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短編2

真実の愛で乗り越えて!

作者: 猫宮蒼
掲載日:2026/06/28



「シルヴァーナ、君との婚約を解消したい」


 そう告げたのはシルヴァーナの婚約者である第三王子スヴァンテである。

 公爵家の庭園、シルヴァーナの母が創り上げたお気に入りの場所で、よりにもよってこの甘やかされた第三王子はシルヴァーナの機嫌をどん底にまで叩き落とした。


 いっそ王城で告げてくれれば良かったのに。


 折角のお気に入りの場所にケチがついたような気持ちになりながらも、シルヴァーナはにっこりと笑みを浮かべた。


「理由をお聞きしても?」

「真実の愛を見つけたんだ」


 直後に鼻で笑わなかっただけシルヴァーナは自重した方だ。

 自重していなければ思うさま嘲り笑った事だろう。


 だが、まぁ。


 考えようによってはチャンスである。


「まぁ、真実の愛。それはそれは。

 お相手は?」

「……レクゾシア男爵家のリティカ嬢だ」

「まぁ、存じておりますわ。あの妖精姫と噂の」

 ぽん、と軽く両手を打ち合わせて言えば、真実の愛のお相手を害そうとでもいうのか……とばかりに警戒していたスヴァンテは、パッと表情を輝かせる。


「そう、そうなんだ。彼女の魅力はまさに妖精の姫が如き。あの瞳に見つめられればそれだけで幸せな気持ちになれる」


 シルヴァーナが笑顔のままだからか、スヴァンテはそのままリティカの良い部分をこれでもかと語り始めた。


 レクゾシア男爵家のリティカは社交界で噂の悪女である。

 見た目からはそう思われないが、その容姿を存分に利用していくつもの人間関係に亀裂を入れてきた。

 リティカが直接何かをしたわけではない。彼女の言動はそれだけでは明確な悪とも呼べず、彼女に翻弄されてしまった方こそがまるで悪いかのように思わせる、なんともやりにくい相手でもあった。


 リティカ自身は誰かの恋人や婚約者を奪おうとした事はない。けれども勝手にのぼせ上がった男の方がやらかすのである。


 それはさながら妖精の悪戯のように。


 スヴァンテは第三王子という事もあって、甘やかされて育ってきた。

 第一王子とそのスペアになるであろう第二王子は自他共に時に厳しく時に優しい人格者であるけれど、第一王子に身の危険が迫るような事もなければ、スペアである第二王子が第一王子を蹴落とそうと画策するような事もなかったために、更にもう一人スペアとしてスヴァンテにも厳しい教育を課すまではしなくても良いのではないか……そんな風に父王が考えた結果、それに便乗した王妃がスヴァンテをこれでもかと甘やかしたのである。


 第一王子と第二王子はどちらかと言えば男前な見た目であるが、スヴァンテはやや女性に見えるような――中性的な魅力を持っていたので。

 跡継ぎを無事に産んだ王妃であるが、それでも一人くらい女の子が欲しかった……と思っていたのもあって、教育を厳しくする必要はない、とされたスヴァンテは王妃にとってまさに格好の餌食……いや、玩具であった。

 教育を完全放棄したわけではないが、しかしそれでもいずれはどこぞへ婿入りさせるつもりであった可愛い可愛い我が子である。スヴァンテが苦労をするような事がないような家へ、とした結果、シルヴァーナがいる公爵家が選ばれた。



 シルヴァーナも別にスヴァンテに何もかもを背負って努力して、とまでは思っていなかった。

 甘やかされた結果、重圧に耐えられるかどうかもわからないような甘ちゃんだ。

 内心ではシルヴァーナもいずれ伴侶となる相手、というよりはお馬鹿なペット枠として見ていた部分がある。



 シルヴァーナ自身は決してスヴァンテを露骨に甘やかしたりはしなかったが、しかし王妃によって甘やかされて育ってきたスヴァンテは周囲が自分を甘やかすのは当然だとどこか無意識に思っていたし、実際に周囲はスヴァンテが王子という身分である事から余程の無理難題を口に出さなければ大抵の事は叶えてきた。

 今までは致命的な事を言葉にしたわけでもなかったため見逃され続けてきたが、しかし今回のこの発言はアウトである。


 仮にスヴァンテがリティカと結婚をするとしても、リティカの家に婿入りというわけにはいかない。レクゾシア男爵家の跡継ぎはリティカの兄であり、彼を追い出してリティカとスヴァンテを家に残すという選択肢を流石にレクゾシア男爵が選ぶはずもない。

 王命でそのような事を言い出せば、他家から王家への忠誠が揺らぎかねないし男爵とて困るだろう。

 跡取り教育を一切やらせていないリティカと、甘やかされてきた第三王子が家に残されたところで、男爵家が栄える未来がまるで見えない。

 スヴァンテが婿入りする事で王家から何らかの――月々報酬が支払われるとかであればまだしも、そんな事はない。むしろ出費が嵩む一方だろう。


 であれば、王がスヴァンテに爵位を与え臣籍降下させて……とするにしても、王妃はともかく王はそこまで甘やかすつもりはないのでむしろそんな事はしないだろう。


 スヴァンテがもう少し優秀であれば話は違ったかもしれないが……一代限りの爵位を領地を貸し与えたとして、栄えるどころか……という認識なのだ。



 シルヴァーナはリティカについて熱く語るスヴァンテにやんわりブレーキをかけさせて、婚約解消については私の一存では何とも……と至極真っ当な事を言い、後日関係者を集めて話し合いましょうと締めくくった。


 ここでごねたところで、確かに婚約はシルヴァーナの一存でどうなるものでもない事くらいは理解していたため、スヴァンテは意気揚々と公爵邸を後にしたのである。


 シルヴァーナはその後すぐに方々へ連絡を入れた。



 ――さて、そうして後日。

 城に関係者一同が集められた。

 シルヴァーナと公爵夫人。

 国王夫妻とスヴァンテ。

 レクゾシア男爵とリティカ。


 他にもいるが、そちらは関係者というよりは記録をとったり何かあった時に取り押さえたりする役目を持った者たちだ。


 仮にも公爵令嬢と王族の婚約に割って入る形となった娘を持つレクゾシア男爵はというと、王家に取り入る事ができる……! と野心に満ち――たりはしておらず、むしろとんでもない事になったと言わんばかりだ。

 既に顔色が悪い。


 男爵は元々リティカの事で頭を悩ませていた。

 母親に似て愛らしい容姿の娘には、少なくとも生活に苦労をしないだけの家に嫁がせようと思っていたのに。

 彼女がぶち壊したと言われている人間関係は、しかし直接リティカが煽動したわけでもない。リティカの美貌に目が眩んだ者が勝手にやったというのもある。

 唆した、という決定的な証拠もなかったがために、そういう意味ではリティカは被害者の立場にいた。


 そうはいっても、男爵は完全な被害者だとは思っていない。

 妖精姫の渾名が示す通り、彼女に振り回された者は確実にいるのだろう。

 明確な悪意を持って関係を壊したわけでもなければリティカも悪意を振りまいたわけではないので、罰を与えるにしても適切な対処がどういうものか、という基準もないため一部の者は距離を置いているし、であれば自分から関わりに行った時点で面倒事に巻き込まれても文句は言えない――というのがリティカに対するいくつかの家の共通認識である。


 だがしかしここで第三王子スヴァンテと結婚したいと言い出すのなら話は別だ。

 他家の婚約をぶち壊す事になるのだから、そのままで済むはずもない。

 マトモな結婚相手どころか、このままでは修道院に送る事すら難しくなるかもしれない――


 そんな風に男爵は今後を考えて、まだ誰も何も言う前から顔色を悪くさせているのだ。


 そしてそんな男爵の父親としての心は娘には何一つわかってもらえなかったらしい。


 二人は悪いと思っていても本当に恋に落ちてしまったのだと言い切った。

 わかっていて、その心を最初こそ押し殺して、そっと心の奥底に沈めてしまおうと思っていたが、しかしそうしようとすればする程気持ちは抑えきれなくなり、そうしてこうなってしまったのだと。


「真実の愛なのです」


 そう言ったのはスヴァンテだった。


 そしてリティカもまた、そんなスヴァンテの言葉に力強く頷いてみせた。


 浮気をいかにもな言葉で誤魔化そうというよりは、どうやら本当にそう思っているらしかった。


 物語であるのなら、二人の尊い愛に感動すべきシーンなのだろう。


 だがしかしシルヴァーナは知っている。

 これが所詮表面上でしかない事を。


 本当に真実の愛で悪いと思っているのなら、まず筋を通すべきである。

 いきなりシルヴァーナに話をするのではなく、まずはこの婚約を結んだ親を説得すべきだ。


 シルヴァーナの両親にも、スヴァンテの両親にも。

 更にはレクゾシア男爵にも。


 それをすっ飛ばした時点でいくら真実の愛だなんだと言われても……としかシルヴァーナは思わないのだ。


 大体婿入り予定の第三王子がこの婚約を無かった事にしたとして。

 その後の事はどうするつもりなのだろう。

 まさか真実の愛と言えば勝手に周囲が感動して、二人のその後の生活の面倒を見てくれるなんて甘すぎる考えはしていないと思いたいが、であるのならこの二人はその後本当にどうやって生活していくつもりだったのだろう。


 まぁ、いいわ。


 なんて内心でシルヴァーナは面倒事で時間を無駄にしたな、と思っている親たちの顔を見た。


 真実の愛。


 言葉だけならとても素敵である。


 だがそれは中身に関してというよりは、タイトルだけが素敵に見えるだけのもの。

 現時点で中身が伴っているとはとてもじゃないが言えやしない。


 言ってしまえば、王国産の最高級牛の希少部位シャトーブリアンを謳っていながら実のところ牛ですらないというような詐欺にも等しい。



「成程、真実の愛。お二人ともその言葉に偽りはございませんね?」

「あぁ」

「勿論です」

「リティカとならどのような困難も乗り越えられる」

「私も、スヴァンテ様のいない世界など考えられませんわ」


 ここでやっぱ真実の愛ってのは無しで……などと言うはずもないとわかった上でシルヴァーナは念を押すように聞いた。そしてそんなシルヴァーナの考えを肯定するかのようにスヴァンテもリティカも即座にこたえる。


「では、その真実の愛を証明して見せて下さい。

 ここで言うだけなら誰だっていくらでも言えます。

 誰が見ても真実の愛である、と認められるような事を成し遂げていただきたいの」


 普通に真実の愛、とだけ言っていれば……と後からきっと後悔するかもしれないが、しかしその場合だってシルヴァーナはこの後の展開に持ち込むために会話を誘導したので、結局こうなるのは二人が真実の愛と言い出した時点で決まっていた。


 二人は今、確かに言ったのだ。


 二人でならどんな困難も乗り越えられるし、お互いがいない世界なんて考えられない――と。


「そうは言っても……一体何をすれば」

「簡単な事ですわ」


 証明しろ、と言われてすぐに証明できるようなものであればまだしも、愛なんてハッキリと目に見える形のあるものではない。しかも愛なんて人によって様々な考え方があるのだから、これをすれば真実の愛、と言い切れるようなものはない。スヴァンテが困惑するのも無理はなかった。


 だからこそシルヴァーナは、そんなスヴァンテににっこりと深い笑みを浮かべたのである。



 ――真実の愛だなんて言うんじゃなかった、とスヴァンテが後悔したのは直後の事だった。


 シルヴァーナが示した真実の愛の証明は、王国の外れに棲むドラゴンを退治してこいというとんでもない話だったからだ。


 ドラゴンがいるというのはスヴァンテも話に聞いた事はあった。しかしそのドラゴンは山の奥にある深い洞窟に棲みついていて滅多にその姿を見る者はいないという話だった。

 だからまぁ、昔はいたのだろうとか、そういう伝承があるんだなぁ、とスヴァンテにとっては話半分程度のものでしかなかった……はずだった。


 しかしそのドラゴンが最近外に出てきて、よりにもよって近くの村に生贄を要求し始めたのだとか。


 ドラゴンがいるという事で、それを恐れて魔物は近づこうとはしていない……という話らしい。

 つまりそれは、自分がいる事で守護をしていたも同然。報酬を寄こせ、というのがドラゴンの言い分である。


 勝手に棲みついてその言い方はどうなんだ、と思うけれど、しかしドラゴンはこの国ができる以前からいたのだと言う。つまりドラゴンからすれば、自分の縄張りに勝手に住み着いた人間の分際で……となるらしい。


 生贄を定期的に寄こせ、というドラゴンの要求を受け入れてしまえば、この国から人がどんどん減っていく。

 国を捨てて逃げ出せる者もいるけれど、流石に国中の人間全てがそうできるわけでもない。

 他国に助けを求めるにしても、助けた結果この国は助けてくれた国の属国になるだろう未来が待っているし、助けてくれた国があるとして、ドラゴンとの戦いに負ければ他国を巻き込んだ事で被害は更に増える。


 早急にこの問題を解決しなければならなかった。



 作戦としては簡単である。


 生贄としてまずリティカをドラゴンの元へ連れていく。

 スヴァンテはその様子を隠れて見ながら、ドラゴンが油断したところを倒す。


 古来にも、似たような伝承が存在する。

 生贄と、貢物として酒を持ち、その酒樽の一つに潜り込み、他の酒樽から酒を呑ませる事で酔わせ、そうして酔い潰れ眠った所を退治する。

 それになぞらえて、ドラゴン退治をしろというのだ。


 作戦と言うにはあまりにも……と思えるけれど、しかしこういうものはシンプルな方が意外とどうにかなるのだと言う。

 綿密な計画はどこか一つが破綻した時点で全てが台無しになり得るけれど、これだけシンプルであれば途中不測の事態が起きたところでアドリブでどうとでもなるのだとか。

 本当にそうだろうか? とスヴァンテは思うが、困った事に反論はできなかった。


 リティカがいるならどんな困難も乗り越えられるというスヴァンテならば、彼女を救うためにドラゴンを退治できるだろうし、スヴァンテのいない世界なんて考えられないというのなら、彼に命を預ける事に何の問題もないだろう――というのがシルヴァーナの言い分である。


 無茶だ、としか思えなかった。


 だがしかしここで無理だと言えば、真実の愛は嘘だったのかと言われてしまう。


 違う、そうじゃない。

 真実の愛だろうとなんだろうと、ろくすっぽ戦った事のない王子がドラゴンを退治などできるはずがない。

 常識で考えろ。


 とてもそう言いたかったが、だからこそ酒で酔わせて弱っているところにトドメを刺すだけの作戦なのだと言われてしまえば、逃げ場がない。


「お二人の真実の愛でこの国の問題も解決できそうですわね」


 なんてとても晴れやかな表情でシルヴァーナが言い、国王たちもそれに頷く。


 スヴァンテとリティカの味方は悲しい事にこの場にはいなかったのだ。


 善は急げとばかりに二人はあれよあれよと言ううちに出発準備が整えられ、道中は馬車で現場近くの村に運ばれてしまった。隙を見て二人で逃げ出し駆け落ちする間もなかった。


 ドラゴンの生贄、と聞いてリティカの顔色は青を通り越して雪のように真っ白である。カタカタと小刻みに震えている。

 スヴァンテがなんとかして慰めようとしても、しかしスヴァンテも自分に全て任せておけ、と言い切れない。


 一応護身程度の武術を学ぶ事はあったけれど、しかしそれらを活かす事など今までの人生で一度もなかったし、なんだったら母に甘やかされてきたためにそこまで本気で取り組んだりもしていなかったのだ。


 王妃からするとあまり鍛えられてしまえば、上二人の兄のように男らしい見た目になってしまうかもしれないし、スヴァンテがイヤなら最低限にしておきなさい、と言われていたからスヴァンテもこれ幸いと基本の型だけさらっと習った時点で修練などやらなかった。


 酒で酔わせて眠ったところにトドメを刺すだけ、と言われても安心はできない。


 村に運ばれる数日間、二人は生きた心地がしなかった。


 村に着いた時点でリティカは生贄としての装束を纏う事となり、それに合う化粧を施され妖精姫の名は伊達ではないと言わしめたけれど。

 下手をすればドラゴンにぱくっと一飲みにされてしまうかもしれないのだ。

 私ったら何を着ても似合うわね、なんて軽口を叩く余裕だってなかった。


 スヴァンテの方も、空の酒樽に押し込められ、これでトドメを刺して下さいねなんて渡された刃物はなんだかとても頼りない。

 いや、見た目は確かによく切れそうだしスヴァンテの手には余るようなゴッツイ武器ではあるのだけれど。

 だがしかしいかんせんドラゴンをこれで切り落とせと言われるととても頼りなく思えたのだ。


 二人はどうにかしてこの場から逃げ出したくて仕方がなかったが、しかし真実の愛ではない、と見なされた場合ただでは済まないと事前に言われていたので、逃げ出したくとも逃げ出すに逃げ出せなかった。


 王家と公爵家の婚約を台無しにしたのだから、真実の愛でない事が明らかになればどれ程の咎を背負う事になるか。それとなく匂わせられて、だからこそ二人は何も言い出せずこうしてここまで運ばれてきたのだ。



 なんとかなる事に縋って。


 生贄と酒樽を運ぶべく荷車に乗せられ二人は洞窟の奥深くへとやってきた。

 リティカは分厚いヴェールのような布を頭からかぶせられているので周囲がよく見えないし、スヴァンテは酒樽の中だ。真っ暗な中、ガタゴトと荷車の車輪が回る音と振動で移動している事はわかるが、どこをどう進んでいるのかもわからない。二人とも心の中は不安でいっぱいだった。


 村人だけでは頼りなかろう、と荷を運ぶ際二人をここまで運んできた王家の使いたちも手伝ったが、ドラゴン退治に参加するわけではない。余計な者が残ればドラゴンも警戒するのは言うまでもない事で、王家の使いたちのした事は二人が一刻も早くドラゴンの所へたどり着く――二人にとっては望まぬ手伝いであった。


 洞窟の中の最奥――というわけでもなく、そこそこ開けた場所で荷車は止まった。


 そこで村人や王家の使いたちは手早く荷を下ろしていく。

 大量の酒樽。そのうちの一つにはスヴァンテが。


 そしてその酒樽に囲まれる形でリティカが。


 村人たちが撤収した直後にリティカが身を翻して逃げ出そうとしても、酒樽のせいで簡単に逃げる事もできやしない配置である。


 村人たちの足音が遠ざかり、すっかり何の物音も聞こえなくなって。

 不安でリティカはスヴァンテの名を呼びそうになるも、しかし今度は洞窟の奥から重々しい足音が響いて。


「ひっ」

 と小さな悲鳴を上げたまま、リティカは意識が遠退きそうになりながらも暗闇の奥へと目を凝らしたのである。


 生贄を真っ先に食べよう、なんて思われては困るのだ。

 だから最初にまずこの酒を勧めなければならない。

 スヴァンテが入った空の酒樽は位置的にドラゴンが最初に手を付ける事もないだろう位置に置かれている。

 だから――そう。

 リティカが上手くドラゴンに酒を勧め、先にドラゴンを酔い潰せば。


 生存できる可能性は残されるのだ。



 ――という希望はすぐさま消え去った。


 ドラゴンは物語の挿絵に描かれているまさにそのもの、といった姿のまま現れた。

 その気になればリティカなんて一口でバクン! となるだろう事は間違いない。

 その大きさに圧倒され、震える声でどうにか先にドラゴンに酒を勧めたリティカは、とにかく必死だった。


 一つ樽をあければ即座に次を。

 合間につまみとして自分が食べられては堪らない。


 そうして一体どうしてこんな事に……と内心で後悔だってしていた。


 リティカは周囲の人間関係に亀裂を入れてきた事も理解している。

 そうして周囲が右往左往するのを見るのが好きだった。


 だが自分は男爵家の娘。下手に高位貴族に敵視されればあっという間に破滅の道を歩む事になってしまう。

 だからこそ彼女は自身の立ち位置を決して見誤らないよう細心の注意を払った。

 自分が手を引いたなんて思われないように。

 あくまでも周囲が勝手にやった事。

 そんな風に見えるように。


 公爵令嬢の婚約者を奪う事になったのは、確かに恋に落ちたと言うのもあるけれど、それと同じくそうなった時、彼女はどうするのだろう、と思ったからだ。

 貴族としては最上位にいるはずのシルヴァーナが貴族としては下のリティカに婚約者を奪われる。

 そうなった時、嫉妬に狂うのか、それとも。

 周囲だってその場合どういう目を彼女へ向けるのか。


 それが危険すぎる好奇心である事はわかっていたが、しかしそれでも抑えきれなかったのだ。

 男爵家の娘にも劣る、なんて社交界で噂が流れたのなら。

 きっとさぞ愉快な事になるだろうと思って、その未来を見たくて仕方がなかった。


 だがその欲望の結果がコレだ。


 ドラゴンは次から次にカパカパと酒樽を空にしていくくせに、一向に酔う気配がない。

 そうしてとうとう最後の一樽――スヴァンテが入った樽だけが残された。


 スヴァンテもまた、想定外の事が起きている、と外から聞こえる音で理解せざるを得なかった。


「それが最後の樽か」

 とドラゴンが言った事で次に開けられる樽が自分の入ったこの樽であると嫌でも悟るしかなかった。


 予定では途中で酔い潰れ眠るドラゴンに、リティカが合図して自分が樽から出てトドメを刺すはずだった。

 しかしドラゴンは多少酔ってはいるようだが、どうにも精々ほろ酔い加減といったところか。

 呂律もハッキリしているしまだまだ飲めそうな勢いすら感じられる。


 どちらにしてもこのままでは――


 そう思ったスヴァンテは内側から勢いよく樽の蓋を押し開け飛び出した。

 今ならまだ意表を突く形で、正面からではあるけれど奇襲攻撃が可能であると思ったのだ。

 下手にドラゴンに樽を開けられてしまえば、先手を取る事も難しい。そう考えて。


 だがしかし樽から飛び出たスヴァンテは間近で見るドラゴンの迫力に圧倒された。


 元々武人ですらないスヴァンテだ。言ってしまえば王都にいるごろつき相手でも負けるであろう程度の実力でしかない相手が、伝説のドラゴン相手に立ち向かえるはずもなかったのだ。


 奇襲攻撃を仕掛けるつもりでいても、頭の中で思い描いた行動と実際にとれた行動は思い切り違っていた。

 頭の中では勇敢に一撃を食らわせ、ドラゴンの隙をついて更に攻撃を仕掛けるつもりでいたけれど。


 実際はあまりの恐怖に身体が思うように動かないまま振るった武器はドラゴンの手前で盛大に空振りした。



 スヴァンテもリティカも極限状態であったのは間違いない。

 恐怖、緊張。それ以外にもあったかもしれないが、ともあれそういった感情に支配されていた。

 リティカは目の前のドラゴンに食べられないよう必死だった。

 スヴァンテはこのままなす術もなく殺されるかもしれないという恐怖で一杯だった。


 ドラゴンに自分の存在が気付かれる前に一撃食らわせれば、もしかしたら……


 そう思って行動に出たというのに、しかし結果は空振ってスヴァンテはその場で無様に転ぶ形となってしまった。


 攻撃を仕掛ける時にスヴァンテは声の限りに叫んだつもりだった。勇ましい雄たけびと気迫でもって相手を怯ませようと思っていたのだ。

 しかし実際は、ひょぇえぇぇぇ……といったか細い声で、すかっと手にした刃物はドラゴンにかすりもせず。

 そのままべちゃっと倒れ込んでしまった事で――


 まずリティカがブチ切れた。


 最後の樽にも酒が入っていると思っていたはずのドラゴンの意表を突けたはずだった。けれど実際はどうだ。

 スヴァンテが樽から飛び出た瞬間、一瞬リティカはヒロインの危機に助けにきてくれる王子様、という物語にありがちな展開を頭の中に描いたというのに、あまりにも情けない状況。

 どうするの。せめて一撃入れていたなら隙ができて逃げ出せたかもしれないのに、そうじゃなくても攻撃された事でドラゴンの注意がそっちに向いたかもしれないのに。その隙に自分だけは逃げ出せたかもしれないのに。

 なんて頼りないの。


 そんな風に、気付いたら思っていた事全てぶちまけていた。


 倒れていたスヴァンテも最初は呆然としていたが、リティカにボロクソに言われた事で恐怖一色だったはずの感情に怒りが湧いたのだろう。


 まさか僕を囮にして逃げるつもりだったのか!? なんて言いながら君の方こそ妖精姫と謳われたその魅力でドラゴンを骨抜きにするだとかできなかったのか! なんて喚く。


 それに対してリティカはドラゴンの美醜の価値観なんて知らないし、妖精姫なんて言われても私は人間だものドラゴンに色仕掛けなんてできるわけないでしょ馬鹿言わないでよ! と叫び。


 気付けば互いに罵り合っていた。


 洞窟の中に二人の醜い言い合いの声が響き渡る。


 ドラゴンはそれらをしばし眺めていたが、ふいに思い出したように前足をドン! と一度地面で打ち鳴らす。


 その衝撃に二人の身体が一瞬だけ宙に浮き、そうして両足が地面に着いたと同時に。


 互いに罵り合っていたのが嘘のように黙り込み、壊れた蝶番のような音をたてながらドラゴンへと視線を向けて――


 ドン! と互いに突き飛ばすようにして、少しだけよろけるも倒れたら死ぬと思ったらしく意地で踏み留まり。直後には脇目もふらずに走り出していた。少しでもドラゴンから遠ざかるように。


 逃げ出す時にリティカは頭にかぶせられていた布をスヴァンテ目掛けてぶん投げたし、それを手にした刃物で切り裂いたスヴァンテはその一瞬でリティカに逃げる距離をリードされたとなって、待て! と叫びながら追いかけた。


 そんな二人の後姿を、ドラゴンはしら~っとした眼差しで見ていたが特に追うつもりはなかった。


 何故ならこれは、仕込みであるが故に。


 話は少し遡るが、スヴァンテとリティカ、二人が真実の愛だのとシルヴァーナに言い出した後、当然ながら関係者にはこの話が報告された。

 この時点で何も知らなかったのはレクゾシア男爵だけだ。


 正直な話、この婚約を台無しにした事を一番怒っていたのは王妃である。

 確かに王妃は上二人の息子と比べてスヴァンテを可愛がり甘やかしていた。だがしかしやってはいけない事をやっても許すような甘やかし方はしていない。

 何故なら王妃はスヴァンテの奥さんになるシルヴァーナの事も可愛がっていたからだ。

 嫁入りだったら娘扱いも存分にできたのにねぇ……なんて言いながらも、王妃は可愛いスヴァンテと可愛いシルヴァーナの結婚を楽しみに待ちわびていたのである。


 その楽しみをぶち壊されたのだ。

 報告がなされた時点で国王が止めなければ王妃はスヴァンテを殺していたかもしれない。

 護身やそれ以外のやりたくない事を最低限にさせていたのは、護衛を置けば護身についてはどうとでもなると思っていたからだし勉強に関してだって専門家を頼れば済む話であると思っていたからだ。

 スヴァンテにしかできない事ならいざ知らず、そうでないのならスヴァンテにやらせるより最初から頼りになる相手を頼ればいい。


 スヴァンテはとにかくシルヴァーナの夫として、公爵家を継ぐ彼女の癒しとなるべく励んでくれればそれで良い、と思っていたのだ。

 シルヴァーナだって実際にスヴァンテの武力や知力をアテにしていたわけではない。

 彼が甘やかされていたのはわかりきっていた事だし、とりあえず無能であっても問題はないとシルヴァーナも公爵夫妻も最初からそういうものと思っていた。

 むしろ執務で疲れたところをスヴァンテが精神的に癒してくれればそれでいい、という認識だった。


 恐らく周辺の国の王子が聞けばなんて破格な婿入りだろうと思ったはずだ。王家に生まれて婿入り先でヒモ生活とか王子じゃなくても破格すぎると思うだろう。


 勿論スヴァンテに何も求めていないというわけでもなく、彼自身がシルヴァーナの役に立ちたいと思うようなら、教育に力を入れるなり彼が役に立てる部分を伸ばす事も視野に入れていた。


 だがしかしリティカと恋に落ちた事で。


 そんな彼の未来は潰えてしまったのだ。

 リティカと恋仲になっていたのだって、周囲から見てそこまであからさまではなかったのもこの事態を回避できなかった原因の一つだろう。

 もっとあからさまであれば、王妃が事前に手を打っていたはずだ。



 二人の脳内がどうなっているのかまでは、流石にシルヴァーナや王妃にもわかるはずもない。

 単なるお花畑なのか、それとも自分なりに考えに考え抜いた結果なのか。

 わからない――が、だからといってじゃあ二人の好きになさい、とは言えるわけもない。

 スヴァンテに爵位を与えてリティカと結婚させたところで、貴族として何かを成せるか、となるとまずもって難しい。シルヴァーナの夫になって暮らすならともかく、そうでないのなら生活だってマトモにできるか危ういのだ。



 だからこそ、二人がどれくらい本気であるのか。


 その決意を見せてもらおうと思ったのである。


 この国にドラゴンが棲んでいるのは別に秘密でもなんでもないし、伝説というわけでもない。

 ただ、いると言っても直接見る事がない者にとっては本当かどうかもわかっていないし、だからこそ過去の伝承とかそういう風に思っているだけだ。


 近隣の村人たちは普通にいるのを知っているし、普通に受け入れている。


 ドラゴンがいる事で近隣に魔物が寄ってこないのは確かなので。


 ついでに言うとこのドラゴンは別に人に害を加えようと思ったりはしていないし、なんだったら王家と多少なりとも付き合いがある。

 生贄だって別に求めたりはしていない。


 今回の二人の件に関して、二人がどれくらい本気であるのか。

 それを見定めるためにドラゴンに協力してもらい、一芝居打ってもらったのだ。

 なお茶番の報酬はお酒である。


 スヴァンテとリティカ、二人に伝えられていた作戦上ドラゴンが酔い潰れる事になっていたが、元々のシナリオでは酔い潰れる事にはならなかった。実際にあの程度の酒ではドラゴンが酔い潰れる事はない。だがそんな事を知らない二人は酔い潰れる以前のドラゴンにさぞ恐怖しただろう。

 スヴァンテに渡された刃物だって良く切れるけれどあれもドラゴンを傷つけるには至らない。


 作戦が破綻した時点であの二人がどう出るか。それ次第ではドラゴンも行動を変えるつもりだった。


 リティカを守るために無我夢中で挑んできたのであればドラゴンも酒に酔って弱った振りをして負けてみせるつもりだった。そうでなくとも、互いに互いを想い合う姿に心を打たれたとか言って見逃す事もできた。

 そなたらの絆、確かに見届けたとかなんとか言って、帰れと外へ送り出してやればいいだけの話だった。

 その後の事は当事者たちがどうとでもするはずだったのだ。


 ところが二人は罵り合った。あのままずっと言い争われてもドラゴンだって困るのでああして脅かしてみたけれど、そこで手に手を取って二人で逃げよう、とかすればまだ良かった。

 実際は互いに互いが相手を囮にして自分だけでも逃げようとしてしまったので、ドラゴンとしては真実の愛ってなんだかなぁ……という気持ちだったのだ。


 そんな結末をお城で事の結果を待っている者たちに魔法でお知らせしてやれば、向こうもなんとも言えない声で「あぁ~……」としか言えなかったようだ。


 とりあえず結果がどうであれ、ドラゴンにとってはこれ以上の事は知る由もない事である。役目は終わった。



 ――洞窟から逃げ出した二人を捕まえてお城に連れ帰ってお叱りコースかなぁ……と思っていた王家の使いたちは、さてどうしたものかと困惑した。


 洞窟から逃げ出す際に思えばリティカは分厚い布をかぶせていたし、スヴァンテに至っては空の酒樽の中に隠れていた。

 当然出口までの道のりを把握できているはずもなく、真っすぐ外に脱出、とはいかなかったようだ。

 もっともドラゴンがいたあの場所から外に戻るまでの間で道に迷っても奥深くに行く事はないし、途中で別の道に迷い込んでも二時間程度彷徨えばどうにか外には出られる。何度も同じ道を行ったり来たりしなければの話だが。

 ぶっちゃけてしまえば、片手を壁側につけて移動すれば時間はかかるが出られる仕様になっている。間違えて奥に進む事になってもドラゴンが飲み干した酒樽が置かれているところに行けば、嫌でも引き返すしかない。



 その結果、二人は途中で別の道を進んだりして別々に逃げ出してきたのだろう。

 最初に戻ってきたのはスヴァンテだった。

 しかし彼は途中であちこちにぶつかったのか、擦り傷がいたるところにできていた。

 それどころか、外に出た、と思ったところで安心したのかバッタリと倒れて気を失ってしまった。

 どこかで頭もぶつけたらしく、でっかいたんこぶもできていた。


 一応怪我の状態を見て大丈夫そうではあるな……となって、ともあれ城に連れ帰ろうとしたところで遅れてリティカがやってきた。

 こちらも途中で転んだりしたのかずたぼろで、年頃の令嬢とは思えないくらいぐずぐずに泣いていた。

 幼児のような泣き方をして、おかーさま、おかーさまどこぉ……? と縋るように呼んでいる。


 洞窟内で一体何があったのかはわからないが、幼児返りをしてしまったようだった。


 ここに連れてきたはずの王家の使いを見て、貴方たちだぁれ? と言ってる時点で困り果ててしまったのは言うまでもない。

 演技でやっているにしても、この場でそういう演技をするよりももっと別の方向でやるべきだと思ってしまったので。



 困りながらも、数日かけて城に連れ帰る。

 スヴァンテは怪我自体はそう重くないが馬車の中でずっと眠ったままであったし、リティカはリティカで今の状況を理解しているのか、馬車の小窓から外を見てきゃっきゃしている。見知らぬ景色にはしゃぐ子どものようだった。


 そうして城に戻って改めて医師が診てみれば。


 スヴァンテの怪我は馬車で運ばれている間にほとんど治っていたけれど、いざ意識を取り戻したスヴァンテは記憶を失っていた。自分自身の事も身内や知り合いに関してもすっぱりと忘れてしまっている。

 単純に叱られるのを恐れてそういった振りをしている、とは思われなかった。


 何故ならスヴァンテがそんな器用な真似をできるはずもないからだ。

 スヴァンテにそこまでの小賢しさはない。


 真実の愛とまで言ったリティカの事も憶えていなかったし、婚約者であるシルヴァーナの事も憶えていなかった。むしろシルヴァーナが婚約者だと言った時、こんな綺麗な人が!? 何かの間違いでは!? などと本気で驚いていたのだ。もし演技だとしてもスヴァンテがそんな事を言うとは思えない……とスヴァンテの両親は断言したし、この頃には事態を知った兄二人もそう判断した。


 それは勿論、彼の婚約者であったシルヴァーナと公爵夫妻もである。


 レクゾシア男爵だけはスヴァンテの為人について詳しく知らなかったので何とも言えなかったが、しかしリティカについては言える自信がある。

 リティカは記憶が幼児だった頃まで戻っていたらしく、自分の母親が既に亡くなっている事すら憶えていなかった。

 母が既に亡くなった事を知った時のリティカは火がついたように泣いていた。顔中くしゃくしゃにして顔から色んな液体を流していた。自身の容姿を知り尽くしているかのようだったリティカがこうなるとは誰も思っていなかった。


 泣いて泣いて泣き疲れて。そうしてリティカは周囲の状況なんて全くわかっていないように眠ってしまったのである。


 二人ともがこんな様子じゃ真実の愛を証明できなかった事に関して何を言えるわけもなく。


 記憶がすぐに戻ればいいが、戻らない可能性もあり得るせいでどうしたものかと一同どう対処するべきか考えあぐねていた。


 記憶がない以上スヴァンテに事実を伝えたとして、謝罪されたとしても憶えていない事だ。きっと戸惑う事だろう。それにシルヴァーナだって憶えていないのに頭を下げられても……と思ってしまう。

 謝るならきちんと自分が何をしてしまったのかを分かった上でなければ意味がない。


 リティカに至っては精神年齢が幼女にまで戻ってしまったせいで、愛も恋もよくわかっていない様子だった。

 むしろこの状態で外に出すわけにもいかないので、レクゾシア男爵家が本来取らねばならない責任も一旦凍結状態である。


 何事もなかったようにシルヴァーナとスヴァンテの婚約をそのままにしたところで、もし記憶を取り戻したらその時にまた面倒な事になるかもしれない。

 リティカだってある日突然前のように戻る可能性はゼロではなかった。


 咎めるにしても今ではない、が、戻る確証もハッキリと存在しているわけではない。


 大人たちは今度は別の意味で頭を悩ませる事になってしまったのだが……


 事態は更に別方向に転がった。



 まずリティカだが。

 相変わらず精神は幼いままであったが、自分が男爵家の娘であるという自覚はあったようで令嬢としての教育を再度受け直させていたところ、突然聖女としての力が覚醒した。

 レクゾシア男爵も意味がわからなかったが、困った事に事実である。

 眩い光とともに力が発動して、それでもリティカの記憶が戻ったわけではなかった。

 ただ、その後は年相応の落ち着きを得て、聖女としての力を活かすため神殿に属すると宣言した。


 男爵としては娘の立場が宙に浮いた状態であったものの、神殿で奉仕活動をするというのならリティカの罪を償う事にもつながる事になると思い、反対はしなかった。

 以前の事を憶えていなくたって、やったという事実は残っているのだ。

 王家もリティカが聖女となった以上、以前の件を持ち出して処分を下すよりは、本人も望んでいるように神殿で働く事を落としどころとする事にした。

 もしこの状態で以前のリティカに戻ったところで家に戻る事はできないし、それでも無理に神殿から逃げるのならその時は相応の罰が下される事だろう。


 今までリティカに対していい思いをしていなかった者たちはリティカのあまりの変わりように顔と名前が同じ別人説を信じようとしていたくらいだ。それ程までに以前とは変わりすぎていたのである。



 そしてスヴァンテはというと。

 シルヴァーナが婚約者であるという事にも驚いていたが、自分が王子であるという事にも驚いていた。

 スヴァンテは自分の名前を呼ばれてもそれが自分であるとすぐにわからなかったし、それどころか自分は平民だと思っていたのである。

 両親や兄を前にして、恐れ多いとばかりにひれ伏すその姿が演技であればどれだけ良かっただろうか。

 いや、以前のスヴァンテであればたとえ演技でも両親や兄を相手にひれ伏すなどしなかった。


 平民がこんな所にいつまでもいるのは恐れ多い、なんて言って出ていこうとしているが、しかし元は甘やかされて育ってきた第三王子。このまま彼の言うように平民として外に送り出してもマトモに生きていけるかもわからない。


 リティカと共にやらかした事を全て許すわけにはいかないが、かといってこのまま放り出すのも問題であるし、国王夫妻もそれを実行するつもりはなかった。


 仮に記憶を取り戻したとして、その時に改めて罰を与えるよりもこちらも本人の望みどおり平民として生活させる事に決めた。

 記憶が戻っていない現状、シルヴァーナにも恐れ多いと距離を取り本当に平民のように行動しているのだ。これで無理に婚約を続けたら平民が貴族と結婚だなんて何かの間違いでは!? なんて言って逃げ出しかねないし、公爵家に婿入りしたところで借りてきた猫よりも動かないだろう。むしろ息をしただけでも不敬とか考えそうな勢いである。


 であれば、いっそ平民として生きていかせるほかはなさそうだ。

 そこで記憶が戻っても、自分がしでかした事の罰である、と受け入れるしかないだろう。


 とはいっても身一つで放り出すつもりもないため、スヴァンテを引き受けてくれる相手は選ばなければならないが。


 そうして治安の良い長閑な村でスヴァンテは暮らす事となった。

 一度だって平民として生きてきた事のないスヴァンテは自分が平民であると言ったところで、その生活に馴染んでいるわけでもない。本人は記憶がなくなってるせいで忘れているだけだと思い込んでいるが、何もかもが初体験。

 そういうわけで村の人たちの助けを得ながら、日々努力しているらしい。体力はなくとも細かい作業は得意なようで、どうにか彼らの中でやっていっているようだった。



 そうしてシルヴァーナはと言うと。


 婚約がなかった事になったので新たな相手を……! と王妃が選りすぐりの良い男たちを紹介した。

 紹介できる伝手の中から、誰でも好きなのを選んで! と全力である。


 スヴァンテを甘やかした事が一連の出来事に繋がっていると、王妃なりにシルヴァーナへ罪滅ぼしをしたいのだろう。

 派閥だとか色々なしがらみがあるはずだが、王妃はそれらをどうにかする事も考えた上でシルヴァーナに相手を紹介したのである。武に長けた者、知に長けた者、容姿も実に様々である。既にお相手がいる相手は除外されているが、シルヴァーナにとって許容範囲内の年齢差で問題の無い相手であれば本当に選り取り見取りであった。


 流石に派閥関係で揉める気もないので、両親と相談した上でこの人なら……と思った相手を王妃へ伝えればとんとん拍子に事は進んだ。


 そうして気付けば子も生まれ、夫婦仲も良好である。


 その頃になってもリティカは相変わらず聖女として活動していたし、スヴァンテはどうやら村で一番の細工師として認められているようだった。


 真実の愛と宣言した二人は、真実の愛を証明する事もできなかったし困難を乗り越える事は至らなかったけれど。それでも今、それぞれの人生を歩んでいる。



「人生何があるかわかりませんわね……」


 それを言ったら自分だってそうなのだけれど。


 物語であればハッピーエンド、でしめくくるには少しばかり突拍子だってないけれど。

 まぁたまにはそんな終わりがあったっていいのではないかしら、とシルヴァーナは思うのであった。

 憑依とか、そういう可能性はゼロではない。前後どっちかはさておき。


 次回短編予告

 瘴気問題を解決するべく異世界から聖女様が召喚された。

 聖女様のお世話係に名乗り出た私、聖女様を気に入って婚約者である私から乗り換えようとした殿下。


 次回 召喚された聖女様と婚約者に捨てられた私と

 聖女様が選んだのは――

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