イスラエル建国と中東戦争(1948年)
第二次世界大戦後、欧州のユダヤ人は迫害と戦禍で居住地を失い、多くが日本・亜米利加
国を経由して避難した。だが彼らの間には「聖地パレスチナに独立国家を建てる」という
強い意思があり、戦勝国の間で激しい議論が行われた。
英国が中東から撤退していたため、史実の「委任統治領パレスチナ」は存在せず、事実上
フランスと日本が監督権を有していた中東地域において国際的な合意が模索された。
1948年、国際連盟後継機関(日亜仏主導) の決定によりパレスチナの一部にユダヤ国家
「イスラエル」の建国が承認される。だが、周辺のアラブ諸国(エジプト・シリア・トラ
ンスヨルダン・イラク)は強硬に反発し、イスラエル独立宣言と同時に軍を動かし第一次
中東戦争が勃発した。
イスラエルは劣勢に立たされたが、ヨーロッパから流入した経験豊富な兵士と、日本・フ
ランスからの限定的な軍事援助(武器・義勇兵)により持ちこたえ、1949年の停戦協定
でかろうじて独立を維持することに成功した。ただし、領土は史実よりも狭く、エルサレ
ムは国際管理下に置かれることとなった。
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イスラエルの危機と孤立(1950年代前半)
イスラエルは建国を果たしたものの、史実に比べて国際的な支援が弱く、特に亜米利加国
は「過剰な介入を避ける」として実質的に傍観した。そのためイスラエルは経済的にも軍
事的にも不安定な状態が続いた。
この頃、多くのユダヤ人がイスラエルを離れ、日本や亜米利加国へ移住する流れが加速
し、イスラエルは史実以上に「小国」としての性格を強めていく。
一方、アラブ諸国は「イスラエルを地図から消す」ことを目標に掲げ、エジプトのナセル
政権は反イスラエル・反西側を鮮明にしていった。
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第二次中東戦争(1956年)
1956年、エジプトがスエズ運河を国有化すると、フランス・日本・イスラエルが共同で
軍事行動に踏み切った。目的はスエズ運河の国際管理維持とイスラエルの安全保障であっ
た。
イスラエル軍はシナイ半島へ進撃し、フランス・日本の海空軍はエジプト沿岸を封鎖し
た。だが、この行動に対しソ連が強硬に反発し、また亜米利加国も「武力行使による現状
変更には反対」として圧力をかけたため、国際世論は日本・フランス・イスラエルに不利
となった。
結局、作戦は短期間の軍事的勝利に終わり、国連(事実上、日亜仏とソ連の妥協)によっ
て停戦が命じられる。イスラエルはシナイから撤退したが、スエズ運河は国際監視下に戻
され、エジプトの完全掌握は阻止された。
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影響
• イスラエル:建国は維持できたが、国力不足と孤立に悩み、史実以上に不安定な国家と
して存続。
• 日本:中東での利権確保を試みたが、亜米利加国との対立を避けるため早期撤退。以降
は「イスラエルを守る」というより「ユダヤ人難民の受け入れ」で関与を続ける。
• 亜米利加国:イスラエルに消極的で、アラブ世界との関係改善を優先。史実の米国とは
対照的。
• アラブ諸国:イスラエル打倒の目標は達成できず、以後も緊張は続く。




