『篠宮御園』
「公安局環境管理課に入った?しかも一係って……」
迅の姉である鏡が、箸で摘まんでいた肉団子をポロッと皿に落とす。彼女の眼差しは、向かいに座る弟に向けられている。
「また…私のため?」
小さな声で、鏡が問う。
「うん」
「この前剣道やめて剣術始めたばかりでしょ?」
「高校入る時に剣術始めたから問題ないでしょ。何度も入退部繰り返してるみたいに言うなよ」
「でも…長続きしない子だと思われ……」
「やめないよ」
鏡の言葉を遮って、迅は断言した。
「姉ちゃんを守るために公安に入ったんだ。やめるわけない」
鏡は、迅の目を見て、異論を唱えることはできなかった。敵を威圧するような覇気を纏った迅の視線が、鏡にそれを許さなかったのだ。
「でも…答えを出す前に相談して欲しかったかな」
鏡がこう言うと、迅は急に弱った表情になる。
「それは…ごめん」
自分の非を認め、素直に謝辞する迅。
その様子を見た鏡は、堪えきれずにクスリと笑う。
「フフフ…迅って、可愛いのね」
「……は?」
「がんばってね」
「…え?」
「公安のお仕事、がんばってねって言ったのよ?」
鏡は、さっき落とした肉団子をもう一度摘み、口の中に入れた。
迅の摘まんでいた肉団子が皿に落ちる。もう少し反論されると思っていた迅は、戸惑いの顔を浮かべる。
「お姉ちゃんは、迅がやるって決めたんなら、それを応援するだけよ。がんばって、お姉ちゃんを守ってね?」
鏡は、まるで天使のような笑顔を咲かせた。その笑顔の花に、実の弟である迅も、しばらく見惚れてしまう。
「……迅?」
鏡が迅の顔を覗き込む。
「え?あ、いや。なんでもないよ。それよりも、ありがとう。頑張るよ、姉ちゃん」
「…うん!」
迅は、ホッと一安心する。とりあえず、鏡に環境管理課への配属を認めてもらうことができた。これで気兼ねなく公安関連の話題を持ち出せる。
「それで早速なんだけど、明日俺のパートナーの公安局員がウチに来るから。来るって言っても俺のこと迎えに来るだけだから、そんなに準備とかしなくてもいいんだけど」
「明日?明日は学校でしょ?」
「同じ学校なんだ。同級生だよ」
「あー、なるほど」
大食いだが太らない体質の鏡が、口いっぱいにご飯を頬張る。その食べっぷりに恐れ入った迅は、苦笑いを浮かべた。
とりあえずひと段落、と言ったところだろうか。
勝手に公安局入りを決めたのは良いものの、鏡が素直にYesと言ってくれるかどうかは定かではなかった。最悪、鏡が公安局入りを取り消してしまう可能性もあったはず。
だが、鏡は公安局入りを許してくれた。それも仕方なくではなく、応援までしてくれている。
迅は、居間の壁に立て掛けてあるギターケースを見やる。そのギターケースには、もうひとつの相棒〈デュランダル〉。
「よろしくな。これから」
迅は小さく微笑んだ。
ボソボソと音を聴いていた鏡が、不思議そうに迅を見つめている。
「どしたの?」
「いや、なんでもない」
迅は楽しそうに、再び満面の笑みをこぼした。
★
「種原君には、明日から御園とペアを組んでもらう」
その言葉を聴いた瞬間、御園の思考回路はメチャクチャになる。
言葉の意味を理解するのに、どれだけの時間を要しただろう。そして理解した途端、自然と声を張り上げていた。
「えぇぇぇ〜〜〜っ!!⁈」
全員の視線が御園に集まる。
顔は真っ赤に熟れてしまい、御園は勢いよく顔を隠す。
蒼夜や海斗、朝陽や椎名がフムフムと頷き、輝夜は「やっぱり」と、何かを再確認している。
そんな中、一人歩みを進めてこちらに近づいて来る男が。
男は御園に手を差し出すと、
「じゃあ、改めて、よろしく」
男=種原迅は、ものすごい純粋な笑みで御園に視線を向けている。こちらの心情を理解している顔ではない。
学校で迅は、先読みに至る能力を持っていると噂されているが、この様子では信じ難くなってしまう。
そして何より、御園にとって迅とは……
「し、椎名さん?!ど…どうして私とたた種原君なんですか?!」
直後、椎名は質問の意図を汲み取れずに首を傾げ、迅は少し悲しそうな顔をした。おそらく、嫌われていると思ってしまったのだろう。
むしろ、逆なのだが………
「いや、篠宮、今ペアいないだろ?だからだ」
サラリと答える椎名課長。この横には迅も立っている。鈍感コンビだ。ある意味一番お似合いだろう。
だが、そんな事を言えるはずもなく、
「朝陽ちゃんとか!ペアいないですよ!?」
と、返す御園。
「は?ちゃんといるわよペアは!何言ってるんですか御園先輩!」
先輩は付けるけど、敬語とタメ口が混ざった口調の朝陽が即座に返答、それに続いて、インカムから声が聴こえてくる。
『ホントだよぉ〜。この可愛いスーパープログラマー、三枝茂祢の事を忘れるなんて、ひどぉ〜い』
「あ……」
茂祢の声を聴き、そう洩らす御園。
三枝茂祢は、公安局屈指のハッカーで、朝陽のホログラム作戦の手助けをしている。朝陽は自分のホログラムは自分で操作可能だが、場合によっては茂祢がする事もある。また、他の人間のホログラム作成なども担当する、凄腕のロリ美少女らしい。だが、重度の引きこもり症で、部屋から一歩も出てこないため、御園はまだ顔を見た事がない。ちなみに歳は十五歳だそうだ。
「私には茂祢がいるので。それに種原先輩とは組みたくありません」
「種原先輩」だけ嫌々言いながら、朝陽が断固拒否する。迅はもうシュンとしてしまっている。
「というわけだ。御園、これからお前が種原の世話係だ」
合格になった途端、呼び方が変わる椎名が、御園に命じる。
「うう……」
別に嫌なのではない。むしろ嬉しい。だが、嬉しすぎて仕事に支障を来す可能性が大だ。なんとかペア解消を図りたい……と、思っていると、
「椎名さん…彼女、俺とペア嫌みたいなんで、俺も一人で良いですよ」
と、迅が言ってしまった。
「わあぁぁぁぁあ〜〜〜っ!!」
壮絶な罪悪感に襲われた御園は、大声を上げた。
「ご、ごめん種原君!!ペア組もっか!!これからよろしくね?」
急な変わり身に驚いたのか、迅はたじろぎながら縦に数回首を振った。
「お…おう、よろしく」
「う、うん……」
どうしよう……決まっちゃったよ…
御園は困惑と心の高鳴りが入り混じってわけがわからなくなる。今からこんな調子で、これからやっていけるのだろうか。
そんな心配はお構いなしに、椎名は眈々と事を進めていく。
「じゃあ篠宮、明日は月曜日だから学校だろう?種原と二人で登校でもして、公安局環境管理課について詳しく教えてやってくれ」
もう、やるしかない。決まってしまった以上、やると言ってしまった以上、やるしかない。
それにこれはチャンスだ。迅にアピールするチャンスだ。明日から話す機会は山ほどある。たくさんアピールして、きっと迅を……
御園は緊張を気合に変え、小さく「よしっ」と声を出す。
その背後では、
「あのー、俺も一応種原と同じ学校なんですけど……」
「ああ、そうだったな潟上。忘れてた」
「ひどいっ!!」
というやりとりが交わされていた。
★
迅の公安局環境管理課一係への配属が決まった翌日の朝、迅の生活はというと、特に変化はなく平常営業だ。夏用の制服を身に纏い、姉の鏡が作る朝食を摂る。
朝の準備を終え、あとは出発するだけとなった頃、インターホンが来客を知らせた。
「はいは〜い」
使った食器を洗っている最中だった鏡が、エプロンで手の水気を取りながら、駆け足で玄関へと向かった。
「お…おはようございます。種原く…じゃなくて、迅さんはいらっしゃるでしょうか…」
「………誰?」
鏡は、目の前に立つ美少女に目を奪われる。
鮮やかな黒髪、藍色に近い眼。着ている制服には、迅と同じ高校の校章が描かれている。
迅と同じ高校の美少女が、迅に用があって朝早くからウチに来た……?
「あ、おはよう御そ……」
「迅とどういう関係なの!?!!」
来客を前に、開口一番これだ。迅と御園は揃って、
「「へ?」」
と、苦笑する。
鏡は目を輝かせ、迅と御園を交互に見やる。
御園を見る目は、まるで御園を品定めするような目で、迅を見る目は、「ようやくガールフレンドができたのね!」という目だ。
「言っとくけどな姉ちゃん、御園とは公安の仕事でペアを組む事になったってだけで、彼氏彼女の関係とかじゃないからな」
誤解を解かねばと、迅が口を開く。それを聞いた御園は、少しばかり落ち込んでいたが、迅が気づくわけがない。
「ふーん、そうなんだ。御園…ちゃんだっけ?迅のこと、よろしくね」
鏡も一応納得したようで、御園ににこやかに語りかけた。
「は、はい。篠宮御園です。こちらこそ、お世話になります。ところで……」
「…ん?なにかな」
話題を切り替えた御園だが、鏡の問い返しに答えるまで、ほんの少し間が生まれた。その間の間、御園は鏡の首元にある傷痕に視線を向けていた。
「その.....種原君のお姉さんは、四年前の《大感染》で感染したんですか?」
言いにくそうに紡がれたその問いに、迅も鏡も即座に言葉で答えることはできなかった。
唐突な質問だった、というのもある。だが、今会ったばかりであまり会話も交わしていない、親しくもない状況で、鏡が感染していることに気付いた事への驚きがいちばんの理由だ。
「…してないよ。突然どうしたの?」
ウソをついたのは、鏡だ。確かに感染者当人は、なるべく自分が感染している事は公表したくないだろう。
「ウソをついてもムダですよ。お姉さんは感染していますよね?」
「「…え?」」
そのウソは、御園にあっさりと見破られた。
迅と鏡は困惑し、瞬きの回数が増える。
「こんなこと訊いてすみません。ですが、近日中に検査を受けた方が良いと思いまして....し、失礼しました!じ、じゃあ、行こっか、種原君」
後半は焦り気味になっていた御園は手短にそう言うと、足早にその場を去ろうとする。
「では!お邪魔しました!」
「おい‼待てよ御園!!」
〈デュランダル〉の入ったケースを肩で背負い、迅は御園を制止する。
「近いうちに検査って、姉ちゃん一週間前に定期検診で問題ない数値だったぞ?それに、その前のウソを見抜いたのも、あれって…」
御園は振り返り、迅と鏡に藍色の眼を向ける。
「万里双眼」
そして呟く。
「私の…延長能力」
★
通勤・通学ラッシュの東京各駅。
行き交う人々を、金髪碧眼の少年は楽しそうに見下ろしていた。
少年の横には、水槽に入れられた一匹のタコが。
「公安に結構面白そうな新人が入るって信樹の予知、当たってたみたいだね~」
少年は、水槽のタコに手を伸ばし、なんとかつかみ上げる。
「うわぁ……俺タコ苦手なんだよね…食うのも」
ブツブツと言いながら、少年はタコに何やら薬品を注射し始めた。
そして注射を終えると、そのタコを思い切り地上に向かって投げ飛ばす。投げられた先には、ある学校がある。
「さあ、お手並み拝見と行こうか」
少年は不敵の笑みを浮かべて笑った。
To be continued……