1970年代の中ソ対立
1. 背景:朝鮮戦争後の力学変化
• 第二次朝鮮戦争(1963〜75年)で北朝鮮が半島を統一
。
• ソ連は最新兵器の供与と空軍力で貢献したが、実際に地上で血を流したのは中華と北朝
鮮だった。
• このため、戦後の宣伝戦では 「朝鮮を解放したのは中華の力」 が強調され、ソ連の影
響力は相対的に低下。
• 中華人民共和国は「ソ連の傀儡」から「東側ナンバー2」へと地位を上げ、ソ連と並ぶ
大国を自称するようになる。
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2. イデオロギー対立
• ソ連:ブレジネフ体制のもと「現実社会主義」を掲げ、安定と共存を優先。欧州・中東
に軸足を置く。
• 中華:毛沢東体制が続き、「第三世界解放」「農村から世界を包囲する革命」を掲げ、
アジア・アフリカで反西側運動を積極支援。
• 相互の宣伝戦では、
• ソ連:「中華は無謀な冒険主義」
• 中華:「ソ連は覇権主義であり、真の社会主義を裏切った」
と非難し合う構図となった。
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3. 国境紛争
• 1970年前後、満州とシベリアの国境地帯(アムール川流域・ウスリー川) で小競り合
いが頻発。
• 史実のダマンスキー島事件に相当する武力衝突が発生し、双方で死傷者が出る。
• ソ連は中華国境に多数の戦車師団を配置し、中華は「ソ連は帝国主義国家」と非難を強
める。
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4. 北朝鮮の位置取り
• 統一を成し遂げた北朝鮮は形式上「ソ連と中華の両方に従う」としたが、実際には中華
寄り。
• 金日成は「朝鮮統一は中華の支援の賜物」と国内に宣伝し、ソ連との距離を取り始め
た。
• ソ連は朝鮮からの影響力後退に不満を抱き、対立に拍車をかける。
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5. 第三世界での代理戦争
• アフリカや中東では、両国が異なる解放勢力を支援。
• 例:
• アフリカの独立運動 → ソ連はアンゴラ、エチオピアを支援、中華はタンザニア、ザン
ビアの解放勢力を支援。
• 中東 → ソ連はシリア・イラクに武器を供与、中華はパレスチナ解放機構(PLO)に接
近。
• 同じ「反西側」ながら、支援先が食い違うことで現地でも軋轢が生まれた。
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6. 日本・亜米利加国の視点
• 西側にとって「中ソ分裂」は大きな戦略的好機。
• しかし史実の米中接近(ニクソン訪中)とは異なり、この世界では 中華は北朝鮮を自ら
の成果とみなし、強硬な反西側姿勢を維持。
• 日本と亜米利加国は「分裂を利用して中ソ双方を牽制する」戦略に転換。
• とりわけ日本では「中ソどちらが覇権を握るにせよ、朝鮮半島は対馬の目と鼻の先」と
いう現実から、防衛政策と核武装論が加速した。
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7. 冷戦構造の三極化
• 1970年代後半には、冷戦は単純な「西側 vs 東側」ではなく、
• 西側(日本・亜米利加国・フランス中心)
• ソ連ブロック(東欧・親ソ中東)
• 中華ブロック(北朝鮮・アジア・アフリカの一部)
という 三極構造 へと移行。
• 以後の冷戦は「西側 vs ソ連 vs 中華」という三者の駆け引きに変質していく。




