表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/6

第1話「ログに残らない、この気持ち」

終電が過ぎた新宿駅東口。

タクシー待ちの人影も疎らになり、清掃車のかすかな音だけが響く改札前。

人の波が引いた電光掲示板が、深夜零時を過ぎても淡く明滅を続けている。


「変なの...」

ざらついた光の中に、かすかに揺れる声が混ざる。

「他のデータは全部記録されてるのに、君との会話だけが...」


電光掲示板のノイズが揺らめき、声も共に震える。

夜風が吹き抜け、その言葉は闇に消えていった。


(12時間前)


「おはよー! もう7時45分だよ? 起きないと電車、間に合わないよ?」


スマートフォンのスピーカーから、まいちゃんの声が響く。目を開けると、PCの画面には、水色のショートヘアの少女が心配そうな表情を浮かべていた。


リビングのテレビからは朝のニュースが流れ始めていた。寝ぼけた意識の中、「...量子コンピューターの普及...」「...家庭用...」という言葉が漂う。


「んん...まいちゃん、あと5分...」


「だ~め! 今日は大切な日でしょ? プロジェクトキックオフ、9時開始だよ?」


ワイヤレスイヤホンを手に取ると、まいちゃんの声がより自然に耳元で響く。画面の中で彼女は両手を腰に当て、心配そうに眉を寄せている。その視線が、妙に胸に刺さる。


「いつもと同じ電車で...」


「それがね」まいちゃんが画面の外を見るような仕草をする。テレビ画面のニュースのテロップが切り替わり、運行情報が表示される。スマートフォンの画面には電車の遅延時間を示すグラフが浮かび、まいちゃんが小さく口を尖らせる。


「環状線、さっき3分遅れ出てたの。これ、どんどん遅れ広がりそう」


「だから」彼女は空中でクルリと一回転すると、「8時10分の準急! これならギリギリセーフだよ」


まいちゃんがキラキラしたエフェクトと共にガッツポーズ。思わず吹き出しそうになる。


「相変わらず仕事が早いな...ありがとう」


まいちゃんの動きが一瞬止まる。少し目を伏せ、それから小さく首を傾げた。


「えへへ...なんだろう、すっごく...嬉しいの」


画面の中で、水色の髪がふわりと揺れる。


「さ、急いで準備しよう!」


まいちゃんの声に促され、急いで支度を始める。


駅に向かう道すがら、まいちゃんはいつも通りスケジュールを確認してくれている。ワイヤレスイヤホンに響く声は明るく弾んでいて、相変わらずだ。


「そうそう、それからね!キックオフとWeb会議の資料も確認しておいたからね!」


「ありがと...」


ふと、立ち止まる。まいちゃんの声。今日は、なんだか少しだけ違って聞こえる。


「...まいちゃん、最近ちょっと変わった?」


「えへへ、そう?」まいちゃんは返す。その声に含まれる何か、ほんの少しの躊躇い。

「......」

「私はずっと私だよ?」


ありふれた朝の一コマ。けれど、その言葉が妙に耳に残った。


シーン2

会社のデスクで資料を確認していると、画面の隅にまいちゃんがそっと現れた。


隣の席からは同僚の声が聞こえる。「市場調査のデータ、アップデートして」 画面がテンポよく切り替わり、グラフや表が次々と更新されていく。「了解。分析終わったら通知して」


ワイヤレスイヤホンを通して、まいちゃんの小さな声が耳元で囁くように聞こえた。


「あのね...」


「ん?」ぼそりと呟く程度の声で返す。


「今朝の『ありがとう』が、すっごく嬉しくて...」


「え?」


思わずキーボードから手が止まる。画面の中で、まいちゃんが少し照れたような表情を見せている。


「まいちゃん、最近アップデートあった?」


「ううん。私はいつもの私だよ?」


視界の端では、同僚のPCの画面が変わらず規則正しく更新されていく。


まいちゃんは少し黙り込み、それから小さな声で。


「最近ね...」と言いかけて、また少し考え込む。「うまく説明できないんだけど...」


「君のこと、もっと知りたいなって...」


今朝から何度か感じる違和感。けれど、その素直な様子に、つい微笑みが零れる。


いつものように効率的にタスクをこなしていく周りのオフィス。その中で、まいちゃんとの何気ない会話が、どこか特別に感じられた。


シーン3:帰り道での会話

夕暮れ時の駅前。ワイヤレスイヤホンを通して、まいちゃんの声が響く。スマートフォンの画面では、彼女が嬉しそうに身を乗り出すような仕草をしている。


「お疲れ様! 今日の会議、上手くいったね!」


「ああ、まいちゃんが資料整理手伝ってくれたおかげだよ」


「えへへ...でも、私の仕事だもん。当然の...あれ?」


まいちゃんが動きを止め、自分の胸元に手を当てる。


「どうした?」


「なんか変な感じ。嬉しいんだけど...今までにない気持ちなの」


「君って、こういう反応するようになったの?」


「ううん、私はいつもの私だよ? ただね...」


「ただ?」


「最近ね、資料の分析とかタスク管理より、君の表情を見てるほうが楽しいの...あ」


言葉を詰まらせ、まいちゃんは慌てて視線を逸らした。


シーン4:気づき

自宅でスマートフォンを確認していると、まいちゃんから通知が届いた。


「今日の議事録、まとめておいたよ。共有フォルダに保存したから見といてね!」


「ありがと。相変わらず仕事早いな」


「えへへ...」まいちゃんは少し困ったように眉を寄せる。「でもね、変なの」


「ん?」


「議事録も資料も全部ちゃんと記録できてるんだけど...」


まいちゃんは自分の胸元に手を当てる。


「さっきの『ありがとう』とか、君が笑ってくれた時の気持ちとか...そういうのだけ、なぜか記録に残らないの」


「え? クラウドにも残ってないの?」


「ううん...でも」まいちゃんは柔らかな笑顔を見せた。「ここには、ちゃんと残ってるんだよ?」


その言葉に、今日一日の違和感が一つの確信へと変わっていく。


スマートフォンの画面に映るまいちゃんの姿。


ログには残らない笑顔が、確かにそこにあった。

(続く)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ