅にもっと簡単に勝てていただろう。
なのにそうしなかったということは、催眠系能力の使い手が、戦いをあまり得意としていない、ということだ。
「でも、もし本当に戦闘が苦手なら、私たちに堂々と姿は見せないと思う」
御園の意見に、一同が首を縦に振る。
それもそうだ。戦闘が不得手なのに戦場に出たら、殺してくださいとお願いしているようなものだ。本当に戦闘が不得手なら、何処かに隠れて他人を操るはずだ。
これなら、先に洗脳系の有能者を仕留めるのが適策だが………
「あれ、そういえば」
迅の思考回路に、ある素朴な疑問が芽生えた。
「絵怜奈とか、もう操られてる人の解放って、どうするんですか?洗脳系の有能者を先に仕留めるにしても、絶対他人を操って、そうはさせてくれないと思うんですけど……」
迅にとってはとても重要な質問だと思ったが、その答えはあっさりと返ってくる。
「それは大丈夫ですよ。私がなんとかしますから」
「……輝夜?」
輝夜が微笑んで、心配ない、と訴える。
輝夜も何か延長能力を持っているのだろうか。それとも彼女の"リジェクター"に、なんとかできる機能がついているのだろうか。
凡ゆる可能性が、迅の思考を巡った。
「よし。また連中が現れたら、輝夜を中心にして戦ってもらう。細かいことは、私がその時に指示を出す」
皆が椎名の言葉に同意し、頷いた。その後、椎名な椅子から立ち上がると、
「よし。昨夜の事もある。注意しながら巡視にあたってくれ」
了解、と揃えて答え、それぞれの巡視区域へと向かう準備を整える環境管理課のメンバー。
巡視は、街で突然異常患者が出現した際になるべく速く駆けつけられるよう、毎日区域を決めて行っているパトロールだ。
いつでも戦闘可能にするため、"リジェクター"は持ち歩かなければならない。それは、日常生活でも変わらないのだが。
迅もいつも通り、巡視に向かおうと〈デュランダル〉の入ったケースを背負う。だが、
「種原。お前はケガが完治するまでココで待機だ。篠宮、種原のパートナーなんだから、お前もな」
案の定、椎名に止められてしまった。当たり前とはいえ、少し情けない気持ちになってしまう迅。
「悪いな、御園」
申し訳なさそうに、迅は御園に謝罪する。すると御園は、あたふたと手を振って、
「謝ることないよ。早くケガ治さないとだしね」
優しく、迅に微笑みかけた。
迅も同じように笑みを浮かべると、
「ありがとな」
小さな声で、迅は呟いた。
数分して、環境管理課の部屋は、迅と御園、椎名の三人だけになった。
迅は自分のデスクに着き、昨夜の事件についての事後報告書を記入しながら、少し葛藤しながら口を開いた。
「あの…本当は皆がいる時に話すべきだったんだけど…今、いいですか?」
御園と椎名が視線を上げ、迅にそれを向けた。
「それなら、皆が帰って来てから話したらどうだ?」
椎名の言うことは最もだが、迅は横に首を振る。
「まだ確証はないので…確かじゃない情報を、皆に伝えるわけにはいかないので」
「……そうか」
椎名も納得したようで、迅の言葉に耳を傾けようと姿勢を正した。
御園も、同様に迅を見つめている。
「先日、一瀬信樹と名乗る男から、公安局内ネットをハッキングして行われた放送がありましたよね?」
御園と椎名が、うん、と頷く。
「その時一瀬は、公安局に『神』になり得る人物がいて、その人物を狙ってるから環境管理課の新人君は邪魔するな、って言ってたの、覚えてますか?」
「ああ…確かに……」
「言ってた気がする」
「環境管理課の新人君って、どう考えても俺のことですよね?」
「……そうだろうな」
迅の再三の質問に、二人は頷いて答える。
「つまり一瀬は、狙ったら俺が必ず邪魔をする人物が、『神』になり得る人物だと言っていたんです」
迅のこの言葉に、椎名はハッとする。どうやら気付いたようだ。
「まさか……!!?」
「おそらく…そのまさかです」
迅に、邪魔するな、と前もって忠告したということは、迅はほぼ間違いなく、その人物が連れ去られる現場に遭遇する、ということを示している。
その人物は、公安局員の中で、迅との接点が多い人物。
つまり…………
「御園…『神』になり得る人物っていうのは…お前だ」
迅のその言葉を聞いた御園は、まだ状況を理解できていないとでも言いたげに、ポカンと迅を見つめていた。
To be continued……