序章
*将来的に多少の流血、残酷表現が入る予定です苦手な方はご遠慮ください*
空に轟音が響きわたる。
鼓膜を揺さぶるその音はよく聞けば人々の歓声だった。
今日この日に、まさに相応しい雲ひとつない空。
そこに陽光の祝福を受け燦然と輝く一艘の天翔船が行く。
移動要塞ルーヴェルガ
魔術師達によって発見されたこの世界とは別の世界「天涯の果て」へと向かう船だ。
その船を見守る人々の歓声に混じって呼ばれる名がある。
希代の魔術師であり第3王女のリルアーナ
その夫で護衛騎士団長でもあるルドヴェイン
2人は「天涯の果て」が発見されたと同時に婚約、先日結婚式を挙げたばかりだ。
その感動的な姿は国民の目にまだ焼き付いている。
そして、魔術師達を総括するリルアーナ姫を補佐するウルデューク卿
幼馴染にして堅い絆で結ばれた3人はルーヴェルガに乗って、2000人の魔術師と836人の作業者と使用人を率いながら帰れるともわからない異空へ旅立って行くのだ。その雄々しい旅立ちの姿は王国に残された魔術師達によって誇らしげに巨大な水晶壁へと映し出されていた。
ルーヴェルガの船主にちらちらと光が集まりつつあった。
リルアーナ姫をはじめとする魔術師達が異空の扉を開くための詠唱に入ったのだ。
光はやがて収束した後一気に広がり巨大な魔方陣を天空に描いていた。
知らず知らずのうちに歓声は収まり固唾を飲んで見守る人々の姿がそこにはあった。
移動を主とする魔方陣でこの瞬間が一番事故が起こりやすいからだ。
光が
魔方陣の中央にまるで扉を開くように亀裂が入った。
光が
魔方陣を介して溢れた光が天翔船を白く染める。
割れるような歓声が戻ってきていた。異界への扉が今、開かれたのだ。
今日この日には隣国からの大使も多い。
この大陸きっての魔術師大国としての誇りを果たした瞬間であった。
天翔船は威風堂々たる様子でゆっくりとその扉に向かって行く。
船主が異空への扉に差し掛かった時だった………。
魔方陣が昏く明滅する。
一瞬にして浸食される。
それは異常な光景だった。何千人もの魔術師の力を総動員して天空に描いた魔方陣。
それが一瞬にして書き換えられるなど、人のできる業ではない。
歓声はどよめきに変わりやがてそこかしこから悲鳴が上がった。
扉から現出して来たノハ
黒い 闇
ドロリトシタソレハ
赤子の手 に
ミエタ
その赤子の手を模した醜悪なソレは天翔船をひと掴みにして、ずるりと音を立てると
扉の奥へと姿を消した。
無理やり現出したであろうソレに魔方陣が耐えられるはずもなく昏い光を放って消滅する。
扉の奥に戻りきれず切り離された闇はそのまま王国へと落下した。
その日、大陸随一の魔術国家であるヴァレイシア王国は壊滅的な被害を受けて事実上滅んだ。
生き残った第2王子に率いられた少数の民は北の地に移り小さな王国を築いた。
長く、隣国への補償の対応に追われたその国は、救出のための天翔船を出すことは遂になかった。
世界に名だたる四方の賢者に止められたとも、あまりの惨事を引き起こした『闇の手』に怖れをなしたとも囁かれたが定かではない。ただ、世界中の国王が集まった会議で一つの事が決められた。異界を渡る扉を開く術を禁術としたことだ。今まで、異界を渡る扉を開けた者がいなかったわけではない。しかし『闇の手』が何を原因としてこの世界に現出したのかわからない以上、異界との接触を一切断つのが一番であるとの決定が下ったのだ。それほどまでに失われた命は多く、その様も凄惨を極めていたと言えよう。
北の地に王国を建てた第2王子はそのまま国王となり国の名前を新たにした。その名を
レーヴェンガルド
古代エムネア語で『天涯の楔』という意味である。