第二次朝鮮戦争 勃発まで
1. 第一次朝鮮戦争後の38度線体制(1953年〜)
• 1953年の停戦により、朝鮮半島は 北:朝鮮民主主義人民共和国(ソ連・中華の支
援)、南:大韓民国(日本・亜米利加国の支援) に分断。
• だが両国ともに和平への意志はなく、「統一」を掲げた軍拡競争が続いた。
• 南北の境界線では散発的な銃撃戦やゲリラ活動が絶えず、事実上の冷戦最前線となっ
た。
---
2. 北朝鮮の軍事再建(1950年代後半)
• ソ連の豊富な軍事供与と中華からの兵站支援で、北朝鮮軍は史実以上に強大化。
• 特に 機甲部隊・長距離砲・航空戦力 の拡充が進み、ソ連の「極東の代理軍」としての
性格を帯びた。
• 同時に国内では「チュチェ思想」を掲げ、社会の完全統制が進む。
---
3. 南朝鮮の不安定
• 日本・亜米利加国から経済援助は受けるものの、南の政府は権威主義的で腐敗が蔓延。
• 農村部では貧困が深刻で、共産ゲリラが勢力を伸ばす。
• 1960年には「四月革命」と呼ばれる学生・市民の大規模デモが発生し、南政府の正統性
が大きく揺らぐ。
---
4. 国際情勢の変化
• 1960年代初頭、亜米利加国内では「欧州防衛を優先すべきで、アジアでの泥沼戦争は避
けるべき」という声が強まる。
• 日本も高度経済成長期に入りつつあり、「直接軍事介入より経済支援で」との方針に傾
く。
• この「西側の消極姿勢」を北は鋭く観察していた。
---
5. 戦争の導火線
• 1962年末、北朝鮮はソ連の黙認を得て、国境地帯で大規模演習を開始。
• 南では政情不安が続き、軍部クーデター未遂が発覚して混乱。
• 1963年1月、北は「南朝鮮の反人民政府を打倒し、祖国を統一する」と宣言。
• その数日後、北朝鮮軍が38度線を突破、全面侵攻が始まり 第二次朝鮮戦争 が勃発す
る。
---
第二次朝鮮戦争 序盤(1963〜65年)
1. 北朝鮮の電撃侵攻
• 1963年1月、北朝鮮軍は38度線全域で大攻勢を開始。
• ソ連供与の戦車(T-54/55)と自走砲を中心とする機甲部隊が突破口を開き、空軍もソ
連製MiG-19を投入。
• 南朝鮮軍は準備不足で防衛線を維持できず、戦線は急速に南下。わずか数週間でソウル
近郊まで北軍が迫る。
---
2. 南朝鮮の崩壊危機
• ソウルでは政府高官が国外脱出を始め、市民は避難民となって南へ殺到。
• 南朝鮮政府は「釜山防衛線」の構築を呼びかけるが、統制が効かず士気も低下。
• 共産ゲリラが各地で蜂起し、北軍の進撃を後方から助ける。
---
3. 亜米利加国の介入
• 南朝鮮崩壊が目前となり、1963年2月、亜米利加国は大規模派兵を決定。
• 海兵隊・陸軍が釜山港に上陸、航空母艦打撃群も朝鮮半島沖に展開。
• 亜米利加国は「赤い波を対馬海峡にまで近づけることは許さない」と宣言し、戦争は国
際化する。
---
4. 日本の役割
• 日本は直接の戦闘部隊派遣を控えるが、補給・兵站の中枢を担う。
• 在日基地から亜米利加軍の爆撃機が出撃し、日本の造船所では急ピッチで輸送艦が建造
された。
• また、日本の自衛戦力に相当する「本土防衛軍」が後方警備に動員され、実質的に戦争
に深く関与。
---
5. 戦線の膠着
• 1963年春、亜米利加国の増援が到着し、釜山周辺での決戦が行われる。
• 北軍は激しい攻勢を仕掛けるが、制海権・制空権を握った亜米利加軍の艦砲射撃・空爆
により大損害を被る。
• 戦線は釜山から大邱にかけての防衛線で固定化し、「短期決戦」を狙った北朝鮮の戦略
は挫折。
---
6. 国際的波紋
• ソ連と中華は北を全面的に支援するが、直接の介入は避け、兵器供与と義勇兵にとどま
る。
• 日本国内では「戦争反対」の声が高まる一方、「朝鮮が落ちれば次は日本だ」という危
機感から強硬論も噴出。
• 世界は再び朝鮮半島を舞台に、冷戦の代理戦争を目撃することとなった。




