1980年代〜ソ連崩壊に至る国際連合の役割(冷戦終盤)
1. 1980年代前半:冷戦の激化と国連の調停努力
• アフガン侵攻の余波
• ソ連のアフガニスタン侵攻(1979)は長期化し、泥沼化。
• 国連はP3(日・亜米利加国・仏)+インド・サウジ・ブラジルの主導で、アフガン問題
を国際的に監視。
• ただし直接の軍事介入はなく、難民援助や非難決議にとどまった。
• 中ソ対立の利用
• 中華人民共和国は「反ソの第三世界リーダー」を掲げ、国連で積極的に発言。
• 亜米利加国や日本は中華を「牽制役」として利用し、ソ連を外交的に孤立化させてい
く。
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2. 1980年代半ば:多極化する国際連合
• 準常任理事国の固定化
• インド・サウジ・ブラジルが「準常任理事国」として安保理に常時参加するようにな
り、実質的に P6体制 が定着。
• P3(日・亜米利加国・仏)と合わせて、6カ国が国際秩序を主導。
• アフリカ・中東への関与
• サウジ主導で アラブ条約機構(ATO) が形成され、国連と連携。
• アフリカ諸国は旧宗主国(仏・日)との関係を利用して国連を通じて援助を獲得。
• 国連は「第三世界開発」の色彩を強め、史実のUNDPや世界銀行以上に影響力を持つ。
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3. 1980年代後半:ソ連の動揺と国連の圧力
• ソ連の経済疲弊
• アフガン戦争・軍拡競争・衛星国維持コストで経済が限界に。
• 国連は人権問題(東欧での弾圧・難民)を取り上げ、ソ連への国際的圧力を強化。
• 欧州での圧迫
• ドイツ・イギリスが再軍備を終えてNATOの中核に復帰。
• 国連の場では、ドイツがソ連に対して最も強硬な姿勢を示し、西欧と東欧の「情報戦」
が激化。
• 中華の台頭
• 中ソ対立を利用し、アジア・アフリカ諸国を国連で取り込み「第三勢力の旗手」として
影響力を拡大。
• ただし日本・亜米利加国とは経済で依存関係を持つため、完全に共産陣営には戻らず。
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4. 1989–1991:冷戦の終結とソ連崩壊
• 東欧の崩壊
• 1989年、ポーランド・チェコ・ハンガリーなどで民主化運動が相次ぐ。
• 国連は表向き「不干渉」を掲げつつ、人権調査団や選挙監視団を派遣。
• ソ連は軍事介入できず、威信を失墜。
• 国際連合による圧力外交
• 1990年、国連安保理でソ連経済封鎖の可能性まで議論される。
• これによりソ連指導部は改革を加速するが、国内矛盾が爆発。
• ソ連解体(1991)
• バルト三国の独立承認 → ウクライナ・中央アジアの離脱 → 最終的にソ連邦崩壊。
• 国連は速やかに旧ソ連諸国を承認し、各地域協力機構(NATO・大東亜協力機構・
ATO)への段階的編入を支援。
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まとめ
• 1980年代の国連は実質P6体制(日・亜米利加国・仏+インド・サウジ・ブラジル)で
運営。
• ソ連の孤立と崩壊に大きな役割 を果たし、冷戦終結の立役者となった。
• ソ連崩壊後、国連は「唯一の国際秩序の枠組み」として強固な正統性を持つようになっ
た。




