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第二次朝鮮戦争 中盤(1966〜68年)

1. 消耗戦の長期化

• 1964〜65年にかけて、釜山防衛に成功した亜米利加国軍は徐々に反攻を開始。

• 空爆と機械化部隊の投入で一部地域を奪還するが、山岳地帯や都市部では北軍・ゲリラ

が粘り強く抵抗。

• 前線は南部から中部へ移動するものの、大規模な決着には至らず、戦争は泥沼化してい

く。

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2. 日本の負担増

• 日本は依然として直接派兵は行わないが、在日基地からの航空作戦・補給・医療支援が

拡大。

• 日本本土の港湾や工場は常時フル稼働となり、事実上「後方兵站国家」と化す。

• その結果、日本国内では反戦運動が激化し、学生運動や労働争議が「朝鮮撤兵」を掲げ

て広がった。

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3. 国際環境の変化

• ソ連は最新兵器(ミサイル、戦闘機)を北へ供与、中華は義勇兵と兵站を提供。

• 亜米利加国は「代理戦争」から「大国間対立」へ拡大することを恐れ、全面的な北侵は

控える。

• こうして戦線は中部山岳地帯を中心に固定化し、消耗戦が続いた。

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4. 旧正月攻勢(1968年)

• 1968年1月、北朝鮮は「決定的な一撃」を狙い、南全域で同時蜂起を企図。

• ソウルをはじめとする主要都市でゲリラ蜂起、北軍は奇襲的に38度線を突破。

• 一時的に南の通信・補給網が大混乱に陥り、ソウルでは北軍兵士が市街地に侵入する場

面もあった。

結果

• 軍事的には亜米利加国・南軍の反撃により攻勢は撃退され、北は甚大な損害を被った。

• だが、映像や報道で「南全域で戦闘が続いている」ことが伝わり、世界中に「亜米利加

国は勝てない戦争をしている」との印象を与えた。

• 特に亜米利加国内では反戦デモが史実以上の規模で拡大し、議会も撤兵論に傾いてい

く。

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5. 亜米利加国の苦境

• 戦費は天文学的に膨れ上がり、経済成長にも影響が出始めた。

• 若者の徴兵に対する不満は爆発し、都市部で暴動が頻発。

• 日本も反戦世論の高まりで支援継続が困難となり、政府は「兵站支援の縮小」を検討し

始める。

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