↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

月光の張り込み

作者: 北大路京介
掲載日:2026/11/03

夜十時四十七分。


港区の住宅街は、妙に静まり返っていた。


空には満月。街灯よりも白く、やけに仕事熱心な月だった。


エンジンを切ったパトカーの中で、二人の女性刑事が缶コーヒーを手にしている。


「……月、明るすぎない?」


運転席の下村百合子が、窓の外を見上げながらぼそりと言った。


「ほんとですね。ライトいらないくらい。顔まで照らされてます」


助手席の熊沢夏美が、カーテンの隙間から外をのぞき込む。


「ライトがいらないって、褒め言葉じゃないのよ。見てみなさい。あの公園のベンチ。あれ、冬月レナでしょ。丸見えじゃない」


「えっ、うわ。本当だ。顔までくっきり。雑誌のグラビアより解像度が高いですね」


百合子はため息をついた。


張り込みに必要なのは忍耐と暗闇だ。ロマンチックな照明など必要ない。


「満月って、ムードはあるけどムーブはしづらいのよね」


「……どういう刑事ギャグですか、それ」


「自分でも今、ちょっと失敗したと思ってる」


軽い沈黙が流れた。


パトカーの銀色のボディが月光を受けて、ギラギラと輝いている。


百合子は窓の外に目をやり、眉をひそめた。


「ちょっと熊沢。車体、反射してるわよ。これじゃステルス機能ゼロじゃない」


「すみません。さっき洗車したばっかりで……」


「張り込みの日に洗車する新人がいる?」


「汚い車で張り込むのも、犯人に失礼かなって」


「どこのおもてなし捜査よ」


「でも、きれいな車のほうが警察のイメージもいいじゃないですか」


「犯人に警察のイメージを売り込んでどうするの」


熊沢は納得したような、していないような顔で缶コーヒーをすすった。


そのときだった。


公園のベンチに座っていた冬月レナが、ゆっくりと立ち上がった。


片手にはコンビニの袋。


そして、まっすぐこちらを見ている。


「……目、合いました」


熊沢が小声で言った。


「ウソでしょ」


レナはしばらくパトカーを眺めたあと、右手を高く上げて振った。


そして、驚くほどよく通る声で叫んだ。


「隠れるなら、せめてカーテン閉めたほうがいいですよー!」


沈黙。


夜風だけが二人の間を吹き抜けた。


「……めっちゃ声、通りますね」


「ボイトレしてるな、あの子」


「犯人がボイトレしてる世界、イヤですね」


「感心してる場合じゃないでしょ」


レナはコンビニ袋を持ち直すと、さらに声を張り上げた。


「ていうか、もう捕まえちゃっていいですかー? こっちも時間ないんでー!」


百合子は額に手を当てた。


「……熊沢」


「はい」


「私たち、何時間ここにいた?」


「三時間半です」


「その三時間半、全部見られてた可能性あるわね」


「えっ。じゃあ、私たちがさっき食べた肉まんも?」


「そこまで見られてたら、もう防犯カメラの映像よ」


百合子は無線に手を伸ばし、できるだけ冷静な声で報告した。


「現場より本部。対象者に先制されました。繰り返します。対象者に先制されました」


無線から、本部の困惑した声が返ってきた。


『……どういう意味だ?』


「犯人のほうが、こちらを観察していました。現在、こちらが張り込まれている状況です」


『……警察が?』


「はい。警察がです」


熊沢が小声で付け加えた。


「逆張り込みですね」


「新しい捜査手法みたいに言わないで」


その間にも、冬月レナは公園の出口に向かって歩き始めていた。


「先輩、逃げますよ!」


「見ればわかる!」


百合子がドアを開けようとした、その瞬間。


レナが振り返った。


「あ、あと!」


二人は思わず動きを止めた。


「そこのパトカー、後ろのナンバープレートに月が映ってますよー! きれいですねー!」


そう言って、レナは手を振りながら歩き去っていった。


百合子はドアノブを握ったまま固まっていた。


「……熊沢」


「はい」


「今の、褒められたのよね?」


「たぶん」


「犯人にパトカーを褒められる日が来るとは思わなかったわ」


「洗車しておいてよかったですね」


「あなた、まだそこにこだわってるの?」


百合子は深いため息をつき、缶コーヒーを一口飲んだ。


「本部。対象者は公園を離脱。追跡を開始します」


『了解。至急、確保しろ』


「了解しました」


無線を切ると、百合子は月を見上げた。


「月光、罪よねぇ」


「月に罪はないと思いますけど」


「じゃあ、誰のせいよ」


「洗車した私……ですかね」


「そこは否定しないのね」


二人はパトカーを降り、レナが消えた方向へ走り出した。


その後、冬月レナは無事に逮捕された。


翌朝、百合子は捜査報告書を作成していた。


「先輩、昨日の張り込みの件なんですけど」


「何?」


「報告書に、犯人に発見された原因を書く欄があるんですけど、何て書けばいいですかね」


「満月」


「それだけですか?」


「あと、車体の反射」


「洗車ですね」


「そうね」


熊沢は少し考えてから、キーボードを叩き始めた。


百合子が画面をのぞき込む。


そこには、こう書かれていた。


『対象者の発見に至った主な原因は、月光による視認性の向上、およびパトカー車体の過剰な光沢であると推測される』


「……熊沢」


「はい」


「これ、私たちの失態を科学的に説明してるだけじゃない」


「客観的な報告を心がけました」


「もういいわ。提出して」


熊沢は満足そうにエンターキーを押した。


その日の午後、本部から報告書の差し戻しがあった。


理由は、最後の一文。


『なお、次回の張り込みに際しては、洗車の実施時期についても慎重に検討する必要がある』


百合子は画面を見つめたまま、しばらく動かなかった。


「……熊沢」


「はい?」


「あなた、これ本気で書いたの?」


「はい。再発防止策です」


百合子は机に突っ伏した。


窓の外では、昼間の太陽が何事もなかったように輝いていた。


「もう、夜勤は新月の日だけにしましょうか」


「新月って、いつですか?」


「知らないわよ。天文台に聞いて」


熊沢はスマートフォンを取り出した。


「調べますね。あ、先輩。次の新月、来週です」


「そう」


「その日は私、休み希望出してます」


百合子は、今度こそ本気で机に突っ伏した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。