一時の平穏と不安の種子
決意を新たに、フィアはお父様にお願いをしてみた。かつての私がしていたように、魔術をと剣術を勉強したいと申し出たのだ。お父様はちょっと吃驚した顔をなさったけれど嬉しそうにいいよ、とおっしゃった。お母様は少し心配そうだったけれどやってみたいんですといったら、絶対無理はしないようにとおっしゃって許して下さった。明日から私は魔術をラーダ様、剣術をルド様に教えてもらう。
それに合わせて服装もドレスから動きやすいものに着替えた。かつての私が着ていたというそれは服の裾の部分が膝のあたりまでしかなくてちょっと恥ずかしい。でも、ドレスみたいにコルセットでギュウギュウされなくて良いのでそこは好きになれそうだった。
「フィアっとっても可愛らしいわ」
そういって下さったのはグレイシアお姉様だ。
「もうちょっと、丈をのばした方がいいのじゃなくて?前々から言ってるけど可愛い妹の足に男どもが視線を向けるのは腹立たしいわ」
そういって私の足をじっと見つめるのはエレジアお姉様。
「そんな阿呆がいたら私ととラーダとルドに再起不能にされると思うよ」
そう言いながら物騒にも剣の柄をいじり始めたのがトルヴェンお兄様だ。
「まぁ、天馬騎士団の団長と魔術師長、護衛騎士団団長を敵にまわそうとは誰も思わないでしょうけどね」
そう言ってエレジアお姉様が口元に手をあてて微笑む。
トルヴェンお兄様とエレジアお姉様は似てないけど双子らしい。どちらかというとエレジアお姉様とグレイシアお姉様の方が双子みたいに見えるのだけれど………。
こうして兄妹そろってみるとお父様とお母様の特徴が面白いくらいに分散されているのがわかる。お父様は黒髪に藍色の瞳、お母様は蜂蜜色の髪に深緑の瞳をしてらっしゃる。
トルヴェンお兄様は黒髪に深緑の瞳で顔はお父様の若い頃にそっくり。エレジアお姉様は少し色は濃いけれど私と一緒の蜂蜜色の髪に藍色の瞳。グレイシアお姉様が黒髪に深緑の瞳で………髪や目の色は違うけれど私達姉妹はどちらかと言うとお母様に良く似ている。
「トルヴェンお兄様あんまり皆をいじめないで下さい。私知ってるんですよ?この前お花を持ってきて下さった方を追い返していたでしょう」
そうきっぱり言うとお兄様は私から目を逸らした。
「そんなこともあったような、なかったような………でも、私よりラーダに言った方がいいと思うなぁ。それ」
苦笑しているお兄様を置いておいてラーダ様の事を考えた。私の婚約者だというその人。彼も似たような事をやっているのだろうか?
「ラーダ様ですか?」
そういって首をかしげるとお兄様は「あいつは特大の猫をかぶっているからね?」と笑いながらおっしゃった。
「そう言えばずっと気になってた事があるのだけど………フィア、あなたラーダとルドだけ様はつけてるけど愛称で呼んでるわよね?」
「あぁ、それは私が臥せっていた時にお二人がお見舞いに来て下さったんですけど………その時に愛称で呼んでほしいとおっしゃられたので………」
エレジアお姉様の問いにそう答えるとグレイシアお姉様の目がキラリと光る。
「………抜け駆けね。抜け駆けだわ。エレ姉様後で絞めましょう」
「ジア………絞めるなんて姫のすることではないわ。暫く動けなくなる薬を盛りましょう」
お姉様方、ちょっと楽しそうなのは何故なのでしょう?
「お前ら………気持ちは分かるが………フィアが驚いてるよ?わが妹ながら敵にまわしたくないなぁ。だが、確かにあいつら二人だけ愛称で呼ばれるのはズルイと思うんだ。フィア、これからは是非、私の事は『ヴェン兄サマ』とっ」
「ず、ずるいっ抜け駆けですわ!兄様!フィア?私の事も『シア姉様』と呼んでいいのよ?」
「それなら私もフィアに『エレ姉様』と呼んで貰いたいわね」
―――お姉様、お兄様近いです。
三人の期待に満ち満ちた視線を受けると流石に嫌ですとは言えず………。
「え、えと………ヴェン兄様、シア姉様、エレ姉様ですね?」
そう言うと兄様達がとても嬉しそうに喜び合っていたので、私も何故だか嬉しい気持ちになって微笑んでしまった。
※ ※ ※
「明日からフィアと二人っきりで魔術の勉強かぁ………」
「いや、二人っきりじゃないだろ。絶対、ヴェンかシアかエレが様子を見に、とか言って来るだろうしな。それに女官とか、衛兵とか普通にいるだろうが」
夢見がちに馬鹿みたいな事を言うラーダに呆れた顔で言うと睨まれた。
廊下を二人フィアの部屋に向かって歩く。今日は、講師としての顔合わせだ。公私の区別はつけなければならない、との事なので一応の形だけとしてのだが。
「夢ぐらいみさせろよ。だよな………絶対あいつら来るよな。特にヴェン。馬から落ちて動けなくなればいい」
「おいおい。勘弁してくれ。あいつが動けなくなったら俺の仕事が増えるんだが?」
「いいじゃないか。そうすればお前が私のフィアと剣術の稽古をしなくて済むし。万事解決。素晴らしい」
「お前が馬からオチロ」
「それはごめんこうむる。………それより、城下の例の事件進展してるのか?」
先程までの口調を改めてラーダが俺の方を見る。
「駄目だな。一応、緘口令は布いているが、人の口に戸は建てられん。………そもそも、死因が不明だ。健康な若い女………外傷はないし解剖の結果も死につながるものは発見できない。特徴的なのは首についた黒い手の跡………新たな怪談話が生まれるには十分な環境だ」
「聞いたよ。黒い手の魔物がって噂は立ってるみたいだね。………多分陛下やヴェン達も気付いてると思うけど………ルド、気付いてるよね?」
「………あぁ………この事件が起こりはじめたのは調査隊が帰ってきてからだ。しかも殺された女は金色の髪に藍色の瞳………フィアに似た特徴を持ってる」
「ずっと………気になってた事があるんだ。フィアが襲われた後撤収する前に、魔術師達とフィアの杖が落ちていた現場に行ったんだ。………魔術っていうのには個々の指紋みたいな特徴がでる。私達はそれを術痕と呼んでいるけど、そのアルマから襲撃者は我が国や、他国の魔術師協会に属していない術師であるのはすぐにわかった。私達は杖の宝玉から協会の『知識の泉』に接続できるからね。あと、わかったのはその術師が古い呪文を使ったって言うことだ。別に、珍しい呪文ではないけれど………術公式の展開にコンマ五秒程のずれが生じるから最近では使われていない。でも、威力から察するに相当の使い手のはずなんだ………」
その時の事を思い出したのかラーダの顔が堅く強張る。そこまで言われて俺はあの現場を見たとき感じた微かな違和感を思い出した。ラーダの言った事を合わせて考えてハタと気付く。
「お前が言いたいのは………襲撃者が殺すつもりで魔術を使っているのに対して、フィアが足止め程度の応戦しかしてないということか!」
思わず、立ち止まって目を見開く。
「………そうだ。フィアは戦えない、護られるだけの女じゃない。戦えたはずなんだ。フィア程の魔術の使い手なら………」
「馬鹿な!じゃあ知っている奴だというのか?フィアが戦うのを躊躇うような?」
「わからない。もしかしたら別の理由があったかもしれない………。けど、城下町の事件が関係ないって思えないんだ。………もしかしたら犯人はすぐ傍にいるかもしれないって。私だって確信があるわけじゃない。ただ………不安なんだ。フィアを喪う事になったら耐えられない」
苦痛に顔を歪めるラーダに同じ思いで肩を叩く。
「そんなことさせるものか。杞憂で終わればいいが………可能性があるなら俺とお前で調べよう。今はまだ事は城外だ。下手に騒ぎたてるのは要らぬ注目を集めかねない。お前、アミュレットとかの呪具つくるの得意だったろ?フィアに持たせろ。」
そう言いながら再び歩き出すとラーダも頷きながら俺の後に続く。
「………そうだね。それがいいと私も思う。もちろん溢れんばかりの愛情を込めてつくるよ。私なら婚約者っていう立場上プレゼントを贈るには適しているしね―――所であえて聞くけどシアには呪具をつくれっていわないの?」
先程の暗い会話を振り払うかのようにラーダが、からかい半分な口調で俺を見る。
「あえて言って欲しいのか?シアが知り合いだからと言って攻撃を躊躇う女だと思うか?お前だって覚えているだろうが。野外訓練の時のアイツの血も涙もないえげつない攻撃を。痺れ粉で痺れさせて魔法でトドメって………婚約者にする事じゃないだろ」
「あはは。あれはメイウス卿も可愛そうだったね?深緑狼騎士団団長カタなしっていうか………」
「そうか?俺には嬉しそうに見えた」
愛する婚約者にノされて幸せっていうのは男としてどうかと思うが、当人同士が良ければ………まぁ、口を出す事じゃない。
「シアも素直じゃないし、あの二人にはあれぐらいで丁度いいのかもね」
そうこう言っている間にフィアの部屋の前に着いた。部屋の前に立つ衛兵に敬礼されて中に入る。中では妹馬鹿な3兄妹がフィアに自分達も愛称で呼んで欲しいと強請っている最中だった。
※ ※ ※
喜んでいる兄様達の後ろの開いたドアからラーダ様とルド様が顔を出す。
「あ、ラーダ様、ルド様!」
声をかけるとラーダ様は笑顔で、ルド様は片手を軽く挙げて答えて下さった。
「来たわね。抜け駆け邪魔男ども」
ジア姉様に憎い仇を見るような目で睨まれて二人が軽くあとじさる。
「俺たちは正式な手順で愛称で呼んで貰うようになっただけだ。講師の件はフィアが望んだことだろ?それにお前らも愛称で呼んでもらえるようになったんだったら別にいいだろうが」
「ま、でも抜け駆けには違いまい。シアとジアに注意しろよ?さっき絞めるだの一服盛るだの言ってたからな」
「………気をつけよう」
嬉しそうに言うヴェン兄様にルド様とラーダ様がげんなりした顔でそう言った。
「大丈夫ですよ。姉様達はそんな酷い事なさりません。ですよね?」
そういって姉様方に微笑むと。目を逸らされた。
「そうね。そんな酷い事しませんわ」
シア姉様が慌てた感じで力説して下さった。兄様とルド様達は後ろを向いて肩を震わせている。
何故かしら?
「それより、ルド様とラーダ様が私の講師をして下さると窺いました。どうぞ、宜しくお願い致します」
頭を下げると慌てて二人がこちらにやってきた。
「頭を下げる必要はないフィア。顔をあげて。講師役を名乗り出たのは私達だし、この顔合わせも形式だけのものだから君が頭を下げる必要はないんだ」
「ですけど、お二人ともお忙しい方なのに………時間をとらせて申し訳ないです」
そう申し訳なさそうに眉根を寄せると息を飲んだラーダ様に手を取られる。
「私は全ッ然構わない。むしろ嬉しいというか楽しみというか人生悔いなしというか」
暴走し気味に私の手を握るラーダ様の後頭部をルド様が思い切り手刀で叩いた。ラーダ様の口から不思議な声が出てそのまま蹲ってしまわれる。
「良くやりました。ルド。やっぱり勉強中は私達が交代で見学させてもらうのがよさそうね」
エレ姉様が冷ややかな目で蹲るラーダ様を見ていた。シア姉様とヴェン兄様も冷ややかな目で頷いている。
「馬鹿」
そう言ってルド様だけが憐れむような目をラーダ様に注いでいた。
※ ※ ※
「やぁ、姫君の部屋からお帰りかい?ラーダと二人、講師を務めるそうじゃないか」
「ラドクリフ様………えぇ、フィアが昔の勘を取り戻すのにもいいですし。ラドクリフ様は陛下との謁見の帰りですか?」
東の回廊から中央の大広間に出た所で若い男に声をかけられた。東の賢者ラドクリフ様だ。
「うん。この前の調査団の一件。四方の賢者を代表して俺があの森の封印を解いたからね。あの場にもいたから魔術とは違う精霊術の観点から意見を求められていたんだけど………どうもね。あの場の精霊達は恥ずかしがり屋らしい。他の賢者達にも一緒に行って聞いてもらったんだけど………あそこの精霊は外の精霊と違う。閉ざされた環境にあるからじゃなくて、もっと違う………何かの力で歪んでるんだ」
人の良い顔を考えるようにして顰めてラドクリフ様がそう言った。
「歪んでいる………まるで呪いのようですね」
「確かにそう言ってもおかしくないね。おかげでこちらの言葉もあちらの言葉も通じないんだ」
お手上げだね、と手を軽く挙げてラドクリフ様が肩をすくめる。
「そう言えば不穏な事件が街で起きているみたいだね。何かあれば私も協力しよう。私の塔はここから近いし………それじゃあ、私はそろそろ帰るよ。君も、明日から頑張って」
「はい。有難うございます。街で起こっている事件は不可解な事も多いのできっとお願いする事もあるかと。その時はこちらから伺わせて頂きます。―――ラドクリフ様もお気を付けて」
そう言って俺はラドクリフ様と別れた。
―――呪いか………。
それは俺の心に重く圧し掛かって一抹の不安を抱かせた。