表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
95/203

ATOとイラクの対立、湾岸戦争

1. 前史 ― イラン・イラク戦争と対立の萌芽(1980〜88年)

• 1980年:イラン革命後、イラクのサダム政権は革命イランを牽制するため開戦。

• **ATO諸国サウジ・クウェート・エジプトなど**は「革命の輸出」を恐れ、イラク

を資金・武器で支援。

• しかし戦争は長期化し、イラクは巨額の対外債務を背負う。最大の債権国がクウェー

ト・サウジであった。

• 戦後、イラクは「ATO諸国が十分に支援しなかった」「石油過剰生産でイラク経済を圧

迫した」と非難を強め、関係が急速に悪化。

---

2. ATOとの決裂と「反ATOブロック」(1988〜1990年)

• 1988年:停戦後、イラクは経済危機に直面。

• サダム政権は「アラブの盟主」を自任しつつ、ATOを「石油王族と西側の傀儡」と糾

弾。

• イラクはシリア・リビアと連携し、さらに中華人民共和国と接近。「反ATOブロック」

が形成される。

• これにより、中東は ATO vs 反ATO という新たな冷戦構造に突入した。

---

3. クウェート侵攻(1990年8月)

• 1990年8月2日:イラク軍が電撃的にクウェートに侵攻し、数日で全土を制圧。

• 侵攻理由:

1. 「クウェートはイラクの歴史的領土」

2. 「クウェートの過剰石油生産がイラク経済を破壊している」

• クウェート亡命政府はリヤドに設置され、ATOは緊急会合を招集。

---

4. 湾岸戦争勃発(1991年1月)

• **国際連合(日本・亜米利加国・フランス主導)**がイラクに即時撤退を要求。

• サダムは拒否し、ATOは集団防衛条約を発動。

• ATO軍の中核:

• サウジアラビア陸軍

• エジプト派遣軍

• シリアを除く湾岸諸国軍(UAE、カタール、バーレーン、オマーン)

• 支援部隊:日本・亜米利加国・フランスが空軍・海軍・兵站支援を提供。

---

5. 戦況

1. 制空権掌握(1991年1月〜2月)

• 日本・亜米利加の最新鋭航空機とATO空軍がイラク防空網を破壊。

• バグダッド空爆でイラク軍の指揮系統を混乱させた。

2. 砂漠の地上戦(1991年2月)

• エジプト軍・サウジ軍がクウェートに進撃。

• イラク軍は短期間で潰走、数日でクウェートを解放。

3. バグダッド直前で停戦

• ATO内では「イラク体制崩壊は地域の混乱を招く」との懸念が強まり、進軍停止。

• サダム政権は存続するが、イラク軍は壊滅的打撃を受けた。

---

6. 戦後処理

• クウェート復帰、ATOの軍事的威信は飛躍的に上昇。

• イラクは国際的制裁下に置かれ、経済は崩壊。

• サダム政権は一層強権化し、シリア・リビア・中華と結束を強化。

• イラク国内では反体制派・イスラム過激派が台頭し、やがて国際テロの温床となってい

く。

---

7. 歴史的意義

• 史実の湾岸戦争と違い、ATOが地上戦の主役となったことが大きな違い。

• 日本・亜米利加・フランスは支援に徹したため、アラブ世界では「自ら勝ち取った勝

利」としてATOへの信頼が強まる。

• 一方でイラクの孤立は深まり、1990年代以降のテロ戦争の火種となった。

---

まとめ:

ATOは1991年の湾岸戦争で「アラブ版NATO」としての存在感を確立。だがイラクを追い

詰めすぎず温存したことで、その後の中東不安定化の要因を残した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ