第2話:反逆者は言い訳がお上手
「……喰われる前に、この世界のすべてを喰らい尽くしてやる」
誰に聞かせるでもなくそう呟いた俺は、その直後、自分の膝がガクガクと笑っていることに気づいた。
いやいやいや、無理無理無理! 何を格好つけてるんだ俺は!
喰らい尽くすって何をだよ! あのゴツい兵隊アリ、どう見ても俺より100倍強いだろ! 触角で殴られただけで頭蓋骨陥没するわ!
先程までの威勢はどこへやら、俺は無様にへたり込み、頭を抱えた。反逆? 蹂躙? ふざけるな。俺がやりたいのはそんな物騒なことじゃない。ただ、死にたくない。交通事故で死んだと思ったら、今度は交尾で腹上死(物理)とか、何の罰ゲームだ。
「うぅ……帰りたい……元の世界の、残業とパワハラ上司がいた俺の日常に帰りたい……」
情けない嗚咽が漏れる。そうだ、俺、相良拓人は、三十年間、波風立てずに生きることだけを信条としてきた、しがないサラリーマンだったじゃないか。反逆なんて柄じゃない。俺にできるのは、せいぜい上司の理不尽な要求に「承知しました(絶対やらんけどな)」と笑顔で答え、陰で愚痴をこぼすことくらいだ。
この状況、完全に詰んでる。だが、死ぬのは嫌だ。絶対に嫌だ。
ならばどうする?
……そうだ、俺には武器がある。前世で培った、あのスキルが。
「言い訳と、同情を誘う演技力……!」
これだ。正面突破が無理なら、搦め手でいくしかない。臆病者には臆病者の戦い方がある。俺は涙を拭い、新たなる決意――もとい、延命のための悪あがき――を固めた。
ターゲットは、世話役のエミリー。彼女の人の良さ……いや、蟻の良さにつけ込むのだ。
次に彼女が食事を運んできた時、俺は意を決して、潤んだ瞳で彼女を見上げた。
「エミリー……僕、怖いんだ」
「アクト様……?」
「婚姻の儀……。君たちは誉れだと言うけれど、僕は……死ぬのが、怖い。すごく怖いんだ。強がってはみたものの、夜も眠れなくて……」
俺が声を震わせると、エミリーの触角が心配そうにしゅんと垂れた。よし、食いついた!
「儀式って……やっぱり、痛いのかな? 苦しいのかな……? 僕、ちゃんと役目を果たせるかな……」
俺が子犬のようにプルプルと震えてみせると、エミリーはすっかり母性本能をくすぐられたようだった。
「まあ、アクト様……お可哀想に……。大丈夫です、儀式は苦痛など伴いませぬ。女王陛下の愛に包まれ、至上の幸福の中で一体となるのですから」
「本当かい……? 女王陛下って、優しいお方なのかな? 僕みたいな臆病者、呆れられてしまわないだろうか……」
俺のか弱いアピールは功を奏した。エミリーは「若きエリザベス様は、それはそれは慈悲深いお方ですよ」と、女王の人となりから、コロニーの内部事情まで、心配する俺を安心させようと色々なことを話してくれた。経験の浅い女王、食糧事情、複雑なコロニーの構造。それらの情報は、恐怖に駆られた俺の脳に、生存戦略のヒントとして刻み込まれていく。
身体の調査も、臆病者ならではの視点で行われた。
手足の感覚毛? こんなのがあるから、監視の兵士が少し動くだけでビクッとしちまうんだ。迷惑な機能だ。
体から発する甘い匂い? なんだこれ、緊張すると匂いが強くなるぞ。敵に見つかりやすくなるだけじゃないか!
そう思っていたのだが、ある時、監視のソルジャーの交代の足音に「ひぃっ!」と竦み上がった俺の元へ、様子を見に来た別のワーカーが、俺の発するフェロモンを嗅いでうっとりとした顔で「まあ、アクト様……お労しや……」と蜜菓子を一つ、余分に置いていった。
……え、何この匂い。俺がビビればビビるほど、ワーカーは同情的になってくれるの?
……使えるッ!
俺の武器リストに「お涙頂戴」と「言い訳」に加え、「ビビりフェロモン」が追加された瞬間だった。
そんなある日、俺のしょぼくれた延命計画に、最大の危機が訪れた。
部屋の入り口に立つ影が、いつもより明らかにデカい。黒鉄色の甲殻に無数の傷。他のソルジャーとは比較にならない威圧感を放つ、部隊長クラスの個体が、俺を値踏みするように見つめていた。
「……何か御用でしょうか、アクト様」
その声だけで、膀胱が全力で仕事の放棄を訴えかけてくる。
「貴方様は、他の雄オス様方とは少々、異なるようだ。歴代の雄様は皆、ただ与えられるものを享受し、その日を待つだけだった。しかし貴方様からは……奇妙な『意志』の匂いがする」
ぎゃああああ! バレた! 心読まれてる! 終わった! 酸で溶かされる未来しか見えない!
俺の脳はフル回転を超えてショート寸前だった。だが、ここで死ぬわけにはいかない! 出ろ、俺の必殺言い訳スキル!
「――ッ!?」
俺はベアトリクスと名乗った彼女の言葉に、わざとらしく肩を震わせ、顔を覆った。
「……意志、ですか? も、もしかしたらそれは……僕の『恐怖』かもしれません……!」
声を絞り出し、目に涙を溜める。サラリーマン時代に理不尽な要求をされた時の、あの困り果てた表情を完璧に再現する。
「死ぬのが怖いんです……! でも、それが雄の役目なら……受け入れなければならない……! だけど心が、この情けない体が、どうしても震えてしまうんです! このみっともない震えを、なんとか、なんとか意志の力で押さえつけようと……! そう必死にもがく姿が、ベアトリクス様の目には『奇妙な意志』として映ったのかもしれません……! うっ、ううっ……みっともなくて、すみません……!」
完璧だ。我ながら完璧な被害者ムーブ。臆病さを逆手に取った、苦しすぎる言い訳。
ベアトリクスは鋼の表情を僅かに歪ませ、俺を観察している。やがて、フンと鼻を鳴らした。
「……腑抜けた雄だ。だが、その恐怖こそが、女王陛下への捧げものとして純度を高めるやもしれぬ。せいぜい震えているがいい」
吐き捨てるようにそう言うと、彼女は踵を返した。
俺はその場にへなへなと座り込んだ。
「……助かったぁ……寿命、マジで五十年は縮んだ……もうやだこの世界……」
だが、俺が安堵のため息をつく暇はなかった。
その日の夜、エミリーが部屋に飛び込んできたのだ。その顔は興奮で輝いている。
「アクト様! 大変です、大変な名誉です!」
「ひっ! な、何!? 今度は何!?」
ビビりすぎて裏返った声が出た俺に、エミリーは至上の喜びといった様子で告げた。
「女王陛下が……エリザベス様が、予定を早められ、今宵、アクト様にご謁見なさるとの勅命が!」
「…………は?」
俺の思考は、完全に停止した。
え、なんで? 俺なんかした? あのゴツい兵隊長がチクったの? 「あいつ、ありえないくらいビビってます」って報告しに行ったの!?
「無理無理無理! 女王様って絶対ラスボスじゃん! 会った瞬間に『貴様、腑抜けであるな。もはや不用』とか言われて即死するパターンでしょ!?」
俺が半狂乱で喚いているというのに、エミリーは「まあ、アクト様! なんて素晴らしいことでしょう!」とキラキラした複眼で俺を見つめている。この温度差よ。
俺の抵抗も虚しく、屈強なソルジャーたちが部屋に入ってきて、俺を女王の間に「お連れ」する準備を始めた。もはや、引きずられていくだけの子羊だ。
「ど、どど、どうしよう……失礼があったら殺される……でも断っても殺される……あああ、もう詰んだ……完全に詰んだ……」