日本によるオーストラリア領有化(IF史)
前提条件
• 日本はすでに フィリピン・インドネシア・太平洋諸島 を実効支配。
• 北米植民地戦争で勝利し、国力・移民力が拡大。
• イギリスは北米で敗北して植民力が弱体化しており、オーストラリア進出が遅れる。
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年代別展開
1660〜1680年代:発見・補給地化
• インドネシア・太平洋植民地を拠点とする日本艦隊が、オーストラリア北岸に漂着。
• 捕鯨や香料航路の補給基地としてダーウィン周辺に臨時拠点を設ける。
• 現地先住民との交易が始まるが、まだ本格的な入植はなし。
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1720〜1740年代:探検・測量
• 日本人探検家(仮に「田中某」「伊達藩士出身」など)がオーストラリア東岸を航海。
• シドニー湾を「南京湾」と命名、恒久的港湾に適していると報告。
• 日本商館が小規模な漁港・捕鯨拠点を建設、交易が活発化。
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1760〜1770年代:入植開始
• 北米植民地戦争に勝利し、余剰人口を太平洋南方に送り込む計画が立つ。
• 1765年頃、ニューサウスウェールズ入植計画 が開始され、数千人規模の農民・職人・
兵士が移住。
• シドニー付近に都市「南京(Nankyo)」が建設され、行政拠点となる。
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1780〜1800年代:日本領オーストラリア確立
• 日本の入植が急速に進み、東岸・タスマニア・一部内陸が開拓される。
• イギリスが史実通り進出しようとするが、日本の強固な海軍・拠点網に阻まれ失敗。
• 1790年代、オーストラリアは正式に「南洋府(仮称)」として日本の植民地行政下に組
み込まれる。
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特徴
• 刑務所植民地ではない:イギリスのように囚人ではなく、日本の農民・武士階層の余剰
人口を移住させる。
• 多民族社会:日本人入植者+現地アボリジニ+東南アジア労働者が混ざり合う。
• 太平洋戦略の要衝:インドネシア・フィリピン・太平洋島嶼・北米を結ぶ「日本版大英
帝国の環太平洋ルート」が完成。
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総括
• 北米植民地戦争勝利後 に余力を投じ、18世紀後半には日本がオーストラリアを本格的
に領有化。
• 史実の「イギリス領オーストラリア」に相当する部分が完全に日本領になる。
• これにより、19世紀の大英帝国の海洋覇権は成立せず、太平洋=日本の「内海」と化
す。




