第2話
本日はお日柄もよく……じゃなく、イイ日だった。
太陽は黄金の笑顔を振りまき、雲は穏やかに流れてゆく。この黄金と白のコントラストが実に良い。
――鼻が腐り落ちそうな臭気がなければ、の話だが。
「ねぇ! これってどういうこと!?」
熱烈に自己主張する香りの元はヨモギが肩から下げたカバンからであった。見ればそのカバンの半開きの口からは野蛮な爪のついた毛むくじゃらの腕が顔を出しているではないか。
「どうって……今日の収穫物さ。見て分からない?」
しれっと答えたのは山道を下って歩く一行の先頭、ディルであった。彼女は彼女で大きなカゴを背負い歩いている。カゴの中身はヨモギと遭遇する前に集めていた薪に使う植物資源である。
「オマエさん、こっちの世界に来たばかりで分からないのかも知れんが、そのサルの残骸でも十分利用価値があるのよ」
杖を肩に担ぎ、その鉤状の杖の先に更にカゴを吊るして歩くのはイシン。そのカゴにも採取物が多く入れられているように見受けられる。カゴはイシンの歩に合わせてゆらゆらと揺れている。
「せやなー、ピコテスの煮込みとかケッコウ美味いんやで?」
じゅるりと唾を拭くしぐさを見せたのは淡く光る妖精アティ。彼女もカバンを手に提げている。その大きさは妖精であり、人の方に乗っているのが様になっている彼女のサイズに合わせた、見るからに手作りの逸品だ。
「なぁ? ゼラやん。今日の夕飯はピコテスのフルコースってのはどない?」
「ん~。材料はあるんです。今日こんなに集まりましたから。でも、そういうのが苦手な方もいらっしゃると思いますから~」
間延びした口調ながらも現在の情報を元に判断を下しかねているのは一行の中で一番の常識派、ゼラであった。彼女はメイド服のフリルを揺らしながら、てくてくと山道を降りる。
ヨモギの鼻に訴えかけてくる猿の臭気とは別なニオイから、ゼラの腰のポーチには山で採取した豊かな香りのする草の類が入っているらしい。
――ヤバイ、ヤバイヨヤバイヨー。この人たちこのサルのバケモノの肉を食べちゃうらしいよ!? 大丈夫なの? てか、このままじゃ、もしかして……
「『ボクも食べられちゃう』って感じかねぇ?」
ヨモギの心の内を見透かしたようにイシンは問うた。
「あ、え? あーっと……」
「分かってるよ。確かにオマエさんが不安なのはよくわかるさ。でも、ワタシ達は別にオマエさんをとって食おうなんて考えちゃいないさ」
そーそー。と同調するアティとディル。
ゼラはアハハ、と口元に指を当てて優しげにわらう。
「そ、そうなの? ボクはてっきり……」
「そりゃあそうさ。アタイ達は人喰いでもアカメでもないんだからさ。さ、山も降り切ったし、もうチョットだよ」
「アカメってなに? もうちょっとって、どこに?」
イーカライーカラ、とディルはケラケラと笑いながら先を行く。身体が慣れていない運動をしたせいか、ヨモギの体力は思った以上に消耗し、息は荒くなり膝もギシギシと唸り声をあげていた。
――この人たちは身体が丈夫なのかな? 息もあげずにこんなにスイスイと歩けるなんて。
それから暫くディル達について行くままに歩いたヨモギであった。途中何度か休憩をはさみ、ついた先は一軒の宿屋。何故、この建物が「宿屋」であると判別できたかというと、
「わぁ、宿屋だ!『INN』て書いてある! これって、あの体力とかを回復してくれるところだよね」
ヨモギは一目見て、それまでの疲れを忘れたかのようにはしゃいでいる。
「そうだねぇ。間違い、ではないけど当たらずも遠からずってところかな」
「そうそう、冒険で疲れて帰ってくる。そしてこの酒場で一杯やる。それが体力も気力も回復する一番の方法さ」
アッハッハと、軽快に笑うディル。
「さ、汚いところだがくつろいでおくれー」
促されたヨモギはギイ、と扉を押して中に入る。
カシュン。
何かが空気を切り裂き、飛んできた。なぜ飛んできたか分かったかというと――
「おいおい、客にいきなりナイフ投げつけるのがこの酒場のやることか?」
「客だって主張するんなら、宿代と飲み代を払ってからにするんだな。それと、ウチは『宿屋』であって、『酒場』じゃないんでね」
奥からナイフと文句を投げつけてきたのは、この『宿屋』の店主ノグリフであった。彼の投げたナイフはヨモギの頬をかすめて扉の脇の柱に刺さったのだ。
「あわ、わわ……」
ヨモギは目をナイフと投擲者に交互に動かし、大袈裟と言えるほどに驚いていた。
ディルはこれを引き抜いてポンと投げ返した。
ノグリフはこれを器用に受け取ると、何事もなかったようにカウンターの向こうでグラス磨きを再開した。
「今のがここ「シェイド オブ ミストル(ヤドリギの陰)」のマスターさ。この宿屋は一階に食堂兼酒場的なスペースがあって、食事をする人や酒を飲む人はだいたいここに来るんだ」
「そうなんよ。そんで、宿屋に泊るモンより、酒場スペースで飲むヤツラが多いから、みんな酒場て言うてしまうんや」
ぎぃぎぃと唸る立てつけの悪い扉を開きながら一行は建物の中へと入って行く。
イシンとディルはカウンターの前に四本足の椅子を引き寄せドッカと腰を下ろす。カゴや荷物袋をカウンターに置き、中身の品定めや整理を始めたのだ。
「やっぱり前に比べて採取量が少なくなってるな」
「そうだねぇ。今度はもっと北の方にまで足を延ばしてみようかしら」
イシンは懐から虫眼鏡を取出し、かごの中身を吟味している。ヨモギの目にはそれらがただの石ころや木の枝にしか見えなかった。
おずおずと周りを見渡すヨモギ。その眼には日本の、それも現代とは全く構造様式の異なったこの宿屋が奇異に映る。
そして、自分の「立ち位置」がわからず、困惑しているのだ。
「さて、ゼラやん。始めよか?」
「そうですね~」
ゼラとアティは「本日の収穫物」を携え、ノグリフの立つカウンターの奥へと行ってしまった。
これにヨモギは嫌な仮説を立て、その仮説を否定しようと頭を振る。彼女たちの向かった先、それは恐らく――
「厨房だよ」
ノグリフは夜間の照明となるロウソクやランタンの手入れをしながら、ヨモギに声をかけた。
「まぁ、立ってるのもナンダ、かけたらどうだい」
ヨモギは勧められるままにカウンターの端っこにイスを引き寄せ腰かけた。
ヨモギは少年としては長くそろったまつ毛を揺らし、カウンターの中にも目を向ける。
絵本の中で見た西洋式の造りに、ヨモギの知識にはなかった日用品、工芸品、そのすべてが歴史と使用頻度で独特の深みを醸し出している。
スッとヨモギの目の前に出されたのは陶器製のマグカップ。それまで壁にかけてあったケモノの剥製の頭に注意を向けていた分、マグカップの登場に驚いた。
「飲みな。心配すんな、これは俺からのオゴリだ」
ありがとう、と礼を言いヨモギはマグを両手で持ち、口を付ける。一口すすると、渋みと苦みで口が曲がりそうになる。
「マズイ……」
「ハッハッハ。やっぱりマズかったかこれはこのあたりで取れる薬草を煮出したお茶でな。疲れた時にはイイモンなんだぜ」
何の罰ゲームか、とヨモギは訴えようとしたが一口飲んだだけで手足が心持軽くなり、体の疲れが軽減されたことでその不満は腹のうちに消えた。
「不思議だ。本当に元気になってきた」
「だろう? 年上の言うことは聞くもんだ。特に『召喚』されてきたばかりのヒヨッコはな」
ヨモギの耳にまたも聞きなれない言葉が入ってきた。
「あの、その『ショウカン』ってのはどういうこと? やっぱりここは日本じゃないの?」
ノグリフはランタンに火を灯しながら横目でヨモギをとらえる。
「やっぱりか。そうじゃないかとは睨んでいたんだが、そういうことか。そうかそうか」
この店の店主は自分で自分に納得してしまい、問いかけてきたヨモギへの説明にはなっていない。
ヨモギが困惑し、更に質問を突っ込もうとカウンターにその身を乗り出した時だった。
「おまっとさーん! 出来たでー」
先ほどからヨモギの鼻腔を刺激して止まなかった香りの元が、アティの威勢のいい声と共に運ばれてきた。 香ばしく焼きあがった肉と香草の協奏曲が、その場のすべてのニンゲンの胃袋を踊らせた。
その匂いに宿となっている二階の部屋から降りてくるものや、ちょうどいいタイミングで帰ってきた他の冒険者達。皆思い思いの席に着き、ゼラの料理と酒に舌鼓を打った。
がやがやと一気に活気づいた酒場の中、ヨモギはカウンターの上に乗った皿に目を落としていた。
そこには肉特有の艶と照りが目に飛び込んでくる。見る分には――見るだけならば非常にうまそうだが、ヨモギの脳裏にカバンから飛び出したサルのバケモノ、ピコテスの肉塊となった毛むくじゃらの腕が浮かぶ。
「どうしたね? 食べないのかい?」
ヨモギの横に座ったのはイシンだった。彼女もまた皿に小分けになった肉料理を持っていた。
カウンターを背に、つまりワイワイと食事に騒いでいる他の者たちに向き直るよう、ヨモギとは反対の方向を向く彼女。
グイと酒瓶をあおり、料理を口に運ぶ。ローストされた肉の脂にさわやかな香りの香草が奏でる音楽ともいうべき芳香は横にいるだけでヨモギの胃を刺激する。
「おいしそうだけど……」
「だけど?」
「これって、あのピコテスとかいうサルの……」
添えられた野菜のソテーをつまみながら、酒瓶に口を直接つけて中身を飲み込む。
「そうさ。オマエさんを襲ったピコテスの肉だよ。ウマイよ」
「やっぱりボクは……」
ヨモギは恐らく生まれて初めて動いて生を営む者が、肉へと変わる瞬間を目の当たりにしたのだ。
そして生きるものが必ず行わなければならない儀式に戸惑いと嫌悪感を抱いていた。
「それでも、生きていきたいなら喰うべきだ」
イシンはあえてヨモギの皿から肉をつまみ、弱音と幻想を抱いた者につきだした。
差し出された箸の先には、見るからに旨そうな肉がある。
ヨモギは目をつぶった。見るからに怪しかったオジサン、その中から現れた複眼をもつサルのバケモノ。そしてディルの振るう大剣でイキモノからニクになっていく過程。それらを踏まえ、目を見開き、勢いをつけて目の前の肉を食んだ。
少し筋張った肉は、ヨモギが過去に食べた家畜とは違う、野性味あふれた旨味を感じた気がした。
ギュムギュムと噛みしめ、飲み込む。
「おいしい!」
ヨモギの率直な感想であった。その美味さは命の重さを知って、際立ったものだろう。
「あったりまえさ!」
バン、肩を叩いたのは料理も酒もひとしきり楽しんだディルであった。彼女は他の客と共に騒ぎながらも、ヨモギを気にかけ、イシンとは逆、ヨモギを挟む形で椅子に腰かけた。
「どーよ。美味かっただろ?」
うん、と頷き、料理に手を付ける。これに少し満足したのか、ディルもウンウンと納得する。
ゼラがあらかたの調理を終えて厨房から出てきた。 イシンの横に座り、自分の料理を皆が楽しんでいることに満足げな笑顔だ。
「ヨモギさん、お口に合いましたか?」
「もちろんだよ。最初は戸惑ったけど、ピコテスのお肉もおいしいんだね」
「え? ピコテス?」
「うん、昼間僕を襲ってきたサルのバケモノでしょ? ちがうの?」
きょとんとしたゼラはおずおずとヨモギに答えた。
「今日のお肉は町で売られていた牛さんのお肉ですけど……」
……?
「のっほっほ! 騙された! のほほほ」
どうやらヨモギはイシンに一杯喰わされたようだった。
イシンの独特な笑い声が余計に怒りを燃やさせる。
「イシン!」
ヨモギはフォークを振り回す。降り降ろされたフォークをパシリ、と箸で挟みとるイシン。
「いやー、スマンスマン。ちょっとしたお茶目だよ。まぁピコテスの肉なんてのは肥料くらいにしかならないほどマズくてな」
ブスくれるヨモギにディルとイシンの笑い声、ゼラも困ったような笑いをもらす。
「まぁ、イシンも命を大事にするってことを教えたかったんだろーさ。牛も豚も、その命を食してるんだから感謝を忘れずにってことさ」
ディルもパクパクと皿の料理を口に運ぶ。
ヨモギは納得がいかなかったが、料理の味には文句はなかった為、食事を再開した。
「おーい、ディル。イシンもいたか。そこの新入りっぽいヤツは誰だ?」
新入り。
きょろきょろとあたりを見回すも、自分以外にそのような人物がいないらしいと悟り、ヨモギはきょとんとした。
「おいおい、いまさらかよ。今日の収穫物! 実に数年ぶりにこのリーストにやってきた『召喚』されし者! その名もヨモギだ!」
ディルの紹介にドラムロールとファンファーレが演出されたように聞こえ、酒場の面々が一斉にヨモギに視線を向ける。熱い歓声と共に、次から次へと頭を撫でられ、握手を求められる。
ようこそ! いらっしゃい! よろしくな!
手厚い歓迎に困惑と痒いような嬉しさを覚える。そしてずいぶん前から『召喚』だの『新入り』だのと言われている事実を確認する。
「あ、あの、しょうかんってどういうことですか? さっきノグリフさんにも聞いたけど、ボクはどうしてこうなったんですか?」
一瞬の間をおいて、ドっという津波のような皆の笑い声が響いた。
事態を把握できないヨモギ。見れば皆は嬉しそうに杯を酌み交わしているじゃないか。
「あの!」
ここでアティがヨモギの頭の上に乗っかる。その手にはやはり妖精サイズの陶器のマグカップがあった。
「あんなー、みんな悪気はないんよ。新入りが嬉しいだけなんや」
「だから、そのしんいりってのが……」
ヨモギの言葉をさえぎって目の前にぬっと現れたのは、浅黒い肌の大男。筋骨隆々で胸板から腹筋までバッキバキに割れたその筋肉。体には見せつけんとばかりの傷跡。服装というか肩から腕への皮をなめして鋲をあしらった腕当てと、同じく鋲皮製のズボンを履いただけ、頭は剃っているのか面妖な模様の坊主頭であった。
男は恐ろしい目つき、口をへの字に曲げ、右手に酒瓶を携えてヨモギを見下ろしている。そして――
ごん!
「イッターイ!」
何を思ったのかヨモギの頭頂部にゲンコツを振り落したのだ。
「痛いか?」
コクコクと頷くヨモギ。それを見て破顔一笑。
「ガッハッハ! イイネェ! その痛み、その感覚こそが生きてる証拠だぜ!」
「おいおいレブンコ、子供になんてことするんだい」
「いいじゃねぇか、ディル。これがオレサマ流のショーメイってやつよ」
非難というよりは面白がっているようにしか見えないのはディルと共に酒をガブガブと飲んでいる大男。
ヨモギは事態を把握できていない。
レブンコと呼ばれた大男はバシバシと身体に見合った大きな手でヨモギの肩や頭を叩く。
「うん、今はひょろっちいがイイ戦士になれるぜ! ガッハッハ」
そして自己完結して後ろで騒いでいる冒険者の群れに戻っていった。
「今のはレブンコ。どっか遠い所の民族の戦士で、戦闘力は申し分ないんだが、あのとおりの大雑把で独特な考え方の奴だから、まぁ、気にしないでいるといいさ」
「そ、レブンコの考え方を真似たら命がいくつあっても足りないさ」
次いでやってきたのは三人組。まず声をかけてきたのは坊主というよりは禿げ頭。服装は赤を基調とした修道服のようにゆったりとした衣で、なぜか裸足だった。
「『リースト』へようこそ。俺はローバイ。拳闘士さ」
「そんでおいらがフジノスケ。この通りの浪人者でござる」
二人目は深緑の袴に身を包んだいかにもサムライといった風情のお兄さんであった。背にはディルの大剣よりも長いと見受けられる大太刀が背負われていた。
「主役は最後に登場するものです。私は今はさることながら、彼の有名な西の地の伯爵家――」
貴族のようなハデな服に大きな羽飾りを有した帽子を身につけた三人目の男が自己紹介をしようとして、アティが割り込んできた。
「コイツはナクサ。自称貴族のニーちゃんや。指揮能力は高いんやけど話と前置きが長くてなぁ。悪い奴やないんやけど」
三人は代わる代わるにヨモギに声をかけてくる。
「『召喚』されてきたんだってねぇ。どこから来たんだい? ってわかるかな?」
「どこからって……?」
「これこれ、おびえているじゃないか。見たところおいらと同じく日ノ本の国から来たように見受けられるが?」
「ヒノモト?」
フジノスケの言葉に違和感を覚え、口に出す。
「あぁ、フジノスケとは時代が違ったんじゃないかな? なんだっけジパングとかジャパンとかいうんじゃなかったっけ?」
やっと遭遇した聞き覚えのある単語をナクサの言葉から抜き出す。
「じゃあ、やっぱりここは夢の世界? 現実の世界じゃないんだよね?」
「バカを言っちゃいけないよ。この緑の映え盛る『リースト』は、君の国とは文化や生態系は違えども立派に存在しているのさ。魔法やファンタジー、幻想のある国ではあるけどね。」
ナクサの言に、ディルが補足する。
「この世界にはいろんな奴らがいるんだよ。マスターのノグリフは魔族の出だし、アティは妖精だ。他にも人の言葉を喋るネズミや猫。犬やニワトリ、クマの子もいるんだぜ」
魔族や妖精はいいとして、後半は動物園だぜ、とはレブンコ達の笑い声。見れば酒場の一角には楽しそうに談笑する人々に交じって盃を酌み交わす動物たちの姿も映る。
この光景にヨモギは胸の中に生まれた熱いものを感じ取った。
「そっか、やっぱりファンタジーの世界なんだ……ボクがあこがれていた、ドラゴンとか魔法とか、夢の世界にやってきたんだ!」
ヨモギは立ち上がり、自分で発した歓声を自身に浴びさせる。
「まぁ、確かに魔法もモンスターもいるけど、夢の世界かどうかは……」
ここまでイシンが口にしたところで、ローバイやフジノスケが遮り、ヨモギのカップにゴブゴブと酒を注ぐ。ヨモギがカップに鼻を近づけると、これぞ、アルコールといった香りが鼻孔に響く。
「さ、近づきのしるしだ! グッといけ、グっと!」
中身は澄んだ琥珀色の液体。恐らくは麦を醸造した、エールのような酒であった。
――お酒なんて、飲んだことないけど……どうせファンタジーの世界だ。大丈夫だよね。
ヨモギは一気にカップの中身をあおった。
「!?」
ヨモギの口中は様々な情報を一度に叩きつけられパニックとなった。辛く、苦く、それでも甘い液体は喉を焼くように入口から順に胃まで伝い、じんわりとした温かみを腹に宿す。
そして、一気にアルコールが脳にまで伝わり、視界を廻した。椅子から崩れ落ち、床に倒れる。覗きこんできた面々は皆、笑っていた。
「あぁ、天井ってあんなに高いんだ……」
その感想を持ってヨモギの意識はプツリと途絶えた。
ぐ~……か~……
気持ちよい眠りについていたはずのヨモギの耳に入ってきたのは紛れもない騒音。
「な……んだろ?」
上半身を起してみると、自分がベッドの上にいたことがわかった。そして、騒音の元が自分の鼻の上で高らかにいびきをかいているアティであることも判明した。
彼女は葉っぱで出来たワンピースを着崩し豪快に寝こけていた。
「妖精って、こんなにオッサンくさかったんだ」
と、枕元にアティをつまみおろして呟いたところでヨモギはこめかみに割れるような痛みを感じた。
「イタタ……なんで、こんな……そうか、ボクはお酒を飲んで……」
ズキズキとした痛みに促されるかのようにそれまでの経緯を思い出す。
「お水……飲みたいな」
喉の渇きを覚え、部屋を出る。一階に下りると酒場スペースで酔いつぶれている者も数名いた。カウンターに置いてあったピッチャーから直に水を口に含むと、聞きなれない音がヨモギの耳に入る。
「なんだろ?」
音のする方へと薄明かりの中、足を向ける。
ヒュオン……ヒュオン……
なにがしかの風切音は窓の外からだった。窓といってもヨモギの常識である、ガラスのはめられたものではなく、木の板で開閉するような簡素なものだった。
窓の外、表ではヤドリギの若木のもとに動く何かを見る。月が出ていたおかげでヨモギの眼は次第に闇の中で動く何かを識別でき始めていた。
「やぁ、おはよう」
月明かりの元にいたのはディルだった。
「なにしてるの?」
「なにって、練習だよ」
彼女は大剣を振りながら、窓越しにいたヨモギに声をかけた。
「なんでこんな時間にれんしゅうなんてしてるの?」
「なんでだろうね。結構この時間って、ヒマだからさ」
「ふーん。でも、ファンタジーの世界で練習なんて、なんか変だね」
「変なことなんてないさ。鍛錬てのは毎日続けないと意味のないことなんだよ。ヨモギは剣に興味は無いの?」
ヨモギは一時口を閉ざす。自分の胸の内にある考えを言の葉にするのをためらったからだ。
「興味がない訳じゃないんだ。でも……」
「でも?」
「昼間のサルのバケモノ。ピコテスのことなんだ。ディルに助けてもらったことにはありがとうって言える。でも、それでも生き物を殺すのは……」
あの時の音、血の匂い、独特の空気。それらが今でもヨモギの脳に焼き付いているのだ。
「わかるさ。命を奪うことをアンタが軽く考えていないってことはわかる。でも、それこそ目的のために剣を選ぶ者がいるのは事実だ。そして、選ばないというのも自由だよ」
「……選ばない自由」
「じっくり選べばいいさ。この世界を、リーストを見ながらね」
そう言いながら、ディルは剣を振るう。月明かりに大剣の刃が煌めいていた。
ヨモギは暫しその光景を眺め、自分に与えられた自由を考えていた。




