第3話
少年は人々と人以外の物にも歓迎された。これから彼の生活が始まって行く。そう、ファンタジーな生活のリアルな日常が。
気がつくとヨモギはふわふわと雲のたなびく青空のもと山道の真ん中に立っていた。
「ここは――?」
自分が今まで何をしていたのか、つい先ほどのことのはずだが思い出せない。
前を歩いていたのは着流しに氷色の髪の女と柔らかい赤髪のメイド。
ゼラはにっこりと笑いかける。イシンが声をかける。
「どうしたね?」
「いや、あれ? さっきまでボクは宿で……」
「宿がどないしたん? 目の前にあるやんか。寝ぼけてんのかいな?」
声がしたのはヨモギの頭上。淡い月に似た光を放つアティが毒づく。目をこすりながら再度確認すると、ヨモギの前には宿があった。
???
「ヨモギさん。どうぞ」
ゼラに促されるままにギイ、と唸る戸を押して宿の中に入ると。そこでは酒瓶が舞い、陽気な声が踊っている。
「おーい! そんなところでなにしてるんだ? こっちに来て飲まないか? いや、今日は君の歓迎会なんだからよ!」
脇から現れた褐色の大男にグイ、と首に腕を廻され引き寄せられる。
「ガッハッハ。さぁ、どうしたどうした?」
ハゲ頭の修道服や、浪人者、良くしゃべる自称貴族をはじめ、動物や魔族、人間以外のものも含めての大勢が飲めや歌えやの大騒ぎ。
首にまわされていた手を振りほどき、ゲホゲホと乱れた呼吸を整えながら、窓に寄りかかる。するとその向こうでは月の光の元、ディルが剣を振るっている。
――ん?
「やぁ、眠れないのかい?」
ヨモギはその言葉の意味が理解できなかった。
「眠るって? だって今はみんな大騒ぎで……」
「みんな寝てしまったよ。ほら」
ヨモギが振り向くと、先程までのドンチャン騒ぎがまるでロウソクの灯を吹き消したかのように、静まり返っていた。
「さ、キミは剣を手にするのかい?」
「いや、それは……」
ヨモギが答えあぐねていると、ディルはスッと手を差し伸べた。ヨモギは何を考えた訳でもなく、己の手を重ねた。
そして、
「イタダキマァァアス――」
ディルの顔はグネグネと形を変え、複眼をもつサルのバケモノになった。
「うわぁぁぁああああ!!」
ぬらぬらした唾液で牙を光らせ、赤い大きな口を開いたのだ。
つぷりっ。
ヨモギの頬に鋭い痛みが走った。
――イタイ。夢じゃない……夢じゃないんだ!
「当たり前ヤ! 夢なわけあるかいな!」
威勢のいい声がヨモギの鼓膜をつんざく。
「ほらほら、さっさと起きるんや!」
アティの声だった。
ヨモギがまどろんだ眼をこすると、目の前では手のひらほどの背丈しかないアティが葉っぱのワンピースをひらひらと一生懸命に髪を引っ張っている。ヨモギの頬や額には彼女のメインウェポンである針でちくちくと刺したと思しき跡が残っている。
「さぁ、いい加減眼を覚ましぃな! 朝ごはんの準備をせな!」
ベッドの上で上体を起こすと、香ばしい穀物の香りが鼻をくすぐり、胃を刺激する。
ほな、さっさとくるんやで~。
アティはそう言い残し、ひらひらと部屋を出て行った。残されたヨモギは元から寝巻のような格好だったので昨夜は酔いつぶれた後もそのまま寝かされていたようだった。
ふと気がつくと、サイドテーブルにきちんとたたまれた服が置いてあった。
「これを着ろってことなのかな?」
手に取ってみると、ふわっと太陽の香りがした。それまでの現代生活で慣れ親しんだ化学的な香料のものではない、原始的だが生物の本能に語りかける馥郁たるものであった。
簡素な服にそでを通したヨモギ。ベージュのシャツにグリーンのスパッツ程度の丈のパンツ。革を縫っただけのこれまた簡素な靴を履いた。
さらには机の上に置いてあった小さなにぎり鋏で伸びていた爪を切り、さらに伸び放題であった黒髪を背で束ねて一応の身支度を整えた。
宿と酒場を繋ぐ階段を下りる。一歩踏み降りるごとに胃袋を直に握るような香りに近づいて行く。
「オハヨー」
「おはようございます」
「よく眠れたかい?」
決して決められたものではなく、自然とそれぞれが口にした朝の挨拶。それがヨモギにはとてもナチュラルに耳に響いた。そして、ポソポソと言葉を返す。
「……おはよ」
ネズミのアクビかとも思える小さな挨拶は朝の喧騒に消え行った。
「さぁさぁ、朝飯や。ヨモギもぼーっとしとらんで準備を手伝ってや」
チャキチャキと仕切るアティの声に背を押されるかのようにカウンターの中に入る。
「んじゃ、中に入ってくれるかな?」
器用に腕の上に幾つもの皿を載せて、厨房から出てきたイシン。入れ違いで奥に入ると、カマドに向かうゼラと、そのカマドにかけられた鍋の上をひらひらと舞うアティ。塩をはじめ、様々な調味料を加えているようだ。
「ヨモギさん、そこにあるサラダを盛り付けていただけますか?」
ゼラの指さした先、テーブルの上には木をくり抜いた大きな木製のボウルの中に葉物を中心とした野菜が入れられていた。
素材の味が直に伝わる野菜の瑞々しさは厨房の窓から入る太陽の光が証明していた。
ヨモギはぴらり、と一枚の葉っぱを親指と人差し指でつまみあげる。葉緑素の濃さが物語るのはそれまでこの葉っぱが、このボウルに入った野菜たちがどれほど日の光を浴びてきたか、であった。
まじまじと野菜を眺めていると、ノグリフがヨモギの後頭部をコンコンとノックする。
「いつまで野菜と睨めっこしてるんだ? チャチャッと持って行ってくれよ」
少年はひきつった笑顔を浮かべ、サラダの入ったボウルを両手で持ち上げ、そのまま厨房を出る。
胸のあたりまで持ち上げたボウルとその中に入った食材のおかげで視界は遮られ、そのまま歩を進めたヨモギは自分の下腹部をしたたかにカウンターに打ちつける。
「ンケッ!?」
奇妙な声が漏れるとともに、ボウルは彼の手を離れる。
宙を舞う、緑を基調とした彩の濃い野菜たち。木のボウルが一歩遅れて追いかけるように弧を描いてゆく。
それを目で追うヨモギ。
次に起こるであろう惨事に目をそむけるヨモギ。
くっと目と歯をくいしばり必ずやってくるであろう着地音を否定しつつも待つヨモギ。
…………
――やっちゃったー…… どうしよ、みんなの朝ごはんが…… 怒られるかな……
自分が引き起こしたむごたらしい現実にゆっくりと向かい合おうと目蓋を持ち上げる。
カウンター越しに床に目を這わせると、そこには緑の植物性のたべものは一片も落ちておらず、良く磨かれた板の床があるだけだ。
左右に視界を移動させる。あるのはテーブルとイスと人間の足だけだ。
足から上に視線を移す。ニンゲンのだ。
「こーら、危なっかしいなぁ。なにしてんの」
ディルはカラカラと笑い、ヨモギの頭をぺしぺしと叩く。その左手には木製の大きなボウルがあった。
モチロン、ボウルの中の住人は緑の映える役者たちばかりであった。
「あ……あれ?」
惨状を覚悟していたヨモギには、意外な結果であった。簡単なことだった。ヨモギがぶちまけたサラダをディルが空中で全てかすめ取り、何の問題もない状態に仕上げただけであった。それどころか、乱雑に突っ込まれていた野菜たちをきれいに盛り付けてさえいた。
ヨモギが困惑していると、ゼラが大鍋で作っていたスープをよそった皿が次々と現れる。
「さ、できましたよ。朝ごはんにしましょう」
気がつけばヨモギ以外は雑然としながらも、各々カウンターやテーブルに着き、朝食の準備の全てが完了していた。
オイデオイデ。
手招きされるがままにヨモギはディルの横に座る。
「お口に合うといいんですが……」
控えめなゼラの言葉と同じように、控えめに舌に訴えかけるスープの味。しかし、二口、三口とサジを往復させるたびにじんわりと腹に温かいものを感じてゆく。
「どや? ウチがゼラやんと作ったスープの味は? みんな、飲んだくれた翌日やからな。おなかに優しい味やろ」
アティはケラケラと笑いながらスープを勧めてくる。
皆思い思いに朝食を取る。素朴なスープにサラダ、焼き立てのパンなど簡素だがしっかりと力を蓄えさせる食事にヨモギもだんだんと活力を得ていった。
「さて、昨日はヨモギの歓迎会も済んだことだ……」
「そうだな、この世界の事をしっかりと知ってもらわなくっちゃあなぁ」
「この世界の事? っていうと、やっぱり魔法とファンタジーのこと!? 冒険!?」
「もちろん! まずは――」
………………
「あー! もういや! なにこれ!?」
ヨモギのヘタれた声が上がったのは宿の裏口、時刻は昼の少し前と言ったところであった。
「なんだね、案外根性ないんだねぇ」
「コンジョウ? ここは魔法とファンタジーの世界でしょ!? なんでこんなことしなくちゃいけないのさ!」
ヨモギが朝食の後に与えられたのは『労働』であった。
「なんでって……ここがいかにアンタの元いた世界と違うって言っても、働かないことにはご飯も食べられない。それが現実ってことさ」
まず、掃除と洗濯。次いで畑の草むしり。そしていまヨモギの目の前には胸の高さまで積まれた丸太に等しい巻があり、それを割ることを命じられた。
「掃除に洗濯、畑仕事に薪割り。こんなのしたことないし、できないよ!」
「出来ないんだったら、出来るようになればいいのさ。生活してるんだからさ」
ザフザフとディルはかまどの灰を掻きだし、手入れをしていた。
「なんで? 魔法とかでバーっとできないの?」
「ん~……出来ない訳じゃないけど魔法を使える人間がまず少ないし、使うにしても秘薬って言う薬が必要でね。しかも秘薬はかなり値が張るんだよ」
「そういうもんなの?」
ソーイウモンナノ。
うー、と腑に落ちないヨモギが唸り声を口の中に押しとどめている。
「ほら、貸してみな」
ディルはヨモギから薪割り鉈を受け取ると、切り株を利用した台の前に腰を下ろした。
「いいかい? 見ててごらん」
かっこん。かっこん。
それまでヨモギが鉈の重さと薪自体の防御力に戸惑っていた様子とは打って変わって、まるで流れるように木材を適度な大きさの薪に変換して行った。
自分がそれまで格闘していた事象が、他人によっていとも簡単になされていくことに驚く半面、由としない胸の内である。
「なんで?」
「なんでって……そりゃあ慣れてるし」
ボクにも……
慣れろ。
こんなことを午前中イッパイをかけて行っていた。
のっほっほ――
高らかな笑い声が聞こえた。
「そうかそうか、やっぱり出来なかったかね」
声の主はイシン。穀物の粉で作った主食、パスタに植物油と塩、香辛料とチーズを和えた昼食を口にしながら笑ってのけた。
「まぁ、そういうなイシン。誰だって最初はそんなもんだっただろうさ。能力の低さを笑うものじゃないさ」
店主ノグリフはお茶をすすりながらイシンを諭すが、その言葉にも嘲笑の匂いがした。
「いいですよ……どうせボクなんて……」
ヨモギはチーズソースのパスタを木製のフォークでクルクルしながらいじけている。
「大変でしたねぇ。オカワリはいかがですか?」
パスタの皿を持って厨房から出てきたゼラに顔を上げるヨモギはお手伝いが上手に出来なかった子供のようであった。
横ではアティがその小さな体に似合わず、他の者たちと同じ大きさの皿に盛られたパスタをモリモリと食べている。
「じゃあ、昼からはお楽しみってわけだな」
声のした方にヨモギが振り向くと、ニヤニヤと笑っているディルがいた。彼女はニヨニヨと笑みを浮かべながらヨモギに向かってフォークの先を向けている。
「昼から……?」
チュルっとパスタを啜り、首をかしげた。
ドスンッ。元は水を入れていた樽がヨモギの目の前に重量感のある音と共に置かれた。場所は昨夜、ディルが剣を振るっていた場所である。宿屋の隣、ヤドリギの若木の横はちょっとした広さのある芝生のエリアであり、ヨモギが察するに皆が身体を動かす場所であると考えられた。
「さ、好きなのを選びな」
樽の口に片手をかけてイシンが進める。
「好きなのって……」
イシンが中を覗くと、樽の中には様々な武具が入っていた。剣に槍、盾や弓までは判別できたが、残りは何かの道具なのか、はたまた健康器具なのか、ヨモギの知識では理解できないものまであった。
「これは?」
「見て分からないのかね? 武器だよ」
「それは分かりますけど」
イシンは脇に抱えてあった杖をヒュンヒュンと振るい、大きく鉤状に曲がった先端をヨモギに目の前数センチに突きつける。
「昨日のピコテスの件でも分かっただろうけど、この世界『リースト』はオマエさんのいた世界とはちがって安全な場所ばかりでもないんだよ。己の身を守る術くらいは身につけなきゃならないのよ」
若木に寄りかかった状態でぱちぱちと乾いた拍手を送るディル。ゼラやアティは日陰からそのやり取りを見ていた。
「そんなこと言ったって……」
イシンの杖はその木目が視認できるほどヨモギの顔に近づいていた。その杖に目を白黒させながらも、恐る恐る聞いてみた。
「疲れる……よね?」
――ツカレルネェ
「それって痛いよね?」
――イタイネェ。
イシンの返事に後ずさりしたヨモギ。
「じゃ、そういうことで――ウプっ!」
踵を返して逃走を試みたヨモギだったが、背後に立っていたのはディルと宿の客の面々。
「みんなそれぞれ得意な戦闘方法を教えたいって言いだしたんだよ」
浅黒い巨漢は手斧を両手に。
修道服のハゲ頭はむき出しの拳をガツンと。
他にも槍や弓、ナイフやこん棒、果ては騎乗用の突撃槍を担ぐものまで現れた。
「い、いやぁ~~~~」
それから順々にそれぞれの戦闘法を試させられた。
斧はその重量ゆえ持ち上げ振るうことすらままならず、むき出しの拳では木の板一枚すら割れない。槍を持てば長さに戸惑い、弦を引いても矢はあらぬ方向へ飛んでゆく。剣も他の様々な武具も同様であった。
解放された頃には陽もだいぶ傾き、鳥が群れをなして帰路に着く時刻であった。
地面に五体を投げ出し、空を見上げる。
手にできたマメはすりきれた皮膚特有のヒリヒリとした痛みを訴え、手も足も筋肉疲労でガクガクと唸る。
声を出すでもなく口をパクパクとさせるヨモギ。
「『こんなはずじゃなかった』ってところかねぇ?」
覗きこんできたのは青い紅を刺した唇であった。
「イシンさん……」
名の主は寝転がっているヨモギの顔に手拭いを落としてよこした。冷たい濡れ手拭いがヨモギの火照った顔に清涼感を与える。
「どうだい?」
「どうもこうも……剣は重いし、オナカは空く。働かなきゃいけない。疲れる」
ヨモギが手拭いで手のマメを冷やしながら口を動かすと、イシンは満足そうな顔で屈みこんでいた上半身を起こした。
「ん。そりゃそうだねぇ。ここは魔法もファンタジーもあるが、夢の国ってわけじゃあないんだから。冒険は楽しいけど、それ以上に生活をしていかなきゃならない訳だ」
「生活って、掃除や薪割りのこと?」
「そう、普段の生活があるから冒険が楽しい。生活には労働が、冒険には生きる術が必要さ」
「こんなはずじゃなかった……」
「みんな最初はそう思うのさ。ワタシだってディルだって、みんな最初から何でも出来た訳じゃない。みんな自分の能力を磨いてきたってわけだねぇ。それこそ、それぞれの思う所あってのことさ」
「思う所?」
フフン、とイシンは笑って見せた。
「そうさ、お宝のためにモンスターと戦う者、自分の身を守る為に剣を手にする者。色々さね」
「じゃあ、ボクもみんなみたいに戦えるようになるの?」
「もちろんさ。そこに目的があれば、より速く、より強く、ね」
イシンは杖を振って見せた。空気を切り裂く音がフォンっと響く。
「すごいなー。イシンさんは女性なのにそんなに強いなんて……」
ん? と、イシンは聞き返す。そして少し間をおいてから笑い声を上げた。
「のほほ、そうかそうか。ヨモギはまだ知らなかったのかね」
「なにを?」
ヨモギはキョトンとして聞き返す。
「ワタシはこう見えてもれっきとしたオトコよ。化粧や着物は趣味というか、似合うからね」
中性的な顔立ちのイシン。顔立ちだけではなく線も細く化粧もしていた彼を、ヨモギは女性と勘違いしていたのだ。
「この世界じゃ、オトコもオンナも関係ないんだよ。仲間のために、愛する人のために武器を手に取ることは可笑しなことじゃないさ」
そうなんだ……と、頷くヨモギ。
「そうそう、それに私は基本的に……」
「夕ご飯ですよー。」
そこにゼラの声が聞こえてきた。
「っと、夕飯だとさ。立てるかね?」
イシンはヨモギの手をぐっと引く。その時にヨモギはイシンの手の感触に驚いた。
――すごい、あんなに華奢で細いイシンの手の平が……
マメや傷、修練を積んだ武人として、更には労働をこなす日常生活で使い込まれた手は多くを物語っていた。
「さぁて、ワタシの愛しのゼラちゃん。今日のゴハンはなんだろねぇ」
どうやらゼラと恋仲にあるらしいイシンの背に夕日が差している。
――ボクも、あんな風になれるのかな。
ヨモギは軋む身体の内にイシンの言葉が反芻される。
「守るために戦う術を――」
少年の憧れる心は夕日に照らされる。




