堕ちたるもの
ゴォーン
ゴォーン
ゴォーン
不安の色を乗せた鐘の音が響く………。それは来るべき時の予兆のようで………。
※ ※ ※
ボロボロになった男が城門へと近づいてくる。門衛が二人、緊張した面持ちでその男を迎えた。
「驚かせてすみません。私です」
男はボロボロのローブを頭からはずすと門衛達に顔をあらわにした。
「ラドクリフ様!ご無事だったのですね?しかし、それは………」
門衛に呼びとめられてラドクリフは力ない笑みを浮かべた。
「他言無用に願います。………触れてはなりません。この呪詛は強力過ぎて君にも災いを及ぼしかねない」
崩れ落ちかけたラドクリフを支えようとした門衛に慌てて世話は要らぬと返す。
「私は一刻も早く事の顛末を陛下に伝えねばなりません。ここを通してもらえますね?」
「はっ。ラドクリフ様ともあろうお方がそのような事をお気になさいますな。妃殿下と御兄妹のように育ってきたあなたです。何を止める事がありましょうか」
「済みません。本来なら先触れがあってしかるべきなのですけどね………事は一刻を争うもので」
そう言うとラドクリフはローブをかぶりなおし城内へと消えていった。
※ ※ ※
ドアのあけ放たれたフィアの部屋でラーダは彼女と向かい合っていた。
「フィア………、その、君が今そっといしておいて欲しいって言うのは聞いたんだ。でもできたらそう
いう話は僕にしてほしいな、なんて………ごめん………」
フィアが泣きそうな顔をしているのに気付いてラーダは思わず小さな嫉妬心をフィアにぶつけてしまった事を後悔した。最近夢見が悪いせいかどうも些細な事でイライラしがちだ。フィアはラーダの婚約者であるはずなのに、記憶を失ってしまったせいかそこがどうも心許ない。
「いえ、ごめんなさいラーダ様。最近自分でもどうかしてるって思うんです。でも感情が制御できなくて………」
済みませんとただ謝るフィアに、罪悪感がより募る。
「いや、君は悪くない。僕がつまらない事を言ったのが悪いんだ。顔をあげて?今日は君に渡すものがあって来たんだ」
そう言ってラーダは小さな宝石箱を取り出した。
「アミュレットだ。フィアが着けやすいようにネックレスにしてみた」
そうしてラーダと同じ目の色、新緑の石が嵌った蝶々のネックレスを取り出す。石は一級品。でもごてごてしたものではない、シンプルでいて良く見れば値が張るものとわかるその品。
「綺麗………でもいいんですか?」
困惑した表情でフィアが言う。
「いいも何も君のために作ったものだから。是非つけてほしいね。髪をあげてくれる?」
「はい」
ラーダはフィアの後ろに回ってその蜂蜜色の髪が波打ちながら上へあがるのを堪能するとそっとネックレスをフィアの首にかけた。かきあげられた髪からフィアの甘い香りがしてラーダの思考を麻痺させる。フィアの白い項にキスを落としてラーダはそっと離れた。
「ラーダ様?!」
「はは、ごめん。美味しそうだったからつい」
顔を真っ赤に染めるフィアが可愛くて、抱きしめたくなる衝動を抑えながらラーダはこの一時の幸せを噛み締めた。
「じゃあ、僕は行かないと。一時でも君と過ごせて良かった。もし何かあったらいつでも言って。すぐに駆けつけるから」
「はい………あの、有難うございます」
戸惑いがちに言うフィアにラーダは寂しそうに微笑みながらこの場を後にした。
※ ※ ※
ラーダの行動に驚いたフィアはこっそり庭の泉に来ていた。言われた言葉にもドキリとしたが帰りがけの寂しそうな笑顔が頭からはなれない。
―――私、ラーダ様を傷つけてしまったんだわ。
申し訳ない気持ちで一杯になってフィアは一人涙を零した。
ラーダに、自分のルドへの気持ちが見透かされたようで心が痛む。
―――早くこの気持ちを終わりにしないと………。
自分を妹のようにしか見ていないルドにも記憶を失った婚約者にも愛情を注いでくれるラーダにも申し訳がたたない。でも、諦めようとすればするほど、その思いは強く確かになってしまうのだった。
「フィア?大丈夫か??」
そんなときにかかる声はいつもの落ち着いたもので………。
「ルド様………?」
どうしてこの人は、一人でいるのがつらい時に現れるのだろう?
「………あぁ、それ貰ったんだな。似合ってる」
「アミュレット………ですか?」
「俺がすすめたんだ。アミュレット持たせといたほうがいいだろうって」
―――ラーダ様の瞳と同じ色のアミュレットを………?
そんな些細なことに傷ついて泣きそうになる自分が嫌だった。
「?どうした………?気に入らなかったのか?」
「いいえ………とっても綺麗」
やっとそう言ってルドから視線を逸らす。
「あぁ、あいつらしいデザインだな」
そう言ってフィアにルドが近づいた時だった―――。
「おや、………探す手間が省けたようだ」
その声に二人が振り向くと―――。
「ラドクリフ様………?」
ボロボロのローブを着たラドクリフがそこに立っていた。
「ご無事………だったのですか。その姿は?」
ボロボロの姿なのに、にこにこと笑うラドクリフに異様な感じを受けながらルドが前に出る。
気付けばカチカチと震えるフィアが後ろにいて………。
「あなたは………ダレ?」
「おや?わかりますか?女性の勘はあなどれませんねぇ」
スッと口元に持って行かれた手は異様に黒く、その手を一振りすると、ボロボロだったローブが美しい漆黒の法依にかわる。
「我が名はエルク・ラスタ・ウルデューク」
ゴォーン
ゴォーン
ゴォーン
不安の色をのせた鐘が響く。エルクと名乗った男と目があった瞬間―――。
フィアの目の前で爆炎が舞った。男がフィアに手を伸ばす。フィアは嫌々と後じさりそして―――。
「嫌ぁっ」
「おい、フィアっどうしたっ?」
「可笑しな方だ。その目に何が見えたのですか?」
そこには爆炎などなく先程と変わらぬ庭があるだけで………。
「あ………」
抱きしめてくれるルドにしがみつきながらエルクと名乗った男を見つめる。
「ふふ。その怯えた瞳。益々、彼女を手にするための器に相応しい。………あの時殺してしまわなくて本当に良かった」
「な、まさかあなたがフィアを?嫌、貴様エルクと名乗ったな。その姿はどういう事だ」
「貴様がラドクリフと呼んだ男の事か?彼ならもうこの世にはいない。僕が食べてしまったからね。ただ、賢者というだけあってなかなか私を受け入れてくれなくてね。器を掌握するまでに記憶が曖昧になったりして大変だったよ」
「一体、いつから………」
「ふふ。調査団があの森に入った時からだよ。彼もまた報われない想いを胸に抱き続けてたからね。共鳴するのに時間はかからなかった」
「そんな………」
「さぁ、お話はおしまいだ。フィア様?あなたの身体を貰います。僕の愛しい彼女を手に入れるために」
エルクはそういうと虚空から禍々しき黒杖を取り出して一人嗤った。