死の手
爆炎が舞った。自分は彼女に手を伸ばす。狂おしく求めて名を呼ぶ………。なのに彼女は嫌々と首を振ってこちらには来ない。この場にいるのは二人だけ。だってそうなるように殺したから。リル***。***。愛している。君を君だけを。なのに何故君はこの手を取らないのか。あいつはもういない。
僕等の邪魔をする****インはもう*んだ。あぁ君は美しい。泣いている顔も、怒っている顔もすべて僕だけのものだ。ア**。***あいしている。なのに何故僕は君の顔を思い出せないのだろう………。
夢から目が覚めて………自分が誰かを思い出す。
―――薬が効かない。
夢は彼を苛むのをやめようとしないどころか日ごと鮮明さを増す。まるで彼自身の記憶のように炎の熱も煙もとてもリアルだった。
―――オカシイ異常だ。
記憶の欠落は頻度を増している。最近は夜にも徘徊しているようだ。
思えばあの森に行ってからすべてがおかしくなった気がする。森の呪いの話を思い出す。あの森で一夜を明かして気が狂った男の話。自分も少しずつ狂っていくのだろうか………?人知れぬ恐怖を抱えて彼は両手で顔を覆った。
※ ※ ※
気持ちの良い風がバルコニーを吹き抜ける。新緑を身にまとった木々がサヤサヤと梢を揺らした。
今日から私はルド様とラーダ様に剣術と魔術を教えて頂く。その初めての講義がバルコニーで行われる事になったのだ。今は、ラーダ様の魔術の講義。昨日、宣言していた通りシア姉様がご一緒してくださる。ラーダ様が空中に浮かぶ水晶版の上に文字を書いた。『魔術・その成り立ち』
「魔術とは、真祖マルドゥーク・エウレハウンゼンが邪神ガルツァークを倒すために神々から与えられた力だと言われています。精霊術とは体系を異にし、魔術が術式を込めた呪文で魔方陣を構築、素霊の力を行使するのに対し精霊術は契約の元、祈りと呼ばれる聖句を唱える事で精霊の力を行使するという特徴をもっています。魔術、精霊術ともに攻撃、防御、治癒の術があるけれど、魔術が特に攻撃に優れているのに対して、精霊術は属性にもよりますが治癒の術に対して優れていると言えます」
ラーダ様は一旦言葉を切ると私の目をみて軽く微笑まれた。シア姉様がそんなラーダ様を軽く睨む。
「では、何故神々は魔術を我々に与えたのか?それは魔術は魔力があれば使う事ができるけれど精霊術は精霊の声を聞き精霊を見る事ができる者にしかなれないからです。近年その数は減っているけれど、妃殿下と四方の賢者様方はこの精霊術師ですね」
私は臥せっている時にお見舞いにきて下さった東の賢者ラドクリフ様を思い浮かべた。
ラドクリフ様はお父様の乳母の末の息子でお母様と一緒に精霊術を学んだ方だそうだ。賢者様と言われると気難しいお爺さんを想像していたので、年の割に若く見えるラドクリフ様には少し驚いた。とても気さくな方で、綺麗なお花を沢山持ってきてくださったのを覚えている。
「他の特徴的な違いは魔術士の力は生来の魔力の量と本人の努力によって左右されるのに対し、精霊術士の力量はより強い精霊と契約できるかにかかっている事です。それと精霊術士の能力は遺伝しないのに対し魔力は遺伝によって受け継がれる場合が多いですね。魔術士同士で結婚するのが多いのはこのためです」
私は頷きながらメモをとる。だから私の婚約者は魔術士であるラーダ様なのかもしれない。
「さてここからは魔術の仕組みを説明します。我々が使う魔術のスペルは、その使い手によって個々に違うものです。多くは基礎の知識を学び、本人が使いやすいように改良を加えます。主にスペルの簡略化です。もしも、魔力が拮抗している魔術士同士で戦うとします。同じスペルを唱えたのに一人が勝ち一人が負けました。何故だと思いますか?」
いたずらっぽい笑みを浮かべてラーダ様が私に質問する。同じ魔力で同じスペルなのだとしたら本来であれば相殺されるはずである。
「勝った方の方がスペルを唱えるのが早かったからですか?」
私がそう言うと、ラーダ様は満足げに頷いた。
「その通りです。嫌な話ですが、戦場などの場合それが命取りになります。時間が短縮できればできるほど打てる手は増えるのです。ですから、魔術士はスペルを理解し簡略化に努めます。最近はは道具に頼る方達も多いようですが」
「道具ですか?」
「えぇ。物にスペルを込めるやり方です。装身具にする方が多いですね。魔力がない方達にも使える物の多くは一度使ったら二度と使えない物です。魔術道具を扱うお店で購入できますが込められたスペルによって値段が変わります。半永久的に使える物の多くは魔力がある方にしか使えません。何故なら術道具が魔術を使うと同時に使用者から、次に使用するための魔力をチャージするようにできているからです。これらは、その物が壊れるまで機能しますが、使用者の魔力の量によって使用回数に限りがあります。後は、特殊な鉱石を使用した物がありますね。竜の化石から採れた心臓等がそうです。それ自体に強力な魔力が宿っているために永久的に使える大変希少な物です。しかも大変頑丈で壊れにくい。だからこそとても高額で取引されます。今はそれを模した疑似宝珠というのもあるけれどね。騎士団の徽章があるでしょう?あれもそうです。あれは非常時に互いに連絡がとれるように石はオプトルが使われています。」
私はルド様の徽章を思い浮かべた。盾を中心に両脇に鎧を着て剣を咥えた獅子。下に向かった剣が交差した上の所に黒い石が嵌っている。黒は護衛騎士団の色だ。隊長であるルド様の獅子は他の騎士と違い赤い房つきの兜をかぶっている。天馬騎士団の騎士団長であるヴェン兄様の徽章は
盾を中心に両脇に竿立ちになって鎧を着たペガサスが剣を咥えたものでやはり下に向かって交差した剣の上に青色の石が嵌ったものだった。兄様のペガサスも赤い房つきの兜をかぶっている。
「騎士団だけでなく魔術士のものもありますけどね」
そう言ってラーダ様が見せて下さったのは盾を中心に両脇に片足をあげて杖を掴んだ鷹、下に向かって交差した杖の上に白い石が嵌ったものだった。騎士の方達と違うのは、鎧の代わりに首にアミュレットがかけられている事と魔術士長であるラーダ様の鷹は頭に蔦の冠がされている事だった。
「このように、徽章にはその人物がどこに所属し、何の地位についているか明確にするものです」
「では、私の徽章ももあるんでしょうか?」
「えぇ。フィア様は魔術士でもありこの国の王女ですからね。公式の場でつける徽章があります。フィア様のものは盾を中心に両脇に王女の冠をかぶる杖を咥えた獅子です。宝石の色は『王室の血』を表す赤になります。後は獅子の前足に三本の細い腕輪がはまっていますね。これは第3王女であるという意味を表します………最後はちょっと脱線してしまいましたが、今日は初めての講義ですしこれくらいにしましょうか。それと、フィア様。次の講義までにこの本を読んでおいて下さい」
そう言ってラーダ様が渡して下さったのは『魔術の呪文:基礎』という本だった。パラパラめくると属性別に簡単な呪文が書いてあるようだった。
「初めはここからです。ちょっと子供っぽいと思われるかもしれないですが………魔術は基礎が一番肝心ですからね。次の講義では実際にスペルを唱えて魔術を使ってみましょう」
「はい。次の講義も楽しみです。有難うございましたラーダ様。とてもわかりやすかったです」
「それは良かった。そう言ってもらえたら私も嬉しいよ」
お礼を言うと、講義の時用の改まった言葉づかいとは違ういつものラーダ様の口調に戻って、とても嬉しそうに微笑まれた。
「講義が終わったのならお茶にしましょうか?ラーダあなたもどう?」
シア姉様が女官にお茶を持ってくるように指示を出す。
「そのお誘いにはとても心動かされるものがあるんだけどね………。残念ながら、この後ルドと約束があるんだ。お茶はまた今度誘って貰えると嬉しいな」
本当に残念そうに言うものだから私はちょっと笑ってしまった。
「また、お誘いします。お仕事頑張って下さいね」
「ありがとうフィアっ。君にそういって貰えれば、かなり元気がでるよ」
さりげなく私の手を握るラーダ様。笑顔がとてもまぶしいな、と思っているとラーダ様の指をシア姉様が一本一本引き剥がす。
「お帰りはこちらですわよラーダ先生?調子に乗ると………わかってるわね」
「………ひどいなぁ………シア」
苦笑しながらラーダ様は両手を挙げて私から一歩下がった。
「じゃあ、名残惜しいけど僕は退散するよ。シアも怖いしね。フィア、また次の講義で」
「はい。有難うございました」
私だけに見えるウィンクを一つ残してラーダ様は部屋を後にする。
「まったく油断も隙もないんだから!さて………私達はお茶にしましょうか?」
「はい」
颯爽と去っていくラーダ様を睨みつけてからシア姉様が私の方を見る。
テーブルの上には用意されたばかりの紅茶と可愛らしいプチケーキが何個も乗っていた。
それを見て私とシア姉様は自然と微笑みあった。
※ ※ ※
講義が終わったのか、約束の時間より少し遅れてラーダが顔を出した。この場にはお願いして来て頂いているラドクリフ様と各騎士団を代表してヴェンの姿がある。ヴェンにだけはここに来る前に俺達の考えを話して協力してもらう事になっていた。可愛い妹に危害が及ぶかもしれないとあって全面協力を申し出られている。こちらとしても心強い。
「申し訳ありません遅くなりました」
俺達の姿を認めてラーダが歩みを早くしながらやって来る。そんなラーダにラドクリフ様がニコニコ笑いながら手を軽く挙げた。
「私もルドに連れてきてもらって今来た所だからね。大丈夫だよ」
その言葉にラーダの顔に笑みが浮かぶ。
「そうでしたか」
ここは、王城の裏にある死体安置所だ。昨日新たに出た例の事件の被害者の遺体を街の死体安置所から密かにこの場所に運んで貰っていたのだ。
「で?問題の遺体はどこかな?」
「………こちらです」
扉をあけて薄暗い階段を降りていくと、ひんやりとした部屋の中、五つある石の台座の上に白い布に包まれた遺体があった。布の膨らみから小柄な女性であると察せられる。
互いに頷きあってから俺が布をめくった。
そこには異常に青白い顔をしてなければ眠っているとしか思えない少女が横たわっていた。
「………眠っているようにしか見えないね………」
そう呟くように言ったのはヴェンだ。俺はその言葉に頷いた。
「可哀想に………安らかな顔をしているのがせめてもの救いか………これが、例の手の跡だね?」
そういうとラドクリフ様が身を屈めて少女の首に着いた黒い手の跡を見る。
「そうです。ですが、舌骨は折れていません。なので絞殺ではありませんし他に死因と思われるいかなる傷も毒も発見されませんでした」
ラーダが今までと同様の状態ですと言いながら少女を示す。
「………闇の精霊に近い力を感じるね。でも闇の精霊では無い。もっと異質のモノだ。あの森のような歪んだ力を感じる。それも………神とか魔の領域に近い力だね………残滓だけでもちょっとした禍々しさだよ。後は………飢えを感じるな。この魔物―――魔物と言ってしまっていいと思うけど………こいつは何かにとても飢えてる。後………この子の死因だけれど、これは魂を抜かれた―――というか食べられた………という感じがするね」
ラドクリフ様は最後の方を言いにくそうにしながらおっしゃった。顔が苦痛に歪む。
そのあまりの言葉に俺達もとっさに反応できなかった。―――魂を?食べられる………?
「そんな!それでは犠牲者の魂はどうなるというんだ?!」
ヴェンが憤りを含んだ声で叫ぶ。俺達皆がきっと同じ気持ちだったに違いない。
「正直………わからない。でも、その魔物の身の内に囚われて輪廻の環に還れない可能性が高いだろうね………」
その言葉にラーダとヴェンが息を飲む。輪廻の環に還れないということは解放のない苦しみを表していると言えた。こんな少女の身にそれは惨過ぎる。
「これ以上犠牲者が増える前に何とかしないとな………」
俺がそう言えば皆が頷く。
「私の契約精霊は水属性だからね。後で西と北の賢者に連絡を取ろう。このあたりの精霊に協力してもらって街を監視してもらうようにしておくよ」
西の賢者様は風の精霊と、北の賢者様は大地の精霊と契約を結ぶ方である。基本、どんな精霊の声も聞ける精霊術士であるが、賢者様方に関して言えば扱える精霊の属性が決まってしまう。それは各精霊の『王』と呼ばれる存在と契約するためだ。精霊王との契約の力が強すぎるため、他属性の精霊だと例え高位精霊であっても契約を結ぶことができなくなるのだという。
「宜しくお願いします。………何としてもこの魔物を滅ぼさねばならない」
ヴェンが沈痛な面持ちで少女に白い布をかける。この少女をフィアに重ねているのだろう。丁度、年も同じ頃だ。重ならないはずがない。四人共、ここに来る前より顔色が悪かった。薄暗い安置所にいるからではない。少女の身に起こった怖ろしい出来事に胸が悪くなる。少女の顔が眠っているようにしか見えないために余計にその醜悪な悪意のようなものを感じて寒気がした。
術とかの仕組みを考えるのは好きですが、表現するのは苦手です(汗
思ったよりも時間がかかりました。
そして、やっと街の少女達がどうなったのかが書けました。
これから魔物が少しずつ表に出てきます。