第4話
「ねー……これってどういうこと!?」
ヨモギの声に不満の色がありありと現れている。
その不服の声は木々の間に木霊する。
木々の葉はどこか金属的な色をした光りをその間から洩らしている。
時は少し戻って前日の夕食風景。
「明日は冒険に行くよ」
ディルはランタンの明かりに照らされる魚のソテーにフォークを刺しながらヨモギに言った。バターと酒でしっかりとクサミを抜かれた川魚は白身の肉と紫色の皮の切り身にこんがりと焼き色が付いていたものだった。
「ぼうけん!?」
「あぁ、冒険だよ。今日は労働と練習で疲れただろ? ふらすとれーしょんも溜まっただろ?」
コクコクと頷く若者。その姿を見てノグリフをはじめとしたおっさん達はグハハと笑う。
「そうかそうか。あしたは冒険か! イイナァ、オレモイキタイナァ!」
ヨモギが皆の口調に異を感じたかどうかは分からなかったが、翌日その異の意味を知ることになった。
「なんで? 冒険じゃなかったの!?」
木々の先、ディルやイシン、ゼラ達がカゴを背負い歩いている。
「冒険だよー。宿から出て、お宝を探してー。十分、非日常じゃん」
「ここが冒険の場所? ただの林じゃん!」
場所はヨモギたちが宿としている「ヤドリギの陰」からそう遠くなく、宿の二階の窓から視界に映るほどの距離にある林、通称「錫杉の林」である。
「そうだよー。林だよー。ダンジョンだよー」
暖簾に腕押しの様相のイシン。これにヨモギは納得がいかない様である。
ディルは諭すように声をかけた。
「いいかい? ヨモギ。ここはアタイたちが生活の糧を得るための貴重な場所なんだよ」
「せいかつのかて?」
「そうなんです。木を伐って得た木材は薪に。自生しているハーブや薬草はそのまま料理や薬になります」
せやせや、と言いながらアティは木の芽を選別しプチリと摘んで見せる。ひらひらとヨモギにアピールをし、香りを確かめてから身体に見合ったカゴに入れる。
「自分の腹に入るモンや。こういうのはちゃーんと自分で選らばなアカン」
食欲に特化した妖精の目は鋭く光る匠の眼であった。
「そ、そんなこと……それにこれじゃあ唯の野良仕事だよ。『明日は冒険だ』そう言ったよね?」
先頭を歩いていたディルは足を止め、ふり返らずに右手でヨモギを招く。その手招きに素直に応じ、歩み寄ると、今度は制止される。やはり振り向かずに、だ。
「なんだよ。こっち来いって言ったり、止まれって言ったり……」
「見える?」
「なにが?」
ヨモギはディルの視線の先を追う。
ヨモギの視界の端に何かを捉える。植物の緑を基調とした背景に白いウゴくモノが。
「ウサギだよ。キミの欲しがってる冒険のスリルだ」
ヨモギの手にポンと渡されたのは野良仕事にも使うナイフ。刃渡りはヨモギの右手首から親指にかけてほどの小ぶりなものであった。造りは簡素であったがヨモギの目には切れ味の良さそうな白刃が映る。
「こ、これで……?」
ヨモギの鼓動がグッと加速する。喉は潤いを欲し、ゴクリと唾を飲む音がやけに耳に響いた。
「ボクが? このナイフで、あのウサギサンを?」
ナイフを渡したディルはコクコクと頷き、そのそばでゼラとアティも控えめに肯定した。イシンにいたってはすでに適当な倒木に腰をかけ、高みの見物と洒落込んでいた。
「ダイジョーブ。ヨモギの力量ならほぼ安全だよ」
「安全って……こんなカワイイウサギサンに――」
ヨモギがふり返り、愛くるしい小動物に刃を向けることに非を唱えた時だった。
ドフゥッ!
「……っかはぁ!」
ヨモギの背から腹にかけ、したたかな衝撃が響く。
――ナニ? ドウイウコト!?
ヨモギは反射的に衝撃を受けたと思しき背の方向に目を向けようとする。
背骨に見事なまでの体当たりをしたのは、先ほどまでヨモギがナイフを向けることをためらったウサギサンであった。
「な……ニ……!?」
肺が潰され呼吸が乱れる。向き直って素人なりに構えを取る。スタンスも何もあったものではなかったが。
「ほーら。小動物だと思って嘗めてるからだよ。このリーストでのヨモギの力量なんてのはウサギにさえ勝てるかどうか怪しいもんなんだからさ」
ゼフゼフと荒い吐息を洩らしながらも、自然と右手に持ったナイフの切っ先をウサギに向ける。
ウサギは、そのシンボルともいうべき長い耳をピンと立たせ、まるでヨモギの戦闘能力を音から分析するかのように動かす。
再び攻撃を仕掛けてくるウサギ。ヨモギの目には白い玉が足下に高速で移動したように見えた。そして足下に注意を向けんと顔を下げる。
ボックゥアッ!
跳ねたウサギ。その後ろ足がヨモギの鼻に蹴り込まれ、ガクンとヨモギの顔が不自然に跳んだ。
ボタボタと鼻から鮮血を流す人間ヨモギと、無傷の獣ウサギ。
その後数分、ニンゲンとケダモノの争い――いや、小動物による霊長類への一方的な猛撃がなされた。
…………
「なんだよ……なんでボクが……」
「いやー、やっぱりムリだったね♪」
楽しげに観戦を決め込んでいたイシンは懐から何がしかを取り出し、中身をヨモギの顔の傷に塗りつける。二枚貝の貝殻の中に入った軟膏だった。
「イタタ……もうちょっと優しくして……」
結果。ヨモギはウサギ目ウサギ科の小動物に良いようにヤラれ、見かねたディルが追っ払うことで決着はついたのだった。
「やれやれ、誰もが一度は通る道とは言っても……ヨモギの力量の低さったら……」
呆れた様子を大仰に肩をすくめて見せることで表現したディル。その顔はヨモギがかつて見た海外ドラマの女優そのものであった。
「『誰もが一度は通る』……?」
「そうなんですよ。ヨモギさんも実際に戦ってみて分かったと思いますが、ウサギさんでもこのリーストでは十分すぎる力を持ってます」
「せやせや、そんで誰もが挑んでみて――」
「負ける……っと」
一同の説明に、ヨモギは口をパクパクとさせるのみ。やっとの思いで言葉を紡ぎだす。
「それじゃあ、分かっててこんな痛い思いを僕にさせたっていうの?」
コックリ。
一同の首が同じタイミングで上下した。
再びヨモギの唇は音もなく空を咬む。
カコーン。カコーン。
リズミカルな硬いものが堅いものに当たる音。ヨモギの視線の先ではこのパーティの力仕事を担う二人、ディルとイシンが手斧を振るっている。
「ふぅ――ヨモギ。あんたも手伝いなさいな」
ディルは首にかけた手拭いで額の汗を拭き声をかける。しかし、かけられた本人はそっぽを向いて振り向きもしない。
「あらら、ご機嫌斜めかしら?」
「そうですねー。やっぱり「最初の痛み」ってのは誰がやっても心が折れるものかもしれませんから」
「せやなー。ウチの場合なんて宿のネズミが相手やったけど、やっぱりイジめられたからなー」
ゼラとアティはイシン達が切りだした木材をカゴに詰める作業をしていた。
「しかし、初めてでもあんだけキレイに負けるってのも、ある意味才能があるんだと思うよ」
「なんの才能さね」
「ん~、いぢめられっ子的な?」
「これこれ、そーいうこと言わないのっ」
などなど、このリーストで少なくともヨモギより長く生活し、経験を積んだ一同はそんなことを口にしていた。一方、そのころ、件のいぢめられっ子はと言うと……
ヒュンッ。
ピゥッ。
白刃が残光を描く。
「なんだ。早いじゃん。いいじゃん」
ナイフを振るうのは、イシンの軟膏のおかげか顔の腫れも引いてきたリーストの新人、ヨモギであった。
「なんで……? こんなにちゃんと切れてるのに」
ヨモギは手近な若木の枝にナイフを振り落とす。
スパっと言う音すらも残さずに枝が、葉が、そのちっぽけなナイフの刃によって落とされる。
「ったく、みんなったらヒドイよ。分かってるんなら、わざわざあんなことさせなくてもいいじゃん……」
理不尽な仕打ちを受けた、とヨモギは物言わぬ植物に物理的に「アタル」ことで鬱憤を晴らしている最中であった。
八つ当たりの対象として柔らかそうな若木やぽっきりと折れやすそうな枯れ枝にナイフを振り続け、気がつけばヨモギは四人(正確には三人と一匹の妖精)の傍から遠くへと足を向けてしまっていた。
ヨモギが破壊衝動へと身をやつしていると、目の端に茶色い物体を捉えた。
「なにアレ?」
ヨモギの有する知識と合わせるに、小ぶりなスイカほどの大きさの毛玉であった。ふにふにと左右に揺れながらヨモギの目の前を横断する。通った後の地面には草の禿げた道が出来ている。草を食んでいるのだろうか。
ヨモギの視界の左の端から右の端まで移動し、そこで目撃者は毛玉を後を追う。
ミュイ、ミュイ……
「鳴き声? イキモノ……なのかな?」
ヨモギが呟いた言葉を毛玉は聞き取ったのだろうか、ミュイッ! と鳴くと毛玉はとび跳ねた。
「逃げた!?」
逃げられれば追う。それが動物でアレ、人でアレ、本能というものだろう。それになんだか、ヨモギはこの毛玉に何とも言えぬ加虐心を掻き立てられていた。
逃げる毛玉。
追うヨモギ。
追跡者は逃亡者に導かれるままに、林の奥へと走ってゆく。
はぁ、はぁ……
もとから体力のないヨモギは毛玉を見失い、息を切らして疲れた体を休めようと木に寄りかかる。ふと上を見ると木の葉の隙間から空が見えた。
「大分、時間が立ったかな? もう、空が赤いや」
耳に入ってくるのはカラスかなにかの鳥類が帰巣したと思しき鳴き声。
その声にヨモギは虚しさと寂しさを覚えた。
「帰ろう……でも、みんなどこかな?」
グっと勢いをつけて背で木を押し、上体を起こす。来た道を元に戻ろうと、くるりと振り返る。
「あ、さっきの毛玉だ。ん?」
毛玉の横、木の幹の陰から現れたのは――
「……え? なに?」
ヨモギ三人分の背丈はあろうかと言う巨躯。腰みのを巻いただけの巨人。脚は短く、腹はでっぷりと出ていて、イノシシのような鼻と牙を有する顔はひどく紅潮し、息が荒い。一番目を引いたのは四本の腕だ。長く太い腕がそれぞれこれまた不格好な棍棒を携えていたのだ。
「あ、あのー……」
巨人は口の端からよだれを垂らしながらヨモギを見下ろしている。そして不意に、四本の腕とそれぞれ手にした不格好な棍棒を振るう。
ッバキャァッ!
一本がそばの木に当たり、ベキベキと音を立てて倒す。
「うわ! うわぁ!」
ヨモギのすぐ横に倒れ込んできた木。驚いて頭を抱えながら身を撓ませる。
フー、フー、と息の荒い巨人はなんとか聞きとれる人の言葉を喋る。
「オ、オマエ、オレノぺっと……イジメタ……」
「ぺ、ペット? ボクが?」
巨人の足下、陰に隠れるように顔を見せる毛玉。
「その、もこもこが? あんた……キミのペットだっていうの?」
コクリと頷く巨人。ズン、と四本の内の棍棒を二本、地面に突き立てる。
「ゴメンナサイ! そんな気はなかったんだ。ゴメンヨ!」
「ダメ。オマエ、コロス。オレ、クウ」
え?
ヨモギが聞き返す間もなく、棍棒が大振りに襲いかかってくる。
うわぁ!
ヨモギは首をすくめてこれを回避する。ヨモギの頭髪を数本かすめ取った棍棒は勢いそのままに木に衝突。またも木は音を立てて倒れる。ヨモギは亀のように引っ込めた首を元の位置まで戻す。
「ヤバイ! これはヤバイって!」
もつれる足を叱咤しながらヨモギは巨人に背を向けた。自分の身に降りかかった危険に、脳は逃避を命じたが、身体がそれに従いきれない。従う意思はあっても恐怖に焦がされた身体が思うように動かないのだ。
「うわぁ!」
巨人の追撃。今度は縦に振り下ろされた棍棒。それはヨモギの身長ほどもあるゴツゴツと節くれだったもので、地を抉り、落ちていた石や落ち葉を舞いあがらせる。
ヨモギは背に目が付いている訳ではなかったが、この事態をある意味で誰よりも理解し、感じ取っていた。
逃走は決して長い距離では無かった筈だ。
ヨモギの使い切りかけていた体力の割には善処しただろうが――
「ハァ……ハァ……」
ひと際大きな木の前で、ヨモギの足は言うことを聞かなくなった。完全に下肢がその命令を拒否したのだ。
ヨモギが大木に身を預け、向き直る。ズシン、ズシンと地響きを立てながら近寄ってくる巨人がもたらすのは確実な死。
右手で双眸を覆うヨモギ。
「どうせ、どうせこんなに早く死ぬんなら……」
そこから先は口から外には出なかった。
何を望んだか、何を言い残したかったのか。巨人はそれを知ってか知らずか、赤い舌で己の醜い唇を舐める。
ニヤッと口の端を釣り上げると、四本の棍棒を一斉に振り上げた。
ドキュ。
ヨモギの耳に聞きなれない音が届く。
「……ナニ?」
目を覆っていた右手。その人差し指と中指をピラッと開いて隙間から覗いてみる。
巨人は動かない。いや、動いてはいるがその様は異様であった。イノシシの牙を有する口、その口から「剣の切っ先」が伸びているのだ。
ゴ、ゴパ……ゴプ……
巨人が血の泡を口の端から垂れ流しながらビクンビクンとケイレンをしているのがヨモギの目からも見て取れた。
そして苦し紛れであろうか、振り上げたままであった棍棒を振り回す。
シュココンッ――
次の瞬間、巨人は無数の賽の目の肉塊に変わった。
ボタボタと肉と血の落下音が聞こえる。
背後から剣の切っ先を突き刺し、オーガであった血肉の山をまたぐようにヨモギに歩み寄ってきたのは男であった。長い白髪に赤いサングラス、身体にはぴっちりと密着する金属製の鎧をまとい、右手には巨人を調理した血の滴る刃。華美な装飾の施された三日月刀であった。
ピチャリ、と遠慮なく血だまりにブーツで踏み入る。
「キミはー……まぁ、イイカ。だいじょうぶ? ケガはない?」
コクコクと頷くヨモギ。先ほどの巨人の細切れショーに腰を抜かしてへたり込んでいたのを立たせられる。ポンポンと足についた土や落ち葉を優しく払われた。そして――
パァンッ。
乾いた音。ヨモギが頬を打たれた音だった。
「危ないな。命を軽んじれば自分にしっぺ返しが来る。その痛みくらいじゃすまないんだよ?」
サングラス越しの鋭い瞳がヨモギを突き刺す。
「ゴメンナサイ……」
男はニッと笑いかけた。
「わかればよろしい。コレ、使ってみる?」
男は腰に差していたひと振りの刀をヨモギに差し出した。
「これは?」
「練習用だけど、お子様にはちょうどいいんじゃないかな」
くしゃくしゃっとヨモギの頭を撫で、男は踵を返した。 ひとつ、ふたつ、みっつ。歩を進めると、男は立ち止り、振り向く。
「それじゃ、みんなにヨロシクネ」
そう言うと、男はキラキラリと流れ星のような光を身体に這わせて姿を消した。
「え? ナニ? みんな?」
ヨモギが男のいた場所に駆け寄る。なにもない。さっきまでそこにいたはずの男が文字通り影も形もないのだ。
困惑するヨモギの元にディル達が到着した。
「だいじょうぶ? ヨモギったらいつの間にかいなくなるし、すごい音がしたし……」
「うわ、なんやこれ!?」
「あらー、オーガさんのみじん切りのようですね」
「これを、ヨモギが? いや、そんな訳はないだろう。誰かいたのかね?」
イシンの問いに、「ウン」と短く答えるヨモギ。
「その刀はどうしたんですか?」
ゼラはヨモギが手にしていた刀を指差す。
「もらったんだ」
だれに? と四人は口をそろえたが、ヨモギは返答に困った。名前すら聞いていないのだから。
「いいんじゃない? 刀の使い方を覚えれば」
「せやせや、こういう思い入れってのはあんがい強いチカラになるもんやで」
「きょうは、その収穫があっただけでも由とするかね。さ、帰ろうか」
ヨモギは四人に続いてその場を後にした。木々の隙間から入ってくる錫色の陽はだいぶトーンを落としており、すっかり暗い。
――あの男の人の目……
ヨモギの心にはしっかりと焼き付いていた。




