日本の核保有
1. 決断の背景
• 第二次世界大戦末期、ライプツィヒ・ドレスデンでの原爆投下を目撃した日本は、核兵
器の軍事的価値を最も強く認識した国のひとつとなった。
• 戦後、ソ連は清を制圧して「中華人民共和国」を樹立、さらに朝鮮半島南部へと圧力を
強める。
• 1950年に朝鮮戦争が勃発すると、日本は「通常兵力だけでは防衛できない」と判断し、
独自の核抑止力確立を国家戦略の柱に据えた。
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2. 技術開発の進展
• 1947年頃から「国策としての原子力研究」が本格化。理化学研究所・海軍技術研究所が
中心。
• フランス・亜米利加国からの限定的協力を受け、1949年に試験炉を建設。
• 1951年にプルトニウム抽出に成功。
• 1952年、南洋群島の孤島で初の核実験に成功。これは英国のモントベロ実験よりも早
く、世界で米ソに次ぐ3番目の核保有国となった。
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3. 初期の核戦力
• 航空投下型:1950年代は大型爆撃機による投下を想定。
• 国産長距離爆撃機(「玄武」など仮称)が開発され、沿海州・北京・モスクワ極東方面
を射程に収めた。
• 戦術核:1950年代後半には、艦載機や前線部隊に使用可能な戦術核兵器も開発。
• 海軍の役割:空母機動部隊が核攻撃能力を保持し、インド洋や西太平洋での抑止に貢
献。
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4. 国際反応
• 亜米利加国:表向きは「拡散防止」の立場から慎重姿勢を見せつつ、実際には黙認。日
本の核抑止力は極東での負担軽減につながるため、むしろ歓迎。
• フランス:日本の「独自核路線」を称賛し、技術協力を拡大。1950年代後半から日仏間
で「核戦略協議」が常設化。
• ソ連・中華人民共和国:激しく反発。日本の核実験成功直後から、極東ソ連軍は核攻撃
に備えた分散配置を余儀なくされた。
• 国際社会:日本はNPTに加盟せず、「核保有は国際秩序の安定要素」と正当化。これに
より、核不拡散体制は史実よりも脆弱になる。
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5. 核戦略の進化
• 1960年代:
• ICBM研究に着手。
• 原子力潜水艦の建造が進み、SLBM搭載の戦略原潜計画が始まる。
• 1970年代:
• 「核三本柱(爆撃機・ICBM・SLBM)」を整備。
• フランスを超える核戦力を保有し、事実上「第三の核超大国」となる。
• 戦略ドクトリン:
• 「最小限抑止」ではなく「地域覇権を保障する核抑止」。
• 特にアジア太平洋でのソ連の拡張に対抗するため、核使用を辞さない強硬姿勢を維持。
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6. 影響
• 朝鮮戦争:日本の核保有がソ連の全面介入を抑制。戦線は史実より安定。
• 第二次朝鮮戦争:日本の核抑止が北朝鮮の戦略を制約するが、ゲリラ的戦術により長期
化。
• 冷戦構造:米仏と並んで「核を持つ西側三大国」となり、アジアの防衛における中心的
役割を担う。




