朝鮮戦争と欧州再軍備(1950〜1952)
1. 朝鮮戦争の衝撃
• 1950年6月、朝鮮半島での戦争勃発は「共産圏の侵攻は極東に留まらない」という危機
感を欧州に広げた。
• 特に、ソ連が清を制圧した直後であったため、欧州諸国は「次はポーランドや東欧を越
えて欧州に進撃するのでは」と強い恐怖を抱く。
• 日本と亜米利加国がアジアで全力投入している間に欧州が無防備になる懸念が高まる。
---
2. ドイツ再軍備の動き
• **西ドイツ(連合国管理地域)**では、戦後は非武装化されていたが、朝鮮戦争後の危
機で「治安警察」から発展させる形で国防軍再建が始まる。
• 1951年:「欧州防衛軍(EDC)」構想の一環としてドイツ師団の編成が許可される。
• 1952年:正式に再軍備が承認され、西ドイツは NATO 加盟を視野に入れる。
• ただし、隣国フランスはかつて侵略された記憶から強く反対し、最初は「統合指揮下で
のみ武装」を条件にする。
• 日本・亜米利加国は「朝鮮戦線で手一杯、欧州はドイツの力が必要」として再軍備を後
押し。
---
3. 英国の再軍備と NATO 復帰
• 英国は敗戦後、空母と空軍中心で再建していたが、戦車・陸軍戦力は弱体化していた。
• 朝鮮戦争を受け、陸軍師団の再整備が進み、ドイツと並行して「欧州防衛軍」に参加す
る。
• 1952年:英国も NATO に「復帰」する形で加盟。ただし独立した軍事ドクトリン(空
母機動部隊中心)は維持。
---
4. NATO 強化
• 1951年:NATO は単なる政治同盟から実戦的軍事同盟へ転換。
• 統合軍司令部(欧州連合軍)が設置され、指揮系統の一元化が進む。
• 日本・亜米利加国は「大西洋=太平洋両正面」を意識し、欧州防衛の責任を NATO に委
譲し始める。
• 1952年:ドイツ・英国が加盟、NATO は「西欧防衛の砦」として完成。
---
5. 政治的影響
• フランス:戦前の敗北と占領の記憶から「ドイツ再軍備反対」を叫ぶが、ソ連脅威と朝
鮮戦争の現実に押されて容認。
• イタリア:ムッソリーニの遺産から国内世論は複雑だが、西側参加を明確にする。
• ソ連の反応:NATO 強化を「西側の再軍国主義」と非難し、東欧にさらに軍を増派。こ
れにより欧州の冷戦構造が固定される。
---
まとめ
• 朝鮮戦争 → 欧州危機感 → ドイツ・英国の再軍備 → NATO 強化 という流れは、この世
界でも極めて自然。
• ポイントは「英国は敗戦国からの復帰」という史実とは逆の立場にあるため、より複雑
で対立的な交渉が必要になったこと。
• 1952年までに「NATO西欧防衛ライン(英独仏伊)」が確立し、東側(ソ連+中華)と
の対立が鮮明化する。




