伊達政宗による上杉攻略(御館の乱利用)
1. 背景
• 1578年、上杉謙信が没し、養子の景勝と景虎が家督を争う「御館の乱」が勃発。
• 越後国内は二分され、兵糧・兵力の調達もままならず、民心は疲弊している。
• 武田・北条は関与するも、遠方での支援は限界があり、越後の混乱は長期化。
この隙を、東北統一を進める伊達政宗が見逃すはずはない。
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2. 政宗の戦略
(1) 調略と内通
• 越後の国人衆(長尾家臣・地侍)を事前に調略。
• 「政宗に従えば秩序と安定が戻る」と説き、味方を増やす。
• 景勝・景虎の双方の支持者を取り込み、内部崩壊を誘う。
(2) 軍事行動
• 奥羽を統一した兵力(15万規模)を北陸道経由で越後南部へ進軍。
• 火器部隊を先鋒に配置し、平地戦では鉄砲と大砲で優位に立つ。
• 山間部では騎馬隊を用いて奇襲・夜襲を実施。
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3. 決定的戦闘
• 越後中部の魚沼・蒲原で両者と交戦。
• 景勝・景虎軍は互いに牽制しあい、まとまりがない。
• 伊達軍は集中攻撃で景虎軍を撃破し、景勝軍の背後を衝く。
• 景虎は自害、景勝は降伏・臣従。
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4. 越後掌握
• 政宗は越後を支配下に置き、北陸道を制圧。
• 越後の兵・城を奥羽と統合し、鉄砲隊や大砲隊を配備。
• 民心の安定のため、景勝は名目上「越後家督」として残すが、実権は伊達が掌握。
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5. 影響と戦略的効果
• 伊達政宗は奥羽+越後の二大拠点を確保。
• 北陸から関東への進出ルートが整備され、次の目標は関東北条。
• 東北・北陸を押さえたことで、三強(武田・毛利・北条)の戦況に大きな影響を及ぼす
立場となる。




