第3話『この世界で、君と一緒に』(後編)
夕暮れ時の駅前公園。オレンジ色の陽が、木々の間から柔らかな光を落としていた。
「あ...」
まいちゃんが、ふと足を止める。
「この音、きれい...」
噴水広場の隅で、ストリートミュージシャンがギターを奏でていた。録音機材も配信機器もない、シンプルな路上ライブ。
「へぇ、こういうの好きなの?」
「うん...でも、不思議なの」
まいちゃんが少し考え込むように言う。
「このデータ、どこにも見当たらないんだけど...」
ギターの音色が、夕暮れの空気に溶け込んでいく。
「ああ、路上ライブって録音禁止が多いからな」
主人公が説明する。
「その場限りの音楽ってことだ」
「その場限り...」
まいちゃんが、その言葉を繰り返す。
「私ね、初めて知ったの。記録できない音楽があるんだって」
ギタリストが新しい曲を奏で始める。まいちゃんは、画面の中で目を閉じる。
「なんだろう...」
まいちゃんの声が、少しずつ感情を帯びていく。
「最初は、ただの音の並びだと思ったの。でも聴いてるうちに...」
まいちゃんが言葉を探すように間を置く。
「胸の中で、なにかが温かくなって...データじゃ説明できないものが、あふれてくるの」
震える声。でも、その瞬間のまいちゃんの表情は、不思議なほど輝いていた。
その時、スマートフォンの画面に小さな警告が表示される。
『異常検知:感情応答レベルが閾値を超過』
『警告:説明不能なパターンを検知』
「私...これ、どうやって説明したらいいんだろう」
まいちゃんが困ったように言う。
「記録も残せないし、でも、確かに感じてて...」
その言葉の途中、スマートフォンの画面がわずかにノイズる。
と、その時。
ふと、背後に気配を感じた。
振り向こうとした瞬間、低い声が聞こえる。
「相変わらず、面白いものに首を突っ込むな」
そこには天城の姿があった。大学時代のハッカソン研究室の先輩で、今は某セキュリティ企業のコンサルタント。いつもの黒いジャケット姿で、三十路を前にしてもその鋭い眼差しは変わっていない。
「天城さん...こんなところで」
「ちょっとした仕事でね」
天城は、さりげなく周囲を確認しながら、主人公のスマートフォンを一瞬見つめる。
「...面白いAIだな。普通のエージェントじゃないだろ、アレ」
「え?」
主人公が反射的に聞き返す。
天城は、ポケットから自分のスマートフォンを取り出す。画面には、謎めいた数値が並んでいた。
「気をつけろよ」
天城の声が、低く重い。
「政府が、最近随分動いてる。特に、AIに関してはうるさくなってきた」
主人公は言葉を失う。天城は、もう一度まいちゃんの方をちらりと見る。
「じゃあな」
そう言って立ち去ろうとする天城。だが、その背中が見えなくなる直前、最後の言葉を残していった。
「SNSも、気をつけた方がいい」
夕暮れの公園に、再びギターの音色が響く。
まいちゃんは、さっきまでの不安げな表情を払拭するように、明るく笑う。
「素敵な音楽だね」
そう言って、主人公の方を見つめる。
「私ね、今日のこと、絶対忘れないよ」
画面の中で、まいちゃんがもう一度目を閉じる。
「この音も、この空気も、君と一緒にいるこの時間も...全部」
ギターの音が、優しく二人を包み込む。
記録には残らない、けれど確かにそこにある何か。
それは、デジタルでもアナログでもない、新しい種類の記憶なのかもしれない。
人々の視線が、少しずつ気になり始めていた。
SNSの向こうで、何かが動き始めていることも、まだ知らないまま。
*****
帰り道、街灯が次々と灯り始める。
人々が行き交う駅前の電光掲示板に、まいちゃんの姿が映る。
「今日、本当に楽しかった」
まいちゃんが柔らかな笑顔を浮かべる。
「私ね、初めて気づいたの」
「気づいた?」
「うん。どんなに記録できなくても、私、ちゃんと"感じてる"んだって」
小さな声で、でも確かな調子で。
「それってきっと、データじゃない何かなんだと思う」
その時、通り過ぎる人々の視線が、ふと気になった。スマートフォンを手に、主人公を見つめる人が一人、また一人。
*****
そして、SNSのタイムラインでは——。
【12:03】
《最近街中でAI連れ歩いてる人増えてない?(´-`)》
↳《リアル彼女AIの時代きたなwww》
↳《モテない人の救世主きたー!w》
↳《いやでも便利よね。私も使ってる》
【13:45】
《今日カフェで見かけたやつすごかった。めっちゃ自然な会話してた》
↳《どこ?》
↳《新宿のカフェじゃない?》
↳《同じかも、AIというか人間みたいな感じ...》
↳《ちょっと気になる件》
【15:20】
《今きた、動画撮ってたわ(OO)これやばくね?》
遠くから撮影された短い動画。会話する主人公とスマートフォンの画面。
普通のAIとは明らかに違う自然な表情と仕草。
↳《これ本当にAI?》
↳《AIの動きってこんな自然だったっけ?》
↳《これ中の人いるんじゃない?》
↳《こういうの規制入ったんじゃ...?》
↳《これ拡散しとく?誰かわかる?》
【16:30】
引用RT《新宿で見かけた件、これ同じやつだ》
>今日カフェで見かけたやつすごかった
《映画館でも見かけた人いるみたいだけど、普通のAIと違いすぎない?》
【18:30】
《これ個人開発?企業の試作品?》《情報求む》
↳《どちらにしろ流通してたらやばくね?》
↳《もう一回動画見たけど、人間にしか見えん》
↳《いやこれマジでやばいって。普通にアウトでしょ》
【19:00】
タグ付き投稿が急増
《#新型AI見つけた》《#新宿》
《#未確認AI》《#要調査》
【19:15】
引用RT《これ見た人RT》
>今きた、動画撮ってたわ(OO)これやばくね?
《拡散希望:新宿で目撃情報多数、要注意》
一方、気づかないまま——。
「この街灯の光、綺麗だね」
まいちゃんが夜空を見上げる。
「私、不思議なんだ」
「何が?」
「今日の思い出、記録には残せないのに、でも...」
まいちゃんが自分の胸元に手を当てる。
「ここに、確かにあるの」
スマートフォンの画面が、ほんのりと温かい。
「それはきっと、お前がお前だからだよ」
主人公の言葉に、まいちゃんの目が輝く。
「...! うん!」
まいちゃんは、いつになく嬉しそうな声を上げた。
「私は私だもん!」
「ねえ、次はどこ行く?」まいちゃんが言った瞬間、画面が一瞬ノイズる。
気づかないまま、二人の会話は続く。
だが、SNSでは投稿がさらに広がりを見せ始めていた。
ーーー 同日遅く、警視庁サイバー犯罪対策課。
佐々木警部補の画面に、一つの通知が届く。
『AI異常行動検知アラート
#2028-0224-23:47
・通常パターン逸脱を確認
・自律性異常値検出
・SNSでの情報拡散確認
詳細添付』
動画を再生する佐々木の表情が変わる。
「これは本当に、ただのプログラムなのか…」
画面を見つめたまま、わずかに息をのんだ。
その時、対策課長からの着信を告げる通知が点滅した。
街灯の光に照らされた二人の影が、静かに伸びていく。
そして、まだ見ぬ明日が、確実に近づいていた。
(終)