『「神」になり得る者』
公安局の局内ネットをハッキングして行われ始めた、一瀬信樹を名乗る男の放送。
彼が単刀直入に告げた『真実』を、迅も御園も半信半疑で聞いていた。
環境管理課では椎名が、タイピングしていた手を止め、スピーカーをギロリと睨み、小さく唸った。
「…アイツ………」
場所は食堂に戻り、迅と御園は耳に飛び込んでくる、にわかには信じられない一瀬信樹の言葉に耳を傾ける。
「"実験台"…?」
「東京が?東京に住む人たちが、ってこと?」
もし本当なら、東京全域に混乱を引き起こす事になる。
話の内容と信憑性によっては、公安局はこのハッキング事件の公表を控えるだろう。
『"ポストヒューマン"という言葉を知っているかな?』
想定外のワードの登場に、迅は一瀬信樹の目的を掴めずにいた。
"ポストヒューマン"という言葉を、迅はもちろん知っている。
『"ポストヒューマン"。基本的身体能力は人間以上、もはや人間と呼ぶ事のできない存在の事をそう呼ぶ』
人間と呼ぶ事ができない存在。
一体それがどうしたというのだろうか。
『日本語では"人間進化"と書かれる事が多く、あくまで仮説的な種ではあるが、"ポストヒューマン"に関する説はいろいろあり、中には、現在の人間の立場から見て、"ポストヒューマン"は「神」のような存在だ、という考え方がある』
「…神?」
『この場合の「神」とは、存在する形態が高位になる、という意味ではなく、知識や技術が高位過ぎる故に、人間が理解できないという意味らしいのだが、我々は本来の意味の"ポストヒューマン"に興味はない』
「…何言ってんだ…コイツ」
『何言ってんだコイツ、と思った諸君、答えは簡単だ。形態が高位過ぎる存在こそ、この世界を統べるに相応しい「神」だと、私は諸君らに理解してもらいたい』
「…まさか」
『勘のいい者は気付いただろう。我々の目的は、新型細胞異常発達ウイルス【GW-01】を使って、「神」の座に着くに相応しい"ポストヒューマン"を完成させる事だ』
その悍ましい計画を聞き、迅の背筋に寒気が走る。
『いや、欲を言えば、「神」になり得る者たちのみのための世界を創り上げる、それが我々の最終目的なのだよ』
「"神になり得る者たちのみのための世界"って………」
そう。それはウイルスに対抗できない者、則ち感染すれば〔フェーズ3〕となってしまう者たちは不要な世界、ということだ。
つまり"実験"で生き残った者がその「神」の器であり、死んでいった者はそれまでの者だと、一瀬信樹は軽々と口にした。
『我々にとって、君たち公安局に〔フェーズ3〕と呼ばれる者たちは無用の長物だ。そんな者たちは「神」が誕生した世界のゴミ。ゴミなら、早急に廃除して問題ない上に、ゴミを消していけば自然と「神」の器に相応しい者は現れる。適任者の分別、これが我々の"実験"の目的だ』
「…ふざけるなよ……!!」
迅は拳を握りしめ、歯をギリギリと鳴らした。
無用の長物だと…?
まるで、今まで死んでいった人間たちは"奴ら"にゴミとして判別され、"奴ら"の思うままに処理されたとでも言っているようだ。
迅の親友、殿町優斗も。
「人の命を…なんだと思ってやがる……!!」
「…種原君………」
怒りを露わにする迅に、御園が声をかける。
『今、我々に対して敵対心しか抱いていない者たちよ、それは違うぞ。この"実験"を行っているのは、我々だけではないのだからな』
迅の眉がピクリと動く。
こちらの様子など知らない一瀬信樹は、マイペースに事を進める。
『定期的に検査を受けさせている〔フェーズ5〕…ウイルス感染しても自我を失わない者たちは、公安局が行っている"実験"の対象だ』
「……なん、だと……?」
迅は立ち上がり、そのまま立ち尽くす。その姿を、御園が両手で口を覆い隠しながら見つめる。
「姉ちゃんが…実験対象?」
迅の思考の中で、公安局という存在が揺らぎ始めた。
公安局は、街の均衡を保つための機関なのか。
それとも、ただ人体実験を行いたいだけの偽善者が集う機関なのか。
このふたつが振り子のように揺れる中、一瀬信樹はこちらの心情を読んでいるかのように笑った。
『フフ…鵜呑みにしてしまったかな?公安局が"実験"を行っているか否かは、私の憶測に過ぎなかったのだが』
「なんだ…憶測か……」
御園がホッと息を吐く。
『説明もほぼ済んだところで、もうひとつだけ教えてやろう』
余裕の声色で、一瀬信樹は続ける。
『公安には、「神」に相応しい者がいる。我々はその適任者の回収を行う。環境管理課の新人君、邪魔はしないでくれたまえよ?』
環境管理課の新人君といえば、迅しかいない。
「…まさか……」
迅は何かを悟ったようだが、御園はさっぱりわからなかった。
『ではそろそろ失礼するぞ、公安局局員の諸君。また、近いうちに』
一瀬信樹の声は消え、食堂に静寂が訪れた。
迅は立ち尽くしたまま、ぼんやりと何処かを見つめ続けている。
迅の頭は今、あるふたつの事でいっぱいだった。
ひとつは、姉の鏡が、公安局の"実験"対象であるかもしれないという可能性。
そして、もうひとつは…………
★
「良いのか信樹。最後のアレは余計だったんじゃないのか」
東京、とあるビルのとある一室。
薄暗い一室に、数人の人影があった。
「そうよ、一瀬さん。荒浜さんの言うとおり、私も最後のアレはいらなかったと思うわ」
天童五海は、荒浜鉄二の意見に同調した。
「そんな事はない。私は彼にも興味を抱いているのだよ」
二人の意見を、一瀬信樹はあっさりと、理由も込みで否定した。
「でも〜あーやって喋っちゃうと公安局も警戒しちまうんじゃねーの?」
四谷雷杜が、ソファにドガっと座りながらチャラチャラとした口調で問う。
「警戒してくれて結構、敵の戦力の底を知るには、それが売ってつけだろう」
「ふ〜ん、ナルホドね」
ふむふむと納得する雷杜。
そんな雷杜を目の片隅で捉えつつ、信樹は壁に寄りかかって立つ少女に問い掛けた。
「改めて訊くが三郷。私は"彼女"を神へと導く。異論はないな?」
「はい。ありません」
短い黒髪、藍色に近い瞳の少女、篠宮三郷は、一寸たりとも考えずに頷いた。
To be continued……