『ほっとけ』
「君たち、今朝あの金髪美人の剣道部主将の白雪絵怜奈と口論になったって本当か?」
この日の公安局本部での仕事は、海斗のこの一言から始まった。
「何が『本当か?』だ。お前も他人事にはできないんだぞ」
「うーんわかってるわかってる。俺も教室で睨みつけられたから」
海斗は、ハハハと笑いながらそんな事を口にしている。
今朝、迅と御園は、剣道部の主将・白雪絵怜奈と口論になった。
その理由は、先日異常患者となり帰らぬ人となった、殿町優斗。
この口論は、絵怜奈の自己過信的な発言に腹を立てた迅が正論を並べて終わらせられたのだが、この口論の話はあっという間に校内に広がり、『公安局の種原は怒るとマジ怖い』という噂が広がってしまったのだ。御園の方は、今のところ音沙汰なしのようだが。
「種原。感情的になるのは良いが、公安の機密事項まで勢いで話したりするなよ。今のお前ならやり兼ねないぞ」
「大丈夫ですよ。今はまだ、俺は公安の機密事項とか聞かされてないですし、そもそもバラす内容がないので」
椎名の忠告に、サラッと受け答えする迅。その迅を見て、椎名は頭を抱え、
「お前に機密情報は教えられないな……」
と、うな垂れる。
『私は公安局の機密事項とか、簡単に流出させられますけどね〜』
インカムから、軽い口調でえげつない事を言う声が聞こえてくる。
声の主は、この公安局内の何処かに居る引きこもり天才ハッカー・三枝茂袮だ。
さすがの迅も、ノリで公安局の機密情報が流されそうだという不安に襲われ、顔を青ざめさせた。
「い、いや茂袮ちゃん…茂袮ちゃんが言うとなんか今すぐにでも拡散されそうで怖いよ……」
正面に座る御園も、茂袮の凶行に怯えていた。
『やだなぁ〜ジョークですよぉ〜。やらないに決まってるじゃないですかぁ〜』
天才ハッカーがコンピュータ関連のジョークを言うと、ジョークには聞こえなくなるのは気のせいだろうか。
恐るべし茂袮。
「あれ、そういえば白雪の髪って地毛なのか?それとも染めてる?」
「え、種原知らないのか?」
「何を?」
この時、迅の頭から、絵怜奈がクラスメイトだという事実が消えていた。そのため、平然と首を傾げる。
「ったく…クラスメイトだろ?それくらい知っとけよ………」
「あ…忘れてた」
「忘れてたって、クラスメイトだってことを?」
迅はコクリと頷き、海斗がハァ〜とため息を大きく吐き出す。
「白雪さんの本名は"ホワイト・絵怜奈・アルフィード"。イギリス人のお父さんと日本人のお母さんを持つハーフだぞ」
「へぇ〜そうだったのか」
「え、マジ種原。反応薄くない?」
「だって俺、あいつのこと苦手だし」
「お前、卒業までに必ず損するぞ」
「ほっとけ」
迅と海斗の会話を聞きながら、蒼夜が羨望の眼差しを二人に向ける。
「良いねぇ…青春って」
「ああ、懐かしい感じだな」
椎名も、うんうんと蒼夜に同調する。
椎名はそれなりの歳なので仕方ないとしても、蒼夜はまだ成人はしていない。十九歳だ。まだ学生時代の思い出にふけるのは早い気がしないでもないが……
「私の学校にも、金髪じゃないですけど、白髪の美人はいますよ」
輝夜が話題提供を試みた。
すると食いついたのは蒼夜。
「本当か輝夜」
ああ、この人こーゆー人なのね。
迅は海斗との会話の合間にこの場面を目撃し、蒼夜の性格についてひとつ理解した。
「本当ですよお兄ちゃん。ね?朝陽」
「ちょっ…私に振らないでよ…あんな色気女、興味ないし」
輝夜に話を振られ、相変わらずのツンデレを発動させている朝陽。その表情は、苛立ちに満ちていた。
すると輝夜はニヤリと笑って、
「そういえばこの前の朝陽なんですけど、その白髪の美人の人の胸元をじっくり見てから、自分の胸の前に手を当ててました。明らかに白髪美人さんの方が大きかったです」
「かぁぁぁあぐぅぅううやぁぁぁぁあああああッッ!!!!!!」
朝陽の雄叫びが室内にこだまし、輝夜が「てへぺろっ♪」なんてやって誤魔化している。
前々から勘付いてはいたが、やはり輝夜はこういう人なのだ。しっかりと理解する迅。
個性豊かなメンバーが揃った所だな、と思いながら座り直して居ると、迅は御園の不審な動きに気付いた。
御園にバレないように様子を窺ってみると、
「…うーん…大きいのかなこれ…でも小さいかも……」
自分の胸の前に手を当て、何やら計測中の御園。
「お前も気にしてたのかよ」というツッコミが喉元まで出かけたことは、誰にも言えない秘密だ。
「……ん?」
が、迅の視線にはしっかり気づいてしまった御園は、胸の前に当てていた手を勢いよく下げると、顔を耳まで赤く染めて迅を睨みつける。
「……見た?」
「誤解を招く問い方をするな。でもお前が自分の胸の大きさを気にしているところはバッチリ見た」
バレてしまった以上、仕方ない。
迅は思い切り開き直ってドヤ顔で言ってやった。からかいの情も、少しは混ざっていたが。
「…バババ…バ、ババ……」
「……へ?」
ほんの少しの静寂の後、
「バカーーーーーーッッ!!!!」
勢いよく立ち上がった御園の腰元のホルダーから、またも勢いよく取り出された〈シムナ〉の銃口が、一瞬で迅に向けられた。
「ちょっと待て御園さん!!?それは犯罪だ!!!」
迅は学んだ。
御園をからかうと、命が危ない。
★
学校帰りの通学路。
剣道部の練習が少し長引いてしまい、辺りはすっかりと暗くなってしまっている。
もう陽はとっくに沈んだというのに、今夜は熱が全く冷めていない。熱帯夜というヤツになるのだろうか。暑苦しい夜は御免だ。
なんてことを考えながら、ひと気の少ない帰路を歩く絵怜奈。
今日の絵怜奈に残ってしまったのは、後悔だけだった。
なぜ、公安の二人に喧嘩腰に話しかけてしまったのだろう。
という後悔が残ったのだ。
結果的に論破されて恥をかいて終わっただけで、絵怜奈に利はなかった。
優斗を異常患者化させてしまったのは公安局の過失だが、救えたかどうかは別の話だというのは、話しかける前からわかっていた事。
なのに、なぜ……
優斗が、絵怜奈の好きな男子だったからだろうか。自分勝手な恋、片思いの対象だったからだろうか。
絵怜奈は首を勢いよく振り、金色の髪を靡かせる。
理由はどうあれ、迅と御園、あの場にはいなかったが海斗には失礼な事を言ってしまった。これは何かしらで償わなければならない。
「明日…謝ろう」
暑い夜空に浮かぶ、微妙に欠けた月を見上げながら、絵怜奈は家路を歩む。
すると背後から、
「謝る必要はないわ。あなたは正しいもの」
「誰!!?」
振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。
服装は制服だが、第三高校のものではない。長い黒髪をポニーテールで結い上げている、見た目はとても綺麗な女子高生だ。
「そんな怖い顔しなくても大丈夫よ。私はあなたの味方だから」
「私の…味方?」
ポニテの女子高生はどんどん絵怜奈に近づいていく。
「そう。私は天童五海。あなたには、私の言う通りに動いてもらうわ」
「言う通りって…何言って……」
絵怜奈の声は、天童五海の"質"が変わった声によって遮られた。
「『私の言う事を聞きなさい』」
まるで、電子音声と普通の声を同時に流したようなその声は、絵怜奈の意思を真っ向無視して、絵怜奈の身体を操り始めた。
「はい…わかりました」
「良い子ね」
天童五海の声が、絵怜奈の神経を支配する。いや、精神を支配しているのだ。
「『では…一緒に行きましょうか』」
「はい、わかりました」
天童五海と共に、絵怜奈は暑苦しい夜の闇の中へと消えていく。
この日、白雪絵怜奈が、自宅へ帰る事はなかった………
To be continued……