夜空に響く優しい音色
「夏祭り」競作企画という企画に提出させていただいた作品になります。テーマは「夏」で描きたかったのは就職活動に関する悩み。
就職活動で悩んだことがある方に是非とも読んでいただきたい作品です。
優しいお日様のような橙色の提灯が、薄暗くなってきた藍色の空を華やかに彩る。
広場の中心にはこの日のために準備されたやぐらが立てられ、年に一度のお目見えとなる立派な太鼓が居座っている。
昔から耳に馴染んでいる懐かしいお囃子の音に、沙織は思わず笑顔をこぼす。
「お待たせっ! おっ。浴衣じゃん」
屋台が繋がる広場への入り口付近でぼんやりと立っていた沙織の目の前に、ピンクのTシャツにダメージデニムという若々しい格好をした男がやってくる。
男というよりはまだまだ『少年』と形容したほうがしっくりくるようなかわいらしさをもつその人物に、沙織は笑顔を向ける。
「へへ。似合う? 去年買ったやつなんだけど」
「いいんじゃねぇの? 夏っぽくて」
自分の浴衣の裾をつまんでみせる沙織に、少年はにかっと笑ってお囃子が聴こえてくるほうを指差す。
「んじゃま、行きますか?」
真夏の太陽のような笑顔を残して先を行く少年の後姿を眩しそうに見つめてから、沙織は浴衣の裾を気にしつつ歩き始めた。
神山沙織はつい先日ようやく就職活動を終えた大学四年生だ。
去年の秋口から人並みに就職に対して真剣に取り組んでいたつもりだったのだが、なかなか内定がもらえず泣きそうになっていたところ、先週ようやくある企業から内定の連絡をもらった。
そこは決して沙織の希望の会社ではなかったのだが、抜群の知名度と世間的にいい企業イメージを持っている会社で、ここ数年の業績も良く就職先としては文句のないところである。
たとえ第一志望とは異なる会社でも、異なる業種でも、このご時勢に自分を受け入れてくれる会社があるのなら喜んで入社させてもらうべきだ、というのが沙織の両親をはじめとした周りの意見だろう。
だがしかし――。
「ほら」
色とりどりの夜店が並ぶ大通りの片隅で硬い石段にちょこんと腰掛けていた沙織は、目の前に差し出されたカキ氷を反射的に受け取る。
安っぽい発泡スチロールのカップに入れられた氷の欠片たちが、随所に吊り下げられた橙色の提灯の光に反射してキラキラと輝く。
涼しげな氷の欠片の上にかけられた蜜の色は、ちょっと薄いピンク色。
「ありがと。この色は……イチゴ味?」
「んにゃ、スイカ味」
「スイカ?」
「そ。変わってるだろー?」
へへっと笑って少年はカキ氷にざっくりと刺さっているプラッチックのスプーンを手にとってシャリシャリと氷の欠片をすくい取る。
「ゆーすけってば、ほんっとこういう変わった食べ物好きだよね」
「だってよ、スイカ味のカキ氷なんて食ったことねぇだろ? あ! 意外とウマイぜっ! ほらほら、さおちゃんも食ってみろって!」
まるで子供のようにはしゃぎながらカキ氷をすくって口に運ぶ目の前の人物を見て、沙織は思わず笑みをこぼす。
沙織にとって、ゆーすけこと石井祐輔は一応彼氏という位置づけになる。
しかし、大学生活最後の夏となる沙織と違って、祐輔は大学生になって初めての夏だ。
二人の間には三年という大きな年の差がある。
けれども。
沙織にとって祐輔は頼れる彼氏であり、祐輔にとって沙織は守ってあげたくなるようなかわいらしい彼女なのだ。
そんな頼れる年下彼氏くんは、カキ氷を食べる手を止めて沙織の顔を覗き込む。
「まだ悩んでんのかよ?」
「何が?」
「会社」
しゃりしゃりしゃり。
沙織の手から取ったカキ氷のカップにスプーンを突き刺しながら、祐輔は言葉を続ける。
沙織の、そして祐輔の手のひらの温度でカップの中の氷は徐々に溶けはじめている。
「さくら商事に行くんじゃねぇのかよ?」
さくら商事とは、先週沙織に内定の連絡をしてきた会社の名前だ。
その名前をぶっきらぼうに口にする祐輔に、沙織は小さく返事をする。
「行くよ」
「うそつけ。まだ迷ってますーって顔してんじゃねぇか」
「迷ってないよ」
祐輔の言葉に強い口調で言い返して、沙織はじっと浴衣の裾を見つめる。
遠くでは力強い和太鼓の音が聴こえる。
懐かしい盆踊りの音が、二人の頭上を通り抜ける。
懐かしい空気。
楽しい空間。
幼い頃から慣れ親しんだ、祭りのにおい。
「迷ってんだろ? まだ諦めきれねぇんだろ」
誰よりも近くで沙織の就職活動を応援していた祐輔が、その言葉を口にする。
諦めきれない。
どうしても行きたかった会社。
やりたかった仕事。
その為にたくさんの勉強をして、たくさんの知識を吸収して、数多くの面接試験を受けてきた。
その結果が、さくら商事だ。
入りたかった会社からはことごとくふられて、あまり深く考えずに受けた大手商事会社の面接であっという間に最終まで残ってしまい、気がつけば内定の連絡を受けてしまったのだ。
「……仕方ないじゃない」
まるで自分を責めるような祐輔の言い方に沙織は唇を尖らせて小さく呟く。
「さくら商事しか受からなかったんだもん」
「だからって、別に行きたくもない会社に行くのかよ?」
「別にっ! ……別に行きたくないことないわよ。大手だし、一流だし、安定してるし……」
最初は勢い良くしゃべっていた沙織の声が、徐々に小さくなっていく。
大手の会社から内定が取れたことは、確かに自慢だ。
友人たちの中でも一番の大手企業で、誰に言っても恥ずかしくない社名を背負うのは誇らしくもある。
けれど。
その会社に沙織のやりたい仕事はない。
沙織が思い描いていた仕事は、さくら商事では出来ないのだ。
「おふくろさんたちはなんて言ってんだよ?」
「……断るなんてもったいない」
「だろうなー」
沙織の返事に祐輔は小さく肩をすくめる。
「でも! 確かにもったいないとは思うけど! うちは下に弟が控えてるから就職浪人なんてできないし――」
「別に反対してるわけじゃねぇよ」
勢い込んで言い訳をするようにしていた沙織の言葉を遮って、祐輔はふっと笑う。
「さおちゃんの人生なんだから、俺が横でとやかく言うのはおかしいしな」
「……何よ、その言い方」
「でも間違ってねぇだろ?」
祐輔の言葉に、沙織は思わず息を呑む。
三つも年下の目の前の男の子が、ひどく大人に見える。
同時に、周りに流されるがままに就職先を決めてしまう自分が、ひどく子供に思えてしまう。
周囲のことを考えて大人としての判断をしているはずなのに、その決定はまるで何かから逃げているかのように思えるのだ。
「ただ、そんなに急ぐこともないんじゃねーかなって思ってさ」
「急ぐ?」
「そっ」
食べ終えたかき氷のカップを近くにあるゴミ箱に放り投げた祐輔は、肩の力を抜いた感じで言葉を続ける。
「さおちゃんはまだ二十一だろ? 人生これからじゃん」
「何よそれ。年寄りって言いたいわけ? いいわよねーっ。ゆーすけはまだ十八なんだから」
「すねんなよ。ってか、話を茶化すなよ」
「……」
祐輔に図星を指された沙織は、さらに反論しようとしていた言葉を飲み込む。
「二十歳過ぎで自分の人生を全て決めちまう必要はねぇと思うんだよな。別に二十五からだって三十からだってやりたいことがちゃんとあれば、いつでもそれははじめられると思うし」
「……そりゃ、そうかもしれないけど」
「それに、さおちゃんのやりたい仕事って、別に年齢制限あるわけでもないしさ。自分の可能性をそんな早くに諦めることねぇんじゃないの?」
そんな簡単に言わないでよ、と口に出そうとした沙織は、自分を見つめる祐輔の真剣な表情にその言葉を飲み込む。
確かにそうだ。
まだたかが二十歳を過ぎたばかりの小娘が、自分の人生を諦めてしまっていいはずがない。
でも――。
厳しい氷河期といわれる就職活動を乗り越えてきた沙織にはそんなまっすぐな、夢や希望に溢れた者にしか考えられないような言葉に簡単にうなずくことが出来ない。
いくら沙織のやりたいことの年齢制限がないからといって、やはり年を重ねるごとに不利になっていくのは事実だし、夢だ希望だと青臭いことを言い切れるほど未来が明るいとは思えないからだ。
「ゆーすけは就職活動したことないからそんなことが言えんのよ」
結局、ぐるぐるといろんなことを考えた結果沙織が口にだした言葉は、ひどく相手を傷つけてしまうものとなってしまう。
「……ま、そりゃそーだけどな」
沙織の言葉に小さく肩をすくめて祐輔は口を閉ざす。
にぎやかなお囃子が二人の頭上を通り過ぎてゆく。
楽しい祭りの空気の中、二人は隣りあわせで座ったまま言葉をなくす。
そこにあるのは、重苦しい沈黙。
沙織の浴衣の裾が、生温い風を受けて小さく揺れる。
ふと、視線を上げた沙織の目の前に、小学生低学年ぐらいの少年が通り過ぎた。
その手には、おそらく金魚すくいで手に入れたであろう金魚の入った巾着を嬉しそうにかざしている。
楽しそうに笑う少年。
小さな巾着のなかで気持ちよさそうに泳ぐ金魚。
今まで大きな水槽にいたはずなのに、気がつけば自分を取り囲む景色が変化していて、自分の居場所が一気に小さくなってしまった赤い夜店の金魚。
それでも、金魚は泳ぐ。
同じような動きで、小さなその世界の中を目一杯泳ぐ。
あるべき現状を受け入れて、その中で精一杯自分らしく生きていく。
頑張って手に入れた場所が思い描いた場所と違っても、その場所でまた頑張ればいい。
手に入れた未来が願っていたものと違ったのならば、これから手に入れる未来を変えればいいのだ。
「私、さくら商事に行くよ」
「あ?」
気持ちよさそうに泳ぐ金魚を持った少年の後姿を見つめながら、沙織ははっきりとした口調で自分の気持ちを吐き出す。
「仕方ないから行くんじゃなくって、これも人生の経験だと思って行くよ。私の目指す仕事に必要なのはたくさんの経験だもん。最終的にあの場所を手に入れるために、今はさくら商事に行く」
見えなくなった赤い金魚。
きっとあの金魚は、飼い主となった少年の自宅にある水槽でもう一度広い世界を手に入れるのだろう。
そこで、金魚は生き続ける。
捕まってしまった不幸を嘆くんじゃなく、新たな世界にいけたことを喜ぶかのように。
「いーんじゃねぇの」
しっかりと正面を見据えて自分の未来を口にする年上の彼女に、祐輔は嬉しそうに笑う。
「さくら商事は大手だし?」
「うるさいなぁ」
にやりと笑って皮肉を続ける年下の彼氏に向かって、沙織はチラリと横目でにらむ。
そして、ピンクのTシャツから伸びた腕に自分の手を重ねる。
「ありがと……ね」
「うん?」
触れた腕はひんやりと冷たい。
硬くて筋張った、筋肉質な男の腕。
年下なのに、頼りがいがあると感じられるしっかりとした腕。
そんな腕に浴衣で隠れた自らの腕を回して、沙織は微笑む。
と、その瞬間――。
「あ」
「おっ」
闇色の空に広がる、大輪の花。
この祭りのフィナーレとなる花火が二人の頭上高くに打ち上げられた。
「きれぇ」
「やっぱ祭りの締めは花火だよなー」
見上げた夜空に咲く色とりどりの花たち。
思いっきり咲いた花は、ゆっくりとそのカタチを失っていく。
一瞬の光。
一瞬の造形。
でもそれは、人々の心を捉えて離さない夏の風物詩。
「よかった」
「え?」
夜空を見上げたまま、祐輔が小さく呟く。
その呟きをすくい上げた沙織に向かって、花火の音にまぎれてしまいそうな声音で祐輔は言葉を続ける。
二人の上にはたくさんの花火。
夏の夜を飾る華やかな風景。
そんな中、祐輔が言ってくれた言葉を沙織はしっかりと受け止める。
ふわり、と二人の間を通り抜ける生ぬるい風。
そんな風を受けて、沙織は祐輔の腕に絡めた手を少し下ろす。
その先には、ごつごつとした男の手。
自分とは異なる、大きな手に沙織は自らの華奢な指先を絡めた。
これからの自分の人生に負けないように。
自分自身の目指す場所を見失わないように、と――。
読んでくださってありがとうございます!
当作品は、ミスチルの「箒星」からヒントを得て、一生懸命頑張っている女の子と、その女の子を守る男の子が書きたくて作りました。
この作品を読んだあなたが、少しでも幸せなキモチになってくれますように。