ATOとイラクの対立、湾岸戦争
1. 前史 ― イラン・イラク戦争と対立の萌芽(1980〜88年)
• 1980年:イラン革命後、イラクのサダム政権は革命イランを牽制するため開戦。
• **ATO諸国**は「革命の輸出」を恐れ、イラク
を資金・武器で支援。
• しかし戦争は長期化し、イラクは巨額の対外債務を背負う。最大の債権国がクウェー
ト・サウジであった。
• 戦後、イラクは「ATO諸国が十分に支援しなかった」「石油過剰生産でイラク経済を圧
迫した」と非難を強め、関係が急速に悪化。
---
2. ATOとの決裂と「反ATOブロック」(1988〜1990年)
• 1988年:停戦後、イラクは経済危機に直面。
• サダム政権は「アラブの盟主」を自任しつつ、ATOを「石油王族と西側の傀儡」と糾
弾。
• イラクはシリア・リビアと連携し、さらに中華人民共和国と接近。「反ATOブロック」
が形成される。
• これにより、中東は ATO vs 反ATO という新たな冷戦構造に突入した。
---
3. クウェート侵攻(1990年8月)
• 1990年8月2日:イラク軍が電撃的にクウェートに侵攻し、数日で全土を制圧。
• 侵攻理由:
1. 「クウェートはイラクの歴史的領土」
2. 「クウェートの過剰石油生産がイラク経済を破壊している」
• クウェート亡命政府はリヤドに設置され、ATOは緊急会合を招集。
---
4. 湾岸戦争勃発(1991年1月)
• **国際連合(日本・亜米利加国・フランス主導)**がイラクに即時撤退を要求。
• サダムは拒否し、ATOは集団防衛条約を発動。
• ATO軍の中核:
• サウジアラビア陸軍
• エジプト派遣軍
• シリアを除く湾岸諸国軍(UAE、カタール、バーレーン、オマーン)
• 支援部隊:日本・亜米利加国・フランスが空軍・海軍・兵站支援を提供。
---
5. 戦況
1. 制空権掌握(1991年1月〜2月)
• 日本・亜米利加の最新鋭航空機とATO空軍がイラク防空網を破壊。
• バグダッド空爆でイラク軍の指揮系統を混乱させた。
2. 砂漠の地上戦(1991年2月)
• エジプト軍・サウジ軍がクウェートに進撃。
• イラク軍は短期間で潰走、数日でクウェートを解放。
3. バグダッド直前で停戦
• ATO内では「イラク体制崩壊は地域の混乱を招く」との懸念が強まり、進軍停止。
• サダム政権は存続するが、イラク軍は壊滅的打撃を受けた。
---
6. 戦後処理
• クウェート復帰、ATOの軍事的威信は飛躍的に上昇。
• イラクは国際的制裁下に置かれ、経済は崩壊。
• サダム政権は一層強権化し、シリア・リビア・中華と結束を強化。
• イラク国内では反体制派・イスラム過激派が台頭し、やがて国際テロの温床となってい
く。
---
7. 歴史的意義
• 史実の湾岸戦争と違い、ATOが地上戦の主役となったことが大きな違い。
• 日本・亜米利加・フランスは支援に徹したため、アラブ世界では「自ら勝ち取った勝
利」としてATOへの信頼が強まる。
• 一方でイラクの孤立は深まり、1990年代以降のテロ戦争の火種となった。
---
まとめ:
ATOは1991年の湾岸戦争で「アラブ版NATO」としての存在感を確立。だがイラクを追い
詰めすぎず温存したことで、その後の中東不安定化の要因を残した。




