理想の弟
私、香河 沙耶こと十四歳には不満が一つあった。
それは弟、香河 謙一こと十三歳のことである・・・。
ことのはじまりは、私の同級生の一言だった。
幼稚園からの親友、里子と、中学に入ってから知り合い、すぐに仲良くなった由美。
この二人と一緒に、いつもの如く放課後の教室でだべっていた時のことである。
「あんたの弟、謙一くんだっけ? あの子って、可愛いよね」
携帯電話をパチパチいじりながら、ショートカットの里子が言う。
私は唐突に出た弟の話に、眉を寄せた。
「あ? どこが?」
私の脳裏に、いつものノヘーッとした弟の顔が浮かび上がる。
「私もそれ思ってた。なんだか、男の娘って感じの子w」
由美がパンと手を叩いて言った。その衝撃で、ピンクの眼鏡がちょっとずり落ちる。
「そうそう。よく体育の時間に、同じクラスの男子にお姫様抱っこされてるじゃん」
そういえば、そんなこともあるかもしれない。なにせ小さいヤツだから。典型的なイジメられっ子タイプだ。
「いいなー。沙耶。私もあんな弟ほしー♪」
「あんなので、いいなら熨斗つけてくれてやるわよ」
私は憮然とした顔で言った。
弟は、ほーーんと、男らしさの欠片もない意気地なしだ。 そんなだから、とても自慢できるわけもなく、今年になって私と同じ中学に入ってきたのだ。できるだけ同級生には、弟だとバレないようにしてきた。
だが、さすがに友人のこの二人には知られている。まあ、香河なんて珍しい名字だし、すぐにバレることだとは思っていたけれども・・・。
「私は、もっと男らしい弟が良かった。姉の言うことをちゃんと聞くね」
私は鞄の中に入っていた少女漫画を取り出す。
その少女漫画の主人公の女の子には、出来の良い弟がでてくる。高身長でイケメン。なおかつ、主人公が危険な時には身を挺して姉を守ろうとする優しさがある。理想の弟だ。
二人とも同じ漫画を読んでいるので内容は知っているし、私が言いたいことも察したようだった。だが、複雑そうな顔をして二人して顔を見合わせている。
「沙耶は、ぜいたくよねー」
「そうだねー」
「なによ、それ!!」
私は二人が呆れたように言うのに、腹が立って席をたった。
弟は嫌いではない。でも、腹が立つのだ。
怒りに任せ、二人を置いて、私はさっさと帰途についた・・・・・・。
リビングでテレビを見ていると、ガチャンと玄関が開く音がする。両親は共働きで遅いし、間違いなくそれは弟の帰宅だ。私は知らず知らずのうちに、眉の間にシワを寄せていた。
「ただいまぁー。お腹すいたー」
そんな暢気な声がする。相変わらず、ムカツク声だ。変声期がきていないので声が高いのは仕方ないが、甘ったるいミルクセーキのような匂いまでただよってきそうな声色だ。
「姉ちゃーん。おやつはー?」
弟がリビングに入ってきた。鞄を置く音がする。
おやつだ? 男がおやつだなんて軟弱な言葉を言うな。おやつ・・・んー、「間食はどこでござろうか?」。いや、ちょっとおかしいけど、せめてそういった風に言え! それか、食うな! 男は三食、大盛り白飯と肉を食ってればいい! それが男ってもんじゃないのか?
「・・・冷蔵庫。プリンがある」
そうは思っていても、私は謙一の方は見ずに冷蔵庫の方を指さした。弟の視線が、私から冷蔵庫に移ったのを背中に感じる。
弟が、トトトと・・・そう。トトトと!! おい。なんだ、そのチワワみたいな足音は!! そんな音をたてて冷蔵庫に向かうな!
「うわーい。焼きプリンだw 嬉しいなぁ~」
その言葉にピキッと青筋が立つ。私は思わず、手に持っていた野菜ジュースのペットボトルを握り潰しそうになった。
またトトトという足音。それが、私の座っているソファーの向かいに腰掛けた。
「いただきまーすw」
その言葉を聞いた瞬間、私は我慢の限界に達した。里子と由美の会話も原因だったし、目の前で行われるメルヘンチックな行動が私の堪忍袋の緒を切った。
「男だったら黙って食え!」
野菜ジュースをテーブルにたたきつける。ビシャッと少しだけ、赤い色の液体が飛んだ。
私の目の前で、今まさに焼きプリンにスプーンをさそうとした謙一がキョトンとした顔をしている。
遺伝のせいか、色素の薄い亜麻茶色の柔らかそうな髪。クリンと揉み上げのところが丸まっているのが特徴だ。
姉の私よりも大きなドングリ型の瞳には、そりゃ眉に突き刺さるんでないかというほど・・・まあ、大げさな表現だが、それだけ長い睫がバシバシッとくっついている。
鼻は小さく、口も小さく、まるでお人形さんのようだ。色白で小柄で細い。
ピタッと第一ボタンまでしめている制服で、男だと解るわけで、仮に女の子の服をきていたら絶対に女と見間違えるだろう。学生証の性別を見るまでは、絶対に男だと信じてもらえないような姿形。これが、私の妹・・・ではなく、弟なのだ!
「だって、ママが・・・食べるときには、まず、『いただきます』って言いなさいって言うでしょ」
私が怒った理由を取り違えたらしく、謙一はニコッと笑って言った。
「ちがう! もっと男らしくしろって言っているの! 私は!!」
バンバン! 私がテーブルを叩いても、謙一はキョトンとした顔のままだ。
「そりゃ、私だって世紀末覇者のようになれとまでは言わないよ! でも、男らしくない弟はイヤなの!」
なんだか私の方がワガママを言っているようで嫌になる。けど私は間違ってはいないはずだ。
「・・・可愛い弟はイヤなの?」
小首を傾げて言う謙一に、ゾワゾワっと鳥肌が立つ。お前はリスか!? 小動物か!? 自分で可愛いなんて言うな!
「・・・もうアンタも中学生なんだから」
ちょっと冷静になり、私はもっともらしいことを言う。
先輩とか後輩とかの上下関係は厳しくなるし、これから部活に入るなら尚更だ・・・。こんなミルクセーキのメルヘンチックなことでやっていける世界ではない。
うん、私の言ったことは間違ってない。
「ふ~ん」
謙一はスプーンをくわえながら人事みたいに言う。私はその態度にカチンときた。
「なに? なんか文句あんならハッキリ言いなさいよ」
「いいや。でも『可愛い弟がいい』って言ったの姉ちゃんなんだけどね」
謙一は私の目をジッと見て言う。
「私、そんな事言った覚えは・・・」
「ないだろうね。僕が五歳の時の話だもん。でも確かに、姉ちゃんは『このまま可愛い謙ちゃんでいてね』って友達に言っていたよ」
私は脳の奥底から、蜘蛛の巣のかかった記憶を引っ張りだしてくる・・・。
そういえば、里子に謙一を紹介しながら・・・ああ。そうだ。あの時は、ままごとの最中で、謙一は確か私の子供役だったんだ。里子が「可愛い弟だね」なんて言うから、私もつい「このまま可愛い謙ちゃんでいてねー」とかなんとか言ったような記憶が・・・。
「はあ!? で、アンタは・・・その時の、私の・・・子供の言葉を真に受けて・・・可愛いい行動とってる、って、そういうことが言いたいわけ!!?」
謙一はコクリと頷く。
なんだ、こいつは!? バカか!? バカなのか!? 私の弟は!!
「撤回! それ、なかったことにして!!」
私は頭を掻きむしってそう言った。ああ。そこまでバカなのか。あんな遊びの中で言ったことも真に受けるほどアホなのか。悲しくなってくる・・・。
「えー? いまさら・・・」
謙一は眉を寄せる。ああ、そりゃ、五歳の頃からの私のお願いを守っている弟だ・・・そりゃ戸惑うだろうよ。私だって戸惑うよ!
「じゃあ、僕はどんな弟になればいいの?」
そんなとんでもないことを言い出す! この大バカは!!
「はあ? どんなんでもいい! ムカツクような仕草しなきゃ! アンタの好きでいいでしょうが! そんなこと私に聞かないでよ!」
「僕の好きでいいの?」
謙一は真顔でそう言う。ああ。もう自分の好きにしてよ。私はコクリと力無く頷いた。
「そう。じゃあ・・・お言葉に甘えて・・・」
謙一が食べていたおやつを脇にどかす。私はそれを横目に、野菜ジュースに手をのばした。何を思ったか、謙一はのばした私の手首を掴む。
「なに? アンタ・・・ふざけて・・・」
怪訝に私は眉を寄せて言うが、謙一は私の手首を離さない。ふざけるのも大概にしろ!
「い、痛い!! 謙一、なによ!! 痛いって! 離して!!」
謙一はギュッと手首を握る力を強める。え? こんな、モヤシみたいに細い腕のどこにこんな力が・・・。私は痛みを訴えるが、謙一の顔は凍り付いたように無表情のままだ。
「ほ、本当に! お姉ちゃん怒るよ!!」
「・・・沙耶」
謙一が私を・・・呼び捨てに、した? あの謙一・・・が?
「へ?」
私が自分の耳が信じられず、キョトンとした瞬間だった。謙一はグイッと私の手を思いっきり引っ張る。私はテーブルに叩きつけられるか、謙一の反対の手で殴られるのではないかと、衝撃を覚悟して目を瞑った・・・。
『チュッ』
衝撃も痛みもなかった。代わりに、なんだか生温かいものが額に当たる・・・。
恐る恐る目を開いて、それが何か解って、私の全身をブワーッと鳥肌が覆った。
私を抱き止めている謙一・・・それが、私の額に・・・キ、キ、キ・・・・いや、キス!! いやーーーーーキス! 接吻! kiss!! はぁ? なにこれ、どうなってんの!!?
「あ、あうああ・・・」
言葉にならない言葉が、私の口から出てくる。
「これが、本当の俺だよ。沙耶」
唇を離してニコリと笑う弟・・・謙一。
お、俺? 俺・・・あれ? 謙一の自称って・・・僕じゃ・・・なかったっけ?
そして、その笑顔は、私の知る謙一じゃなかった。ミルクセーキの甘ったるい匂いの天使じゃない。憂いと澱みを含んだ冷たい眼。ニヤリと笑わせた唇。悪魔だ。悪魔が私の目の前にいる・・・。ああ、例えるならば、ヨン様がデニーロ様になってしまったほどの変化だ。
「あ、あの・・・は? け、謙一・・・です、よね?」
なぜか混乱して弟に敬語を使う私。だって、だって、それだけ変なんだし! ああ、なに、こいつ? なにがどうなったの? 二重人格???
「だって、沙耶が俺の好きでいいって言ったんじゃねぇか。ま、『可愛い弟』の命令は中学までのつもりだったし・・・ちょうど良い機会だったけど」
前に揃った髪を掻き上げてオールバックに、そして、胸のボタンをブチブチッと外す。これが・・・このチンピラみたいなのが・・・私の、弟?
「こ・・・こんなの、私は・・・望んでない」
額に手をあて、そこがちょっと湿っていることに気づき、さっきの行為を思い出して私は赤面する。ああ、額とはいえ・・・弟にキス、ああ、おでこに・・・ああ!! なんだこれ、なんだこの展開!!?
「ん? 沙耶のお願いはずっと・・・それ以前から守ってきたんだ」
「え?」
謙一はニヤリと笑う。そして、私の頬を撫でた・・・。
「『謙ちゃんは大事な私の弟。ずっと、ずっと一緒だよ』って・・・な。その姉ちゃんの願い、俺が叶えてやるよ」
ああ・・・。なんてことだろう。気が遠くなる・・・。
謙一は・・・私の言葉、ずっと守ってきたっていうのか・・・。そんなの認められるわけないじゃない。
「てっかい・・・撤回!」
私は手を振って言う。やり直そう・・・よし。そうだ。今からなら引き返せる。
「無理だね。だって、もう『自分の好きにしていい』って言ったし」
やっぱり・・・弟は腹が立つ・・・・・・・・・。
『謙ちゃん』
『なあに、お姉ちゃん?』
『謙ちゃんはね。お姉ちゃんのこと好き?』
『うん。好きー』
『謙ちゃんは私の大事な弟。だから、ずっとずっと一緒だよ』
『うん。ずっとずっと一緒だね』
『そう。ずっとずっと・・・だよ』
弟にとって姉への感情は、恋愛を含むのかどうか・・・それは読み手にお任せ致しますw 一応、恋愛にしてはありますがw
元ネタは、私の親戚の女の子が、まだ赤ちゃんだった弟を甲斐甲斐しく世話してやっていて、額にチューをしてイイ子イイ子ってやってたからですw 「ああ、こういうのいいなぁ」と思いまして・・・。
あと最近では、地震が頻発していた時。たまたまスーパーにいたんですけどね。ちょっと大きい地震があったとき、買い物をしていた小学生ぐらいの姉弟がいまして。弟の持っているお菓子を叩いて落として、その手を握ってお姉ちゃんが真っ先に「逃げるよ!」って駆け出したんですよw いやー、姉の愛って素晴らしいなぁとw 地震で揺れる中、冷静で観察してましたw
なんか、お姉さんっていいですねぇw そんなことを考えながら書きました。