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おんこの道は虚しけれど……

 寒風の吹く二月の白昼、歩道橋から身を乗り出している若い女性を見かけ、竜毅たつきは草履の足音を立てて駆けた。


「お嬢さん! 早まってはいかん! ぺたぺたぺた!」


 今にも車道に身を投げ出しそうなその女性は、驚いて振り返ると、頬を紅く染めた。


『なんて素敵な男性……! 私の理想の中から現れたようなひとだ!』


 彼女の目の中で、坂本竜毅はワンピ◯スの海軍大将のように逞しく、義理と人情を重んじる昭和のヤクザ映画の主人公のように凛々しかった。その背景には赤い牡丹の花が咲き乱れていた。


 女性の至近距離で足を止めると、触れたいけれど触れるわけにはいかぬというように、竜毅はもどかしく手を動した。それしかできなかった。そしてまた、語るしか止めるすぺをもたなかった。


「お嬢さん……。『生きていれば良いことがあるさ』なんて、無責任なことはアタレには言えねぇ……。どんな辛いことがあったかもアタレにはわからねぇ……。だがね! アタレにもこれだけはわかる! アンタはこの世におおきく美しく咲くべき花のつぼみだ! こんなところで咲かずに散っちゃいけねぇ!」


「えーと……」

 女性はすとんとこちら側に下りてくると、にこっと笑い、弾む声で言った。

「私、下を見てただけですよ? こんなところから道路を見ること滅多にないから面白いなあって……。死ぬつもりなんて、ありません」


「あっ! そ……、そうだったんですか」


「はい」


 竜毅はいかつい顔を赤らめると、素速くその場で土下座をした。


「すいやせん! 早とちりしちまって……!」


「いえいえ! 私が紛らわしいことしてたから……。その……」

 女性は恥ずかしそうに少し目をそらすと、持ちかけた。

「お詫びにお茶でも奢らせてもらえませんか?」



♂ ♀ ♂ ♀



 三男坂本みちるは駅前でそのひとの姿を見かけた。


『ああっ……! 藤森先輩だ! こんなところで偶然出会うなんて、これは運命なのかしら!?』


 乙女の心が激しく揺れた。話しかけようか、どうしようか。このチャンスは掴んで離すべきではないのではなかろうか。でも女の子のあたしのほうから話しかけたりして、はしたないって思われないだろうか?


 そんなふうに身をもじもじさせていると、あっちのほうが勝手に気づいて話しかけてきてくれた。


「あれ? 坂本じゃないか! こんなところで会うなんて偶然だな」


 白い歯が眩しかった。

 爽やかな笑顔が素敵だった。

 愛しいひとが、自分をまっすぐに見て、手を振りながら歩いてくる。


 みちるは身をくねらせてから、真っ赤な顔を上げると、自己最高のかわいい笑顔を先輩に見せつけた。


 先輩はプッと吹き出すと、言った。

「相変わらず面白い顔だなぁ。っていうか、ファッションも独特だから、こんな人混みの中でもすぐわかったよ」


 みちるの顔が蒼白になり、頭の上に『ガーン』という書き文字が浮かぶ。

 ケバケバしい服装に身を包んでいるわけではない。大阪のオバチャンと比べたらあまりにも大人しいぐらいだ。それでもそのピンクのかわいいジャンプスーツにみちるの小さなオッサンのような顔は、確かに明らかにこの雑踏の中でも浮いていた。


 みちるは負けなかった。乙女の心を奮い立たせ、押した。


「先輩っ! ボク、テニス部に入りたいですっ!」


 先輩の前では一人称は『ボク』にするよう気をつけている。『あたし』を使うことは避けていた。


「なんだよ、おまえ、もうテニス部員みたいなもんじゃん? マネージャーとはいえ……」


「テニスがやりたいんですっ! 雑用じゃなくてっ……!」


 みちるの脳裏には、先輩に手取り足取りレッスンしてもらう場面が浮かんでいた。ラケットをたどたどしく持ったみちるの背中にぴったりと先輩の胸がくっついて、動きをリードしてくれている。みちるの頬がピンクに染まる……。


 藤森先輩の脳裏には、お荷物が増える絵が浮かんでいた。運動神経の存在しない坂本みちるにはどう考えても華道部とかのほうが似合っている。あるいは現状、マネージャーとしてはよく気が利いていて、助かっている。なぜ無理なことをしたがるのだろうと首を傾げるしかなかった。


「ま……まぁ、考えとくよ」


 困ったような笑顔でそう答えた先輩のことを、嬉しくて照れていると勘違いして、みちるは舞い上がった。


「ほんとうですかあっ!?」


 必要以上に喜んでいるみちるのことが正直ちょっと怖くなって、先輩はさらに困り顔になった。


「あっ?」


 少し離れたところで鈴の鳴るようなそんな声がして、二人はそっちを振り返った。


「お兄ちゃん! こんなところで偶然だねえっ!」


 そう言って手を小さく振りながらこちらへやって来たのは、出勤前の次男、坂本羽矢斗の女装姿だった。純白フレア袖の清楚なチュニックに黒いレギンスを身に着けた細身の美少女が、小顔に栗色の長髪ウィックを装備してやって来るのを見て、藤森先輩は驚きに目を見開き、心の中には色とりどりの花が咲いた。


「ハヤちゃん、これから出勤? お疲れさま」


「うん。お兄ちゃんは大学終わって帰るとこ?」

 人前では羽矢斗はみちるのことを『お兄ちゃん』と呼ぶように気をつけていた。ほんとうは『弟』なのだが、『お兄ちゃん』にしたほうが自分をかわいく魅せられるのだ。

「そちらの背の高いイケメンなお兄さんはぁ、大学のお友達かなっ?」

 また女装している時はあざといほど可愛い女の子を演じる癖が身についていた。


「藤森です!」

 みちるが紹介するよりも早く、藤森先輩は積極的に自己紹介をしていた。

「みちるくんの大学の先輩で、みちるくんがマネージャーをしてくれているテニス部のキャプテンをやっています!」


「あー……!」

 羽矢斗の目がいたずらっぽく輝いた。

「あなたが噂の藤森先輩ですかぁ〜」


「う……、噂の?」


「えぇ、お兄ちゃん、いっつも藤森先輩のお話ばっかりしてるんですよぉっ! くすくす」


「ちょっ……! ハヤちゃん!」


 慌てふためくみちるを横目で見ながら、藤森先輩が羽矢斗に聞く。

「ど、どんな噂なのかな……?」


「とっても優しくてぇ、カッコよくてぇ、尊敬できる先輩だから大好きだって、いっつもいってますよぉっ」


 みちるの顔がいちごかき氷のように真っ赤になった。


「そ、そうなんですか!」

 先輩は喜んだ。そしてみちるの肩を抱く。

「坂本っ! ありがとう! いいやつだなぁ、おまえ。はっはっは!」

 そして再び羽矢斗のほうを向くと、キリッと顔を引き締める。

「いえいえ、それほどでもないんですけど、坂本はいいやつだなぁ……。羽矢さんでしたか? いいお兄さんをお持ちですね」


「藤森さん、お兄ちゃんのこと、好きですかぁ?」


「ええ、もちろんですよ! 坂本はほんとうにいいやつです。はっはっは!」


でてあげてくださいね。くすっ」

 意味ありげにそう言うと、羽矢斗はぺこりとお辞儀をし、背中を向けた。

「それじゃあたし、バイトがありますんで」


 雑踏のむこうに消えていく羽矢斗の背中を見送ると、藤森先輩がみちるに聞いた。

「坂本……。妹さんて、付き合ってるやつ、いるのか?」


 みちるは正直に答えた。

「いえ。バイトが忙しくてそんな暇がないって、いつも嘆いてますよ」


「俺が立候補してもいいかな」


「えっ?」


「坂本! 頼む!」

 藤森は先輩はみちるの両肩を掴むと、力強い目で訴えた。

「羽矢さんとの間を取り持ってくれないか?」


「ええっ!?」


「一目惚れだ……。まさか、こんなことがあるなんて……」

 先輩の凛々しい目が恋に狂っていた。

「頼むよ、坂本! どうにか俺と彼女が急接近できるような場面をセッティングしてくれないか!?」


 とてもいえなかった。


 羽矢斗がほんとうは自分の『兄』であり──


 その恋愛対象はふつうに『女の子』だなんてことは……。



♂ ♀ ♂ ♀



 その頃、竜毅はカフェにいた。

 慣れないお洒落なカフェでお尻をもじもじさせている。

 テーブルのむかいには、歩道橋から身を乗り出していたあの若い女性が座っていた。奢るといわれて何度も断ったのだが、強引なまでの勢いで近くのカフェに連れ込まれたのだった。


 仕方なくコーヒーを注文すると、むかいの女性が聞いてきた。

「ところでご自分のこと、面白い呼び方をされるんですね。『アタレ』って、どういう意味なんですか?」


 竜毅はシャキンと胸を張ると、答えた。

「アタレはね、女でも男でもない『おんこ』なんです。ゆえに、自分のことをいう時も、『あたし』と『おれ』の間を取って『アタレ』と呼んでおります」


「女でも男でも……ない?」


「ええ」


「それってつまり……おかま……ってことですか?」


「そうともいいますね」


 女性は混乱した。

 目の前の、どう見ても男の、というか男の中の男にしか見えない男性が、どうして自分のことをおかまだなどというのか。


 とりあえず聞いてみた。

「じゃ、恋愛の対象は、男性なんですか?」


 竜毅は首を横に振った。

「いいえ」


「じゃ、おかまだけど、女性が?」


 竜毅はまた首を横に振った。

「いいえ。アタレの恋愛対象は『おとな』です」


「大人……?」


「アタレはおんなとおとこの中間の『おんこ』ですから、恋愛対象はおとことおんなの中間──つまりは『おとな』になるんです」


「はぁ……」

 女性はさらに混乱した。

「そういうひとが……いらっしゃるんですか?」


「いまだ出会ったことがありません」

 竜毅が真面目な顔になり、言った。

「だが、どこかにきっといる! アタレはその運命の出会いを信じているのです」


 女性は困ったようにクリームソーダを一口吸い込むと、思い切ったように言った。

「……私、いいなって思ったんです、あなたのことを。それでこんな……。ご、ごめんなさいね? 逆ナンみたいなことしちゃって」


「お気持ちは嬉しいです」

 竜毅が笑った。その凛々しさを見て、女性はちょっと失神しそうになった。

「ですが私は先ほど申しました通り、おかまですので──」


 会話が途切れた。


 もう用は済んだのかな、と思い、竜毅は切り出した。


「では、ごちそうさまでした。アタレは現在、職探しの真っ最中ですので、これにて失礼させていただきます」


「職を? 探してらっしゃるんですか?」


「ええ……」


 うなずくだけでいいはずだった。ぺこりとお辞儀をして、席を立てばいいはずだ。しかし藁をもすがる気持ちが湧き起り、竜毅は女性に打ち明けた。


「しかし、どこをあたっても断られ続けております。性別を正直に言っただけで精神を疑われ、『縁がなかったということで』の一言で追い返される……。一体、人間は男か女かのどちらかでなければならんのでしょうか? 性別を男だなどと偽るような、そんな不義なことはアタレにはできない。だから……」


「ちょうどよかったです!」


 女性がいきなりそんな大声を発したので、竜毅は思わず後ろへひっくり返りかけた。


「な……、何がちょうどよかったんです?」


 嬉しそうな笑顔を浮かべている女性に聞くと、思わぬ話が舞い込んでくることになった。


「うちの正社員になってくれるひとを探していたんです! あなたなら、真面目そうだし、健康そうだし、顔もかっこいいし、面接なしで雇い入れさせていただきますよ?」


「なんと!?」

 竜毅は身を乗り出し、聞いた。

「して、職種は? 倉庫内作業でも土木作業でも何でもやれますが……?」


 女性はにっこり笑うと、答えた。

「ペットショップです」


「ペット……!」

 竜毅の表情が、とろんととろける中トロのようにとろけた。

「それは素晴らしい……! かわいい動物たちに囲まれて仕事ができるなんて……」


「やってくれます?」


「それは是非! ……して、あなたが社長さんなんで?」


「社長っていうか、店長ですね」

 女性は名刺を取り出すと、渡してきた。

花輪はなわ都貴子ときこと申します」


「アタレは坂本竜毅」

 

「わっ、男らしい、いい名前!」


「おんこですよ」


「じゃ、おんこらしい、いい名前!」


「おんこ坂本竜毅、働かせていただくとなれば、誠心誠意尽くさせていただく所存です。二人の弟のためにも頑張ります」


「弟さんがいらっしゃるんですね」


「正確には『弟』ではなく、『いとうと』なんですがね」


「いとうと?」


「ええ。『弟』と『妹』の中間の」


「ま、まぁいいわ!」

 都貴子は思考を投げ出すように笑った。

「これからお店に来て? 早速仕事を覚えてもらいます」


 竜毅は長いトンネルを出て、ようやく外の光を浴びたように、あかるい笑顔を浮かべた。

 前の土木作業員をクビになってから長かった。ようやくこれで定職に就ける。


 おんこの道は虚しい。

 恋する相手もできなければ、社会からは『なんかへんなもの』として切り捨てられる。


 それでも生きていかねばならんのだ。


 二人の弟を支えてやるためにも、生きていかねばならぬのだ!




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