新月 四、
「静かすぎる……」
外岬に着いて直ぐ、慎之介は違和感を感じた。まだ日暮れには間があるというのに城下は閑散として、心なしか行き交う人の顔にも覇気がない。
幸右衛門に連れられて幼い頃に訪れた時は、漁師町らしい活気に満ち溢れていた。
「やはり飢饉の影響か」
このところ各地で頻発している天変地異は、水を腐らせ田畑を枯らし、人々から土地や家を奪った。同時に米の値段は跳ね上がり、当然の如く勃発した一揆は、江戸を著しく疲弊させた。
江戸との繋がりが強い外岬にも、不穏な影が見え隠れし始めていた。
その中にあって喜田の屋敷だけは、時を止めたかのように嘗ての威厳をその身に纏っていた。
「香田慎之介と申します。咲埜家家老より大切な文を預かって参りました。喜田殿にお目通り願いたい」
暫く門前で待たされた末に姿を現したのは、新堂と名乗る大柄な男だった。
「遠方よりさぞお疲れのことでしょう。さあ、こちらへ」
通された座敷の前方中央には喜田家当主、喜田則充が座していた。色白な肌に鼻筋の通った、西洋人のような面持ち。紅を引いているのかと見紛う程に艶めかしい唇が笑みを作る。
「香田殿よくぞ参られた。ご苦労であったな」
慎之介は平伏したままで懐から書状を取り出すと、畳の上に置いた。
「家老、香田幸右衛門からの書状で御座います」
「ほう、幸右衛門殿は息災であろうな」
「はい」
「うむ。新堂」
「はっ!」
新堂は大きな体躯に似つかわしくない俊敏な動作で、慎之介が差し出した書状を則充の許に運んだ。
則充はそれを恭しい手つきで広げると、一度さっと目を通し、再度初めから読み返した。僅かに眉を顰めただけで、その表情からは何一つ読み取ることは出来ない。
「承知した。後の事はこの則充に任せておけ。慎之介殿は暫くこの屋敷にて、休息をとられるがよい」
「お心遣い、かたじけなく存じまする。しかし恐れながらこの慎之介、一刻も早く咲埜へと戻り、遣らねばならぬ事が御座います」
「そうであったか。ならば引き止めるのも悪い。しかし茶の一杯くらい馳走させては貰えぬか?」
いつの間にか傍らに置かれていた茶碗から立ち昇る湯気に、ひりついた喉が鳴った。
「新堂が点てた茶は旨いぞ」
「かたじけない。お言葉に甘えて御馳走になりまする」
ぐいと一口飲んだ。そしてもう一口。
突然の眩暈に襲われた慎之介の手から茶碗が転がり落ちる。躰が小刻みに震え、そのまま畳の上にくずおれた。
「慎之介殿どうされた⁉ しっかりなされよ!」
新堂の声がすぐ耳もとで聞こえてはいたが、慎之介意識はゆっくりと闇に溶けた。