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最終話

イベントが起きる。其の一報に立ちあがる冒険者たち。そしてそれに同行するヨモギ。彼の由来が、この世界に降り立った理由が――。


 ふぅ……ふぅ、はぁ……

 林の中にはヨモギがいた。

 斧を振るい、宿で使う燃料である薪を得るための肉体労働に勤しむヨモギ。その額には光る滴が見える。

 足下にはこの数時間の労働で得た成果が『転がっていた』

「ふぅ、こんなもんかな? でも――」

「「そう、少ないんだよ」」

 場所は打って変わって宿の酒場スペース。

 声を合わせたのはその酒場で酒を飲んでいつものように騒いでいる冒険者たち。

「そうなんだよ。最近は特にそうだ」

「そりゃあ、そんな日もあるだろうさ」

 ローバイとフジノスケはテーブルの上にドッカと置いた羊毛の束に手をかけて嘆いていた。

「どういうこと?」

 ヨモギの耳打ちにレモンソースで味をつけた鶏肉のソテーにかぶりついていたアティは答える。

「どうもこうもないわ。最近、農作業やら野良仕事で手に入る資材の収穫量が減ってきてるんや」

 ふむ、と心当たりのあるヨモギはアゴに手を添えて納得した様子である。

「あー、ボクも今日伐採で薪を採ってきたんだけど、確かに時間の割に少なかったなぁ」

「だろう? アタシらも今日は一日畑仕事してたけど、収穫はこれだけさ」

 ディルはそういって今夜のメインディッシュ、トリ料理の皿をつつく。フォークが転がすのはニンジンだ。

「あー、これもなぁ……ニンジンも粒が小さい方が『飴煮』にしやすいんだろうけど……」

「アメニ?」

「そうです。ニンジンなんかの野菜をハチミツや砂糖で甘く煮たもの。グラッセとか甘露煮っていう言い方もするんですよ~」

 調理を担当したゼラ。彼女の仕事である料理にもこの場の話題は大きく関わる。

「このニンジンにしてもそうです。このごろ野菜の収穫量も目に見えて減っていますし……このままじゃ、今までのように皆さんにご飯を作るのも……チョット難しいかもしれません」

 よく照りのついた付け合わせ野菜はすんなりとイシンの箸を受け入れ、口に運ばれた。

「ん、ウマイね。しかし、本当にこのままじゃマズイことになるかもねぇ」

 この呟きにヨモギはケロリと答えを口にした。

「じゃあもっとガンバレばいいさ。ね? そうでしょ?」

 ――頑張りにも限界ってもんがあるんだよ。

 ――いつまでも同じじゃいけないってことなのかな。

 様々な意見が交錯する。

「そんなこと……そんなこと、やってみなくちゃ!」

 やっとこのリーストという世界での生活に足並みを揃えられる様になったヨモギの出端をくじく意見が多く聞かれた。

 そんな……

 ヨモギは悔しさと共に素焼きのマグカップの中身、牛乳を飲み干した。

「ふぅ……」

 大きな、存在感のあるため息だった。

「酒や宿賃も値上げだな」

 宿のマスター、ノグリフの嘆声であった。

「おいおい、そりゃあねぇよ! ここが値上げしたら、オイラたちはどこで飲み食いすりゃあいいんだ!?」

「カンベンしておくれよー」

 レブンコやフジノスケ、ローバイなど多くの貧乏冒険者たちが怏々の声を上げる。

「うるせぃ! だったらオマエら、貯まってるツケを払ってから文句を言いやがれ!」

 いつにもまして、ギャアギャアと繰り広げられる騒ぎの中に、その場の勢いをそっくり殺してしまうかのように突然の客が訪れた。

「速報だ! 次のパブリッシュが分かったヨーゥ! るるらら~♪」

 両開きの扉を、蹴り飛ばすかのような勢いのまま声を張り上げたのはベレー帽にメガネ、左手には大きなノートを持ち、右手には使い込まれたペンが握られている。

 メガネの底には爛々と光る眼が。

「ダレこれ?」

「こいつの名はパルプと言ってな。自称『ジャーナリスト』巫女と言うか、預言者と言うか……」

「そう、パルプはビビッと預言をしてみんなに新聞を売って歩いてるんだよ」

 イシンとディルはよくあることさ、と平時の様子である。

「それって、ただの電波な人じゃ……」

 ヨモギの辛辣な言葉に気がついたのか、パルプはにじにじとヨモギに近づき、厚いレンズのメガネ越しにその視線を送る。

「にゃは☆ アンタがウワサの新人さんだね? どうだい? パルプさんの新聞、買わないかい?」

 その独特の喋り方と勢いに負け、ヨモギはポケットに入っていた葉っぱの模様の刻まれた硬貨5枚をパルプに渡した。

「ヨモギ、えぇ買い物したんと違うか?」

 ニヒヒ、と笑い声を付け加えてアティが茶化す。

「そんで、なんて記事なん?」

 妖精がヨモギの肩越しに新聞を覗きこむ。

 繊維の荒い紙にはでかでかと見出しが書かれ、ヨモギは文字を目で追った。

「なになに……『神様が降臨する!!』だって」

「あーあ、アホくさー。よりにもよってカミサマやて。パルプの電波具合もそろそろ本格的にヤバイんと違うか?」

 アティの吐いた毒もなんのその。パルプはるるらら~♪と歌を口ずさみながら、宿の面々に新聞を勧めることに忙しそうだった。

「しかし、なんでその……カミサマ? が出てくるのさ。このリーストに来て暫く経つけど、カミサマなんて聞いたこともなかったのに」

 もっともだ、という同調の声を期待したヨモギ。しかしその意見はやってこなかった。

「いくぞ」

 ディルは立ちあがり、テーブルに立てかけていた大剣を背負う。

 え?

 イシンは杯をトンと置き、他の面々も一様に準備を始めた。

 え? え?

 ヨモギは困惑する。

「どうしたっていうの? なんで、こんな聞くだに怪しい情報に――」

 このヨモギの訴えをアティが遮る。

「ええか? ヨモギ、うちらはこのリーストで生きてるんや。そしたら、自ずとやるべきことは決まってるやないの」

「やるべきこと?」

 せや、とアティが頷いた。

 …………

 そして、ヨモギは立っていた。

「ちょっと! ここはどこ!?」

 揺れる足下、頬を撫でる潮風。

「どこって、船の上に決まってるじゃないの。アンタの目は節穴かね?」

「イシン、ボクはそんなことを言ってるんじゃないの! なんでみんな、当たり前のように行動が一緒なのかって聞いてるの!」

 宿の冒険者たちは近場の港に集まり、数隻の船に別れて海原を進んでいた。

「だって、ほら。みんな娯楽に飢えてるからさー。こういうお祭りがあれば参加したくなるってもんよ」

「お祭りって……」

 ぽっかりと口がふさがらない、と言った風体のヨモギ。

「あの子があんな瞳でいるから、かね? これはオマエさんにも何か関係あるんじゃないのかね」

 イシンが杖で指し示した方向。船首にはディルが立っていた。その眼差しは真っ直ぐに水平線の向こうへ向けられている。

 ヨモギはこれまで、ディルのこのような表情を見たことがなかった。

「デ、ディル?」

 おずおずとかけた声は船体に打ちつけられる波の音で消え入りそうだった。

 その声が届いていないだろうと、そして更に声をかけるべきではないだろうと、ヨモギは勝手に判断し、その身を下げた。

「ヨモギ」

 ディルはふり返らずに、一心に前を見ながら返事をした。

「今回の旅は、なにもカミサマに会おうって本気で思っている訳じゃないんだ」

「じゃあ、なんで……」

「他の奴らはお祭りにしか思っていないんだろうけどアタイにはわかるんだ。今回のイベントがヨモギ、アンタにとって重要な意味を持つんだと」

「それはどういう……」

「今に分かるよ。あいつも言ってた。あのゴーヨク魔女もね」

 ??

 ヨモギが理解に苦しんでいると、ディルはビッと右手を大きく振る。それがヨモギに対して視線を送れ、と言っていたのに気がつくまで数秒の時間を要した。

 そして、その指し示した方向には――

「!? なんで? こんなに……」

 そこには両の手で数え切れないほどの船が。いつか見た湖のボス、ガザミのように大きなものから、人一人でさえ乗れるのかと疑うような小さなもの。華美な装飾を施した客船のようないでたちのモノから、丸太に舵と帆をとりつけただけのような簡素なものまで。

 様々な船が、ヨモギの船と同じ方向に向かっていた。

「こんなにいたんだ……このリーストに、こんなに人がいたなんて……」

「そうさ、この世界は既に廃れたネットゲームとはいえ、住人の数はいまだに多い。そんな奴らが願いをかなえてもらおうと、カミサマに会いに行くのさ」

「そうそう」

 ヌッと、ヨモギの背後をとったイシン。その手にはリンゴが二つ。一つをディルに放り投げ、もう一個をヨモギの頭の上に乗せた。

 ディルはリンゴを受け取り、おもむろに一口かじる。

 ヨモギは両手で頭の上のリンゴを受け取った。

「それじゃあ、あの、魔女さんの言ってた……」

「そうさ。何かを知っているんだろう。ディルは、それに賭けているのさ」

 ディルはそれ以上何も言わなかった。そしてそれから更に半日、凶悪的な海上でのモンスターと、そのモンスター以上に攻撃的な天候と波に揉まれてヨモギたちの乗った船は目的地に辿り着いた。

 その地とは――


 極せまい寄港地に降り立った冒険者たち。寄港地とはいっても、ただ単純に岩も木も、船を止めて足を下ろすのに邪魔なものが少ないだけと言った場所だ。

「ここが……その目的地?」

「せや、今回新たに登場した島でな? ウチのナビゲーションスキルによると――」

 アティの作成した地図によれば、ここは海の真ん中に現れた島であり、その島は大部分を熱帯の植物で構成された密林が占めていた。密林の真ん中には岩山が鎮座している。

「そんで、ココや」

 びっと、アティが自前の針を地図に突き刺した。その一点は岩山である。

「ここにはどうやら『神殿』があるらしいんや。恐らくはそこに――」

「カミサマがいる、と」

 その作戦会議はジャングルの手前でキャンプをする一行の元、行われていた。

 そのキャンプはミストルの宿の冒険者たちだけではなく、ローズ・マンションの者たちや、他にも幾つものギルドや団体の合わさったものだった。

 ここに辿り着くまでの船旅の途中で釣り上げた魚を使った料理がふるまわれる。

 こんなときにまで、酒とお祭り騒ぎが繰り広げられているのは、最早このリーストの日常風景と言って良いだろう。

「はぁ、みんな呑気なもんだよ……」

 重いため息を吐いたヨモギ、その手には大きなヤシの実を割った盃が持たされていた。

「おーぅ、飲んでるかー? ヤシの木の酒なんて、こんなところにでも来なけりゃ早々飲めるもんでもないんだからよ」

 何のことはない、アルコール分を多く含むヤシの実の果汁である。ヨモギが先ほど香りを確かめようと鼻を近づけたらば、恐ろしい臭いがしたのだ。

「ボクはそんなに、いらない……かな」

 そうか? と、酒飲みのレブンコやローバイ達は拍子抜けした顔をしてそのまま、皆が騒いでいる渦中へと戻って行った。

 イシンとその師匠ザゼンは共通の好物アップルパイを頬張りながら酒を酌み交わしている。他の冒険者に関しても好きなように飲み食いを楽しんでいた。

「なにやら、お困りですか?」

 レブンコと入れ替わりに隣に座ったのは、こちらも酒に関してはあまり関心がないのか、それまで鍋を振るっていた料理番ゼラだった。他の団体にも料理の得意なものがいたらしく、ゼラは鍋に掛り切り、という訳ではなかったようだ。

 何を聞かれた、というはずでもないのにヨモギは自ずと口を開いていた。

「困ってる、ていうのかな? 不安っていうか……」

「わかります、今回のこのイベントには今までにない何かを感じている。そうでしょう?」

 コクリと頷くヨモギ。ゼラの向けるその優しい笑顔が、ヨモギの心に直に響く。

「まずは、ヨモギさん。あなたはディルさんの思いに応えてあげないといけないんじゃないですか?」

 ディルの、思い?

 オウム返しのように言葉を返すヨモギ。

「彼女が、あんなにも真っ直ぐな瞳で、一心にここを見ていたんです」

 それがワカラナイ、といった表情のヨモギに、ゼラは言葉を続けた。

「ディルさんは、ヨモギんさんのことを特別な存在、仲間以上の何かの感情を持ってるのかもしれません」

「ディルが? ボクに?」

「そうです、ヨモギさんも気が付いていたんじゃないですか?」

 己の胸の内にあった思いをゼラに突かれた少年は、疑問をぶつけた。

「ゼラはどうなの? イシンとは付き合ってるって聞いたけど、それはあくまでこのリーストというゲームの中のお話でしょう?」

「そうです。ワタシとイシンさんの間にはこのリーストでの感情があります。でもそれは嘘でも偽りでもなく、本当に……その……」

 ゼラは恥ずかしそうに視線を落とし、それでも芯のある表情をしていた。

「そっか、そうだよね……」

 ヨモギはゼラの心情を察し、しばしの間押し黙った。

「え、えぇとですね、ヨモギさんとディルさんのことも心配ですが、この島はまた、別な意味で心配なのです。」

どういうこと?

ヨモギは素直に問うた。

「この島は今までのどんな所よりもモンスターは強く、トラップも凶悪でしょう。そしてこの島では戦闘不能になれば強制的に排除されるのです」

 そう、今までもヨモギを始め全ての冒険者たちは怪我をすればその場にしばしの間縫いとめられる様に倒れることがあったが、時間がたてば元通りに動けるようになる。この縫いとめられる状態を「戦闘不能」と言っていたのだ。

「じゃあ、そうならないように気をつけないと……」

「そしてです」

 そこでゼラは一呼吸を置いた。

「そして恐らく、ヨモギさんが出会ったことのない敵が現れます」

 敵?

「『紅眼あかめ』と呼ばれるプレイヤーさんです」

「プレイヤーってことは、みんなのようにゲームをしている人のこと?」

「そうです。しかし紅眼とはプレイヤーキラー、殺人をする人たちのことを指します。他のプレイヤーを殺めることに存在意義を見出し、戦闘のプロとしてその力は悪魔的な強さです」

「そう、そんな奴らが獲物であるワタシたちがお祭り騒ぎをしていれば来ない訳がないのよね」

 串焼きにされていた魚をかじりながら、イシンがフラリと現れた。

「それでも、敵は討つ。そして、ヨモギ。オマエさんをカミサマに会わせてやるって言うのが、ワタシ達の思いだからね」

「だから、なんでみんなはそこまでボクに……」

「それこそ、簡単なことだけど、ディルに聞いてみればいいじゃないの」

 聞く。

 ただそれだけのことがこんなにも重く苦しいものだと痛感した。

ヨモギの心が締め付けられ、その場ではそれ以上の言葉が口から出なかった。

 夜半、月が煌々と夜空で笑っている。皆は既に寝静まり、ヨモギだけが目を開いていた。座ったままパチリと音を立てる火種――既に半ば消えかけているそれを覗いていると、ふいに声がした。

「おきてたのか?」

 ディルだった。とっさにヨモギの口から出たのは何のこともない世間話だった。

「遅いね。そっちは大丈夫なの?」

「うん、今日は土曜日だし。そういうヨモギこそ眠くないの?」

 コクリと頷く。

 この世界で流れる時間は、ディルやイシンなど普通のプレイヤーにとっても同じく流れ、今の時刻は現実世界で言う所の深夜に相当した。

 それまでも、夜になれば「ベッドに横たわる」という表現をし、ゲームを中断、ログアウトをしていたのだ。

「ヨモギはさ、昔の記憶とか無いんだったよね?」

 唐突な質問だった。

「そうだよ。ここに、リーストに来る以前のことも、自分が誰なのかも分からないんだ」

「そっか、じゃあ、仕方ないよね」

「しかたない?」

 ディルは一瞬、言葉を詰まらせた。そして堰を切ったように顔を寄せる。その眼にヨモギの顔が写り込むほどに。

「やっぱり、やっぱりそうだ。アンタは……ヨモギ、アンタは……」

 たじろぐヨモギは、咄嗟に視線を逸らした。そして偶然にも目にしたのだ。雲も出ていない夜空の月が欠ける姿を。

 ――ブツッ!

 水分の含有量の多いモノが裂ける音。

 次いでヨモギの顔にかかる飛沫。

 思わず右手で顔を撫でる。月明かりと言う心もとない照明の下でも、ぬるりとした触感からそれ鮮血であることがはっきりと分かった。

「ディル!?」

 ディルの右肩から腕にかけて、サポーターをしていない部分が大きく切り裂かれていた。

 尚も滴はヨモギに掛り、視界を赤く染める。

 ック!

 ディルは右腕の傷を抑えてその場に倒れ込む。

 ヨモギが覆いかぶさったディルをどうにか押し返し、立ち上がると、目の前に陽炎のような揺らめきが。

 次の瞬間、その陽炎が短剣ダガーを構えたのである。

「なんだ!? コ、コイツは……モンスターか?」

 無言。無音。無動作のまま、ダガーがヨモギを突く。

 正確に、ヨモギの喉と目、そして頸動脈を狙った刺突。

 しかし、すんでのところで体勢を崩されたヨモギは難を逃れたのである。ディルがヨモギの足を引っ張り、無理やりに回避させたのだ。その重傷の体で。

「ちょ! ディル!?」

 無理やりな避難方法でヨモギは大きく尻もちをついてしまう。非難を浴びせるよりも、ディルの容体を案じた。

 陽炎は無表情でヨモギに追撃を加える。容赦ない刺突である。

 右手の動かないディル。彼女は必死に受け流しながらも、その陽炎からの追撃を受け、サポーターを、服を、肌を順に切り裂かれてゆく。

 刺突の一つずつが一歩ずつ、ディルを地獄の淵にいざなうように血しぶきが飛ぶ。

 そして、陽炎のダガーの前にディルは倒れた。

 その吐息に乗せて、ヨモギにだけ聞こえる言葉を吐いた。

「……ヨモギ。ゴメンネ……」

 口から洩れた言葉が血だまりの波紋を作る。波紋は響き、ヨモギの手を揺らす。小さな、小さな波がヨモギの心の中で大きく反響する。

「ボクが……ボクが弱いから……」

 ディル――!

 わなわなと震える全身に回った怒りは即効薬となってヨモギの身体に変化を引き起こす。バネのように跳ねあがった上体。そばに置いてあった一振りの刀を抜き放ち、陽炎に斬りかかる。

 ……

 陽炎はこれを何の苦もなく避けた。――ハズだった。

 ゾンッ。

 避けたはずのヨモギの刀が陽炎のダガーを持った手を切断したのだ。

「アキャ?」

 ボトリと言う重い音はその斬られた腕が地面に落ちた証。

「アキャキャキャッッ!?」

 陽炎が口を開いた。驚き、戸惑い、困惑しているその口に、間髪いれずに突き込まれたのはヨモギの刀。その切っ先が後頭部を貫いたのを最後に、陽炎の暗殺者アサシンは消えていった。

 騒ぎを聞きつけた仲間たちが駆け寄る。

 そこには右腕を中心に重傷を負ったディルと、月を見上げて放心状態のヨモギがいた。

 そしてヨモギの血で染まった目には「紅い月」が映っていた。

 

 血と悲鳴で紅く塗られた月はその身を西の水平線に沈めた。

 襲撃を受けた冒険者たちは火を絶やさず、一夜を明かすことで身を守り、朝日を迎えた。

 他のギルドや、プレイヤーたちは我先にと密林に突入した。確かに紅眼からの先兵としてアサシンが、送り込まれたこの場所でいつまでも立ち止っているのは得策ではない。ローズ・マンションと共同戦線を張ったヨモギたちも満を持して迷宮ダンジョンとなった密林へ進み行った。

「しかし、あないなことになるなんて……」

 アティの呟きであった。

 昨夜の襲撃で利き腕に重傷を負ったディルはキャンプ地に残らざるを得なかった。

「嘆いても仕方ないさね。この先は、恐らく地獄と言っても差し支えのない攻略難度だろう。そんな中、足手まといになるのを、あの子が望むはずもないさ」

 イシンは左手に持った鉈で行く手を阻む蔓や葉を薙ぎながら言った。

 何も襲ってくるのはモンスターだけではない。悪意を持った自然とトラップが牙をむいてくるのだ。

 そして当然のように襲ってくるのは二足歩行の人間には比べるべくもない機動力と俊敏性を兼ね備えたモンスター。その危険度は今までの冒険の比ではなかった。

 一人、また一人と傷を負い、毒を食らい、戦闘不能になる仲間たち。その熾烈な進軍の中にいて、ヨモギの生存能力は頭角を現していた。

「ヨモギさん、すごいです。モンスターからの攻撃やトラップに対する反応が今までとは比べ物にならないくらい鋭いですよ」

 襲いかかってくるピコテスの上位種モンスターの鋭い爪を得物で受け止めながら、ゼラが驚く。イシンはサルの化け物の頭に杖を振り落とし、道を切り開く。

 暫くして――

 密林を抜け、岩山の中を通る洞窟の謎を解き、たどり着いたのは石造りの神殿だった。

 宿の仲間である大太刀使いのフジノスケは密林で大蛇との格闘の末に負傷。

 素手の格闘を貫いたローバイは洞窟オーガとの戦闘で仲間を庇い倒れた。

 ローズマンションのレブンコや他の面々、多くがモンスターとの衝突や、巧妙にして凶悪な罠によって脱落して行った。

 今、この場に残っているのはローズ・マンションの紅い魔女と、その従者である道化師アテル。一行きっての武闘派ザゼン。元海賊のキュラスと貴族崩れのナクサ。

 一般のプレイヤーもイワトラ夫妻をはじめとし、数名が辿り着いた。

 宿からはイシンとゼラ、アティと――そしてヨモギであった。

 皆が皆疲労困憊の様相を隠せなかった。しかし、その表情にはゲームとはいえ、「つはもの」としての気迫があった。

 神殿の扉を開く。彫刻の施された岩戸を押す手に力を込める。扉はゴリゴリと唸る。

「お、おぉ……」

 誰ともなく、声が漏れる。

 扉の間から洩れた光。その光に混じって流れ出す重厚な空気。その空気に混じって、異物ともいえる軽すぎる風切音が。

 トシュッ。

 ヨモギの半歩先に立っていたキュラスに一足早く客が来た。

 羽根の紅い矢が眉間を貫いていた。

 あ、という声を発する間もなく、眼帯を当てていない右目がグリッと空を仰いで、キュラスは倒れた。

「――!?」

 動揺が広がる。開きかけの扉の間から現れた矢は神殿の中から射られたものだったのだ。

 各々得物を握りなおし、神殿の中になだれ込む冒険者たちは二十数名。待っていたのは両手の指の数にも満たない紅眼達。神殿の祭壇の前で、それぞれが見るからに凶悪そうな武器を手にして待ち焦がれていた様子であった。

「っく、こいつら……」

 ペッと唾を吐き、前方の敵を視認する冒険者たち。

 十分な距離があった。来ると分かっていれば矢を放っても悠々と避けられるだろう距離――のはずだった。

「ギャアッ!」

 苦しみと痛みを訴える声が上がる。

「また飛び道具か!?」

 一同が悲鳴を聞き振り向くと、うつ伏せに倒れたのは紅い魔女の従者、道化のアテルだった。

 その背には大きな切創が。

「な、なんで――?」

 アテルに刃を向けたのは、誰あろう、仲間であったはずのザゼンだったのだ。

 槍の穂先を振るうと、紅い滴が飛ぶ。そして更に仲間であった冒険者を二人、返す刃で屠った。インディゴの店の客だった。血に染まった酒樽が転がる。

「お師匠っ!」

 堅いモノ同士がぶつかる音。

 イシンが手にしていた杖を振るい、ザゼンが槍でそれを受け止めた音だ。

「ここは、ワタシが喰いとめる。みんなは紅眼を何とかしてくれおくれっ!」

 突然の仲間の裏切りに動顛したヨモギたちは、躊躇しながらも「目の前の敵」を退けんと足を前に向けた。

 イシンはそれを横目で見送ると、ザゼンに、目の前の敵にゆっくりと眼を向ける。

「行ったかのぉ。いやはや、お主が相手をしてくれるなら……願ったり叶ったりじゃのぉ」

 フォッフォと笑う老齢の侍は実に楽しそうだった。

「しかし、ここで『裏切りプレイ』というのは――意地が悪いことですねぇ……」

 イシンの言葉にザゼンはまたも楽しげに笑う。

「なぁに、仲間の裏切り、強大な敵、正にこの方が『どらまちっく』じゃろう?」

 ザゼンの槍と、イシンの杖、十字に交わる形で拮抗している鍔迫り合い。先制したのはサムライの蹴りだった。イシンはそれをかろうじて杖で受け止めるもサムライの脚力は豪快そのもので、杖ごと持ち主の体を軽々と浮き上がらせた。

「いやはや、お師匠が紅眼と通じ合っていたとはねぇ……」

 両の足を石畳につけると、イシンは距離をとって鉤状になった杖の先を師に向ける。

「なぁに、ワシも昔は暴れたものよ。そして物語を紡ぐためなら、後に語り継がれる冒険譚を作るためなら、ワシは悪役になることも厭わんのじゃよ」

 ザゼンも両手で握った槍、その鋭い殺気はらんだ穂先を弟子に向ける。

 両者は同時に地を蹴り、突撃。互いの得物が突き込まれる。

 壱、弐、参、「死」……めまぐるしく交差する長柄の武器。その死を贈る高速の刺突に対抗したイシンは、身をくねらせながら杖の先端から石突まで全てを使って攻撃をいなし、避け続けた。

 しかし、ザゼンの槍はイシンの杖に比べて若干のリーチを有し、その分有利に間合いを保つ。実際、その刃がイシンの頬を、着物を切り裂いてゆく。

「ほぅれ、お主の力量はそんなもんかのぉ? 色にうつつを抜かして修行を怠ったのかのぉ」

 パシッ。

 ザゼンの槍が止まった。いや、止められたのだ。

 イシンの杖が、その鉤状の先端を使って槍の穂先を絡め取り、自由を奪ったのだ。

 ギリギリと唸りを上げる両者の得物。

 イシンは、ペロリと舌で己の頬から流れる紅い筋を舐め取る。青い口紅に紅い血が重なる。

「確かに、愛しい人も出来、愛すべき仲間もできました。しかし、それでも修練を怠った訳でもなく、ワタシは強くなりました」

 イシンは両の手で杖を握っている。

「笑止っ!」

 対するザゼンは躊躇なく槍を手放し、脇差を抜いた。

 白刃がイシンの腹に突き込まれようとした瞬間だった。

 ドフッ。

 重い、重い蹴りがザゼンの腹を打つ。

 ハラワタがひしゃげ、押しつぶされた肺から空気が漏れる。

 ガハァ、という重い唸りと共に裏切りの老侍は地に伏せた。

「お師匠、弟子は師に恩返しをするものです!」

 イシンは杖を振るう。柔軟にして強靭な心のように、イシンの杖「柊」は敵を屠った。


 まさしくそれは「戦争」だった。

 イベントに参加し、互いに互いを殺し合う冒険者と紅眼。その主義主張は様々だ。冒険者たちがイイとか、紅眼がワルイとかそんなことは関係ない。

 混戦模様のその最中、ヨモギの目は一点を見据えていた。

 祭壇の前に立つその男。そのプレイヤーキラーの証たる紅い目をサングラスの底に沈め、それでもなお、自分を睨んでくる若者を見ていた。

「ひさしぶり~♪」

 そう、以前、林でオーガを倒し、ヨモギに刀を与えたあのサングラスの人だ。

「仕向けた暗殺者アサシンは――倒せたようだね。まぁ、奇襲しかできない奴だったけど、それでも生き残れたんなら、キミは美味しく成長したのかな?」

 腰に差していた木刀を抜き放ち、歩み寄る紅眼。イシンも預かった刀を両手で構える。

「俺の名はポイズン・ダミー。キミを美味しく頂く者さ」

 腕を大きく広げ、挑発する紅眼の男、ポイズン・ダミーにヨモギは挑んだ。以前のたどたどしさは、その刃にはもう見られない。

 繰り広げられる剣劇、ヨモギの太刀筋は既に他の冒険者となんら遜色ない域に達している。

「イイネェ、スゴくイイヨ!」

 紅眼の男は嬉々として木刀を振るう。

 ヨモギはその連撃を受け止め、いなし、更には隙をついて反撃までも織り交ぜる。

なにがそこまで、この少年を成長させたか。

剣閃に悲痛な問いを織り交ぜる少年。

「アンタは――あんたたち紅眼は、なんでボクたちを……人を傷つけるんだ?」

「なんでって、モンスターを狩るのなら、それはテレビゲームでピコピコやっていれば十分だ。人と人が関わり合う――そんなゲームだからこそ人に対峙するんだよ!」

 刀と木刀。両者の間には物質的な優劣があるはずなのにぶつかり合うことで火花も音も飛ぶ。

「そんな、そんなことでボクの友達を――」

「そんなこと? キミだって、このゲームをしているから、生きていけるんだろう? 俺だってそうだ。人種も、性別も、何も関係ないこのリーストが、この世界がキミと同じく俺は好きなんだよ」

 金属であるはずのヨモギの刀は植物的な物質である紅眼の木刀に勝てなかった。いや、実際には競り負けていたかもしれない。それでもなおヨモギの剣術の腕は善処した。そう結果としては『善処した』に過ぎなかったのだ。

 雌雄は決した。如何にこの短期間で成長したとはいえ、所詮はモンスター相手の冒険者。人に対しての戦闘技術と作戦を練りに練った紅眼にかなうはずもない。

 膝をつき肩で息をするヨモギ。刃の無いはずの木刀で防具は切り裂かれ、全身は傷だらけだ。最早、この少年に刀を振るう力は一滴も残っていない。

 サングラスの赤眼は、木刀を振り上げる。

「バイバイ、ヨモギちゃん――」

 ぱぁん。

 炸裂音。うなだれたその視界にカツンと音を立てて落ちたのはサングラス。見上げると、先ほどまで戦っていた紅眼の頭がない。ドシャと、倒れるポイズン・ダミーの体はそれまで戦闘不能になったほかの仲間たちと同じようにサラサラと砂のように消えていった。

 戦闘が収まっていた。興奮と血の匂いで溢れかえっていた筈の場が、一瞬で静まりかえったのだ。

 生き残ったその場の全員が目を向けたのは祭壇の上に立つ一人の男。まっさらな純白の衣と手にした節くれだった杖は、正に神話に出てくる神そのものに見えた。おごそかな雰囲気が霧のように祭壇から流れ出し、足下から満ち満ちてくるようだった。

 紅眼の一人が、神の元に駆け寄る。

「お、オレさまに力を! このリーストで最強の力をくれ!」

 神は紅眼の男に一瞥をくれると、人差し指を向ける。

 ボソリ、何かを呟いたのだろう。神の長い髪に隠れた顔の口元が動いたのが見えた。

 ぱぁん――。

 先ほどと同じ炸裂音だった。最強を願った紅眼の男は鼻梁から上が消し飛んだ。

 どちゅ。という音と共に力の抜けた身体が倒れる。

 次に聞こえた音は悲鳴だった。

 それが男のものか、女のものか、入り混じった悲鳴と響く炸裂音。けだるそうな神がゆるやかに指を向けると、弾け消えいくのに冒険者も紅眼も関係なかった。

 逃げ惑う人々に無慈悲な死を与えていく神。その足にしがみ付いたのは傷だらけの身体を引きずるヨモギだった。

「なにが、したいんだよ……ここまで、みんな一生懸命、生きてきたのに……!」

 衣の裾から覗く足を掴んだヨモギをジロリと睨みつける。それまでの物憂げな表情が変わった。まるで赤子を抱きあげるかのような動作でヨモギの体を起こすと、明るい声を上げる。

「おぉ、お前だ。お前に会いたかった」

 何の事だか理解できないヨモギ。

「お前がここまで『生き抜いてこられた』その事実が嬉しいんだよ」

「なんのこと……ボクの、何を知っているんだよ……」

「何って、お前は実験体さ」

 もるもっと?

「お前は人間の脳の全ての情報を電子の世界に直接叩きこんだモルモットさ。この世界での五感を感じた感想はどうだ? ん? 楽しかったか?」

 タノ……シイ……

 ヨモギの頭の中でスズの音の様に反芻される言葉。

 ニコニコと顔をほころばせている白ひげの神に向けられる飛来物。ヨモギを右手だけで支え、空いた左手で捉えたそれは真っ赤なリンゴ。

「アンタなんじゃろぅ?」

 リンゴを投げたのは紅い魔女だった。彼女もまたケガを負い、その肩をイシンが支えていた。

「なんだ。お前たちか」

 リンゴをかじると、それまでと同じく冷たい視線を送る。

「なんだはないだろう。懐かしい顔に会ったって言うのにねぇ」

 イシンは負傷した左足を引きずりながら、やっとの思いで立っている。

「この数年、何してたんだい?」

 シャクシャクと白ひげの下で果肉を咀嚼する。ゴクリ、と音を立てて飲みこむと白衣の男はゆっくりと答えた。

「文字通り『神』になったんだよ。このリーストと言う世界はネットゲームとして既に正式サービスが終わっている。その世界を守り、新しいシステムや仕様を追加してきたのはだれあろう、この私だ」

 神と名乗るこの男が資材と時間をなげうってこの仮想現実の世界を保守してきたのだ。

「まぁ、バグもあったがな……」

 バグ、いわゆる情報上の誤りのことである。

「おまえこそ、バグだろうが……」

 ヨモギは神の襟元を掴んで吐き捨てた。

「へぇ、やっぱり動けるんだな。植物人間でも情報体になれば別、か」

 ……

「お前は植物人間だったんだよ。四歳だか五歳のころにロリコンの犯罪者に誘拐されて乱暴された。その時に負った怪我で十年たった今でも病院で寝たきりの植物人間『だった』んだよ」

 ――だった?

「殺した」

 冷たく言い放った神は続けた。

「正確にはお前と言う記憶や感覚って言う情報を抜きだす時に、予想外のバグが生じてな。生身の方は……まぁ、いいじゃないか。そんな植物人間なんて言うどうしようもない御荷物を医療機関の人間であった私が崇高な実験の為に使ってやったんだからさ!」

 ケタケタと笑う神に歯を食いしばり、怒りをにじませる仲間たち。

「ダイジョーウブ! ここにいる奴らはみんなそう言う『お話』の大好きな劇団のやつらだろう? 今までどおりにプレイとして見てくれるよ」

 警察に通報してやる! 

 神の指が声を上げた道化のアテルを捉え、弾き飛ばした。

「もう、ムリだね。神であるこの私が弾いたことでプレイは出来なくなった。『消去デリート』だ」

 ボゥンッ!

 爆発と共に炎が舞う。

「なんてこと、してくれているのかいのぅ」

 紅い魔女が火炎の魔法を放ったのだ。

が――

紅蓮の炎は神の白衣に色を落とすことなくかき消された。

「ムダだ。神であるオレに、お前らムシケラの攻撃が利く訳ないだろう? なけなしの秘薬もこれでお終いだろう」

 魔女が唇を噛む。

 その手には秘薬とみられる木の根や硫黄の粉の瓶が握られていた。

「あとはここの連中を消して口封じをする。そのうえでこのゲームの素晴らしさを、情報体人間を量産することで知らしめてやるのさ!」

 神の身体が宙に浮く。ヨモギの首に手をかけたまま。

 両の足が地を離れたヨモギ。

神は半分ほどかじったリンゴを手放すと、五指を動かす。空中に現れた光のタッチパネルを操作する。リンゴが地に落ちると、その場のすべてのモノタチを紅い鎖が捉えた。

 紅い鎖は皆の体をぎりぎりと締め付ける。それこそ、身体が千切れるほどに。

 クックックと、声を洩らす神。

 ヨモギはままならぬ呼吸と、この神と名乗る男への歯がゆさと怒りで四肢をばたつかせる。

 そんな中自由を奪われたはずの人々の隙間を縫って地を蹴り、飛びかかる者がいた。

 振りかぶったのは見覚えのある大剣。

「――!」

 ヨモギが名を叫ぶ。

 ケガを負い、離脱したはずのヨモギの友、大剣を担ぐ剣士ディルであった。

 跳躍したディルの大剣は神の体には届かなかった。見えない壁に弾かれ、大剣は砕けた。

「くわぁぁあああ!!」

 しかし、ディルの狙いはそこではなかった。神の五指が操作していたタッチパネルだ。

 死力を尽くして、負傷した体を一つの弾丸として守ったのは仲間の命。

「ナニしやがるんだっ!」

 振りほどかれたディルの体は、ボロ雑巾のように地面に叩きつけられた。

 紅い鎖は霧散した。そして体勢を崩した神は掴んでいたヨモギも離してしまったのだ。

 ディルに駆け寄るヨモギ。

 身体を揺り起こすも、彼女の体に込められた力は幾ばくも無い。

 僅かに震える唇は、やっとの思いで言葉を紡いだ。

「やっぱり、……ちゃんだ」

 そう、ディルは知っていたのだ。幼き頃に訳も分からずいなくなった友達を。年を経てディルの中の人が知った幼馴染に降りかかった犯罪と不幸を。

 ヨモギが、その幼馴染であると確信したディルは己を強欲な魔女に差し出してでも彼女を――ヨモギを助けたかったのだ。

 ディルの目には涙が。

 歓喜か、悲しみか、それとも――

 その目に、別な滴が落ちる。ヨモギの涙だった。

「くそぅ! 何してくれやがる!」

 神は怒った。思うままにならない、自分がさげすんだ者たちに。

「手始めに、テメェを消してやるよっ! 御荷物ヤロ――!」

 神の指がヨモギを捉えた。が、弾け飛ぶはずのヨモギは立ち上がり、歩み寄ってくる。

 指を振るう。何度も、何度も。

 しかし、ヨモギは弾けるどころか、満身創痍だったはずの身体を動かし、確実に向かってくる。

 そして、ヨモギは地を蹴り、刀を振りぬいた。

「うぁぁぁああああああ!」

 ゾン。

 鈍い音が響いた。

「な――んで?」

 正中線をきれいになぞるように頭から二等分された神は自分に起きた事象を理解できていない。まず、それまでのプログラムから起きるはずがなかったのだから。

真っ二つになった神は、ボタリと地に落ちた。

 この世界で絶対の強制力を持つ神だった。しかし電子の情報世界ではより純粋な情報体であるヨモギ、その意志の力の方が勝っていたのだ。

 切り裂かれた神は貌を苦悶に歪めて呻く。

「こ、こんなことなら……この俺が……それなら、てめぇらもずっとずっと……大好きなこの世界に閉じ込めてやるァァァ!!!」

 悪辣な意思をそのまま言葉に乗せて、神になろうとした男は叫んだ。

 ヒィィィハハハハァァァアアア。

  すると、両断された神モドキの身体にヒビが入り、その亀裂からおぞましい色の光が発せられた。暗い色はうねうねと蠢き、闇色の虹は一瞬にしてこの場だけではなく世界をも包んだ。

 ぽんっ。

 蠢く光はあっけない音と共に収まった。

 音は神モドキの亡骸が「情報」として無くなった音だった。

 ディルは食いしばっていた目蓋を開く。

 そこには仲間たちが、ここまで一緒に生きてきた友人たちが立ちつくす姿があった。

 声をかけても、すり寄って身体を揺さぶっても反応がない。

「どういう……こと?」

 ――やられた……

「ヨモギ?」

 唯一、その場で動く者、命があるものがいた。

 ディルは駆け寄り、うつむく彼女に問うた。

「どうしたっていうの?」

「思い出したんだ。ボクがあの男にされた、人格を、人間の魂を情報化するために行った実験。ニンゲンの目を通して強烈で特別な光を送ることで脳の中の情報をすべて読み取る。あいつはそれをやったんだ」

 記憶と知識、今までの彼女からは違うソレを読みとったディル。

「でも、そんなことをするためには特別な装置とか……」

「そう、本来ならそうなんだ。『読み取るため』にはね」

「?」

 幼馴染の意図が汲めないディルは仲間たちに目を向ける。

「つまり、あいつがやったことは特別な光をパソコン、みんなが目を向けていたモニターから特別な光を発したんだ。恐らくはその研究で生まれたそれは一方通行で……生きている人間の脳を永遠に――」

「永遠にって……まさか……」

 コクリ、と頷いた彼の――いや、彼女の目は穏やかだった。

「ボクが、なんとかしてみせるよ」

「なんとかって、どうするのさ!」

 ディルの問いに、ヨモギはコクリと頷き立ち上がった。

「出来る、そんな気がするんだ」

 ヨモギは祭壇の上に立った。そして右手を振るう。そこにはさっきまで神が操作していたタッチパネルが。

「ボクはただの情報体。さっきあいつがしたように、もしかしたら同じことが出来るかも」

 タッチパネルに手を乗せる。カタカタと指を動かす しかし、それと同時に、ヨモギの体は至る所から光の粒子となって透け始めた。

「どういうこと!?」

「きっと、ディルにはさっき……サッキボクが流した涙が作用して奴の魔の手から逃れられたんだよ。それと同じことをするのさ。でも、ここのみんなを、もしかしたらこの場に来ていないリーストにいた、このゲームをしていた全ての人に同じことをするには、ボクの涙だけでは少なすぎるんだ」

 ヨモギの体は既に半分以上が光の粒子になっている。

 ディルは己の口元を抑え、ヨモギが成そうとしていることを悟った。

 情報体と言うヨモギは自身の体をすべて光に変えた。

 光源体はディルに一礼をするかのように頬を撫でた。

次の瞬間、瞬き、輝き、空へと飛んだ。

リーストの全てが見渡せるほどの高度へたどり着くと、うっすらと残ったヨモギは目を閉じ、無数の光の粒に別れ、この世界を包んだ。

ヨモギのいた場所に ディルが駆け寄る。

「ヨモギ! ヨモギィッ!!」

 涙を流すディル。イシンも、ゼラも、アティも、その場にいた全ての『仲間』にヨモギは笑いかけた。

「ありがとう……そして……」

 彼の、いや、彼女は笑顔と共に声を紡ぐ。

「バイバイ…………」

 そして、世界は、冒険者たちはかけがえのない『仲間』を一人、失った。




 結局、神と名乗った者は精神に異常をきたした――らしい。

 らしい、というのはこれがあまりにも現実離れした話であり、メディアにすら取り扱ってもらえなかったのだ。せいぜいがネットの都市伝説を取り上げる、まとめブログやつぶやきをすこし騒がせたくらいだった。

 なにせ、このリースト・オンラインというゲーム自体が情報と言う果てのない大海原に沈んでいたような過去の遺物だったからだ。

 

 ――そして、リーストにおける人々の生活は変わらなかった。

 街中で立ち尽くす芸をするザッソも。

 ゲームとして生活を楽しむイワトラ夫妻も。

 どこかのダンジョンで人を狩る紅眼達も。

 ローズ・マンションでは優雅に茶を楽しむ紅い魔女とその仲間たち。

 迷宮の入り口で酒場を営む店主とその客ら。

そして、『ヤドリギの陰(シェイド オブ ミストル)』宿の冒険者たちも。

 あの後、気が付いたときにはヨモギはおらず、ディルの口から受けた説明と気を失っていた空白の時間で無理やりにでも納得するしかなかった。

 イシンも、アティも、ゼラも、他の全てのプレイヤーはパソコンのモニター越しに不可解な光を見て意識を失った。神モドキが行った光学実験で網膜から脳へと数値化された情報を叩きつけられ意識障害を起こしたのだった。幸いにして時間は短く、実験も専門的な装置ではなく一般に出回っていたパソコンのモニター越しということもあり、重度化したものではなかったのだ。

 そしてヨモギが自身を情報体として使い、同じ光をみんなのモニターから復帰プログラムとして送ったことで再び意識を取り戻したのだ。

 後に話を聞いたものたちは、皆一様に「笑顔を見た」といって目が覚めたという自覚があった。

 しかし、そんな中でも消えてしまったヨモギと、その場面にいあわせた仲間たちの心の傷は癒えていなかった。


「いや~、久しぶりやんな~」

 元気な声と共に扉を開けたのは光る翅と小さな体で飛びまわる、独特な声の妖精アティは光の玉としてとびまわる。

「今日もイイ天気ですね~」

 のほほんと青い空を見上げるのは、柔らかそうな紅い髪を風にたなびかせ、メイド服に身を包む温和な女性ゼラ。

「ほんとだねぇ。アイツに会ったのもこんな日だったかねぇ」

 自分の身長よりも長い杖を携えた青い着物の武人、イシンは目を細めてしみじみと呟いた。

「…………」

 先頭を歩くのは大剣を背負い、緑の髪をおさげにした少女。少女は黙々と歩いていた。

 イシンやアティは仲間への純粋な思いを募らせる。

「あの子、あれから元気ないねぇ」

「そらそうやろ。やっと再開した幼馴染とすぐに別れてしまったんやから……」

「でも、ほんとうにあの出来事はホンモノだったんでしょうか?」

「このゲームの世界自体が虚構と幻じゃあないのかね」

「それをいっちゃあ……」

 一同はなんのかんのといいながら山道を歩いていた。そう、彼――いや彼女に出会ったのもこの山だった。新しくこのゲーム、リーストの世界に降り立つ者が最初に現れる場所で。

 ドン。

「わぷっ!?」

よそ見をしながら飛行していたアティは結構な勢いでディルの背に衝突した。

「なんやねん! 急に立ち止まったりしてー。こら、ディル、聞いてるんか?」

「どうかしたのかね?」

「ディルさん?」

 後続である一同は、目の前の剣士を案じた。

 その剣を振るうには細すぎる身体が震えている。

 ぐい、と覗きこんだ三人。

 アティが。

 イシンが。

 ゼラが声を合わせる。

 「「なんで?」」

 少女の肩越しに皆が目にしたのは、この世界を、すべての冒険者を守るため、己の身を楔として消え去ったはずのヨモギの姿だった。

 声の揃った問い。

 その答えは、あの最後の場に居合わせた多くの記憶と言う情報を媒体に分散したヨモギを欠片のように保存し、情報体と言うきわめて特殊な存在を再構築させるまで時間がかかったということだった。

 恥ずかしげに、困ったように、それでも嬉しさを笑顔に露わにして白い歯をのぞかせるヨモギ。

 あの時と一緒であった。

 剣を振るうには細すぎる腕。

 薪を割るには頼りない手。

 それでも、優しく親しみのある笑顔。

 皆が抱きつく。

 アティが、ゼラが、イシンが、そして――ディルが。

「おかえり」


「ただいま」

 今日もこのリーストでの生活が待っている。

 ヨモギにはそれが嬉しくてたまらなかったのだ。

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