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辛いよ! 人事さん  作者: 伊都川ハヤト
5/13

スーパーマンと人事さん

 

 どんな職場にもスーパーマンみたいな人達がいて、

 彼らが毎日頑張ってくれているから、自分の日常があるんだよな……なんて。

 思うだけじゃなくて、いつかは自分もそうなりたい。

 



「最近の若い世代はさ、権利を主張してばっかりだよ」


 郵便局からの帰り。乗り合わせたエレベーターの中。

 僕(田中正直です)は、人の壁の向こうから聞こえてきた言葉に驚き、息が止まったような錯覚を覚えた。昔の会社の上司に、声が似ている。勿論、こんなところに居るはずはないのだけれど。


「有給、有給って。仕事も覚えてない癖に。大体、あいつ、未達でも定時に帰るんだから」


 顔の見えないその主は、周囲の人々などお構いなしに不満をぶちまけている。話している内容から察するに、営業の方だろうか。



 仕事を覚えないうちから、有給なんて取れると思うな――!



 僕は昔の上司の怒鳴る姿を思い出して、掌に嫌な汗をかく。


 今は、年に五日の有給消化義務がある。だけど、以前はそういった決まりが無かったから、有給消化が悪い事のように思われている時代もあったらしい。


 今でこそ意識が変わって来たけれど、企業によってはまだそういった考えが根強く残っているところもあるんじゃないだろうか。


「注意してもらえるのも、失敗出来るのも、今だけなんだからさあ。あれじゃ、無駄に苦労……」


 目的の階の三つ下でドアが開いて、乗り合わせていた人の半分程が降りていく。先程の声は段々と遠くなり、エレベーターのドアが閉まるのと同時に聞こえなくなった。


 最後の言葉は聞こえなかったけれど、多分、彼も部下の事が嫌いな訳ではないのだ。自分が若い頃のことを思うと、どうしても言葉が多くなる。気を付けていても、言葉は段々強くなる。


 だけど、言われる側にだって主張はあるから、どうやってもぶつかり合うことは否めない。伝え合う方法は幾らでもあるのだろうけれど、家族でも友人でもない関係だからこその難しさが、職場の人間関係にはあるのだと思う。


「戻りました」


 自分のデスクに戻って、僕は仕事中の赤井先輩に声を掛けた。

 出社が被ることの多い桃山さんと緑川さんは、法事とお子さんの体調不良でお休みを取っている。

 

「ごめんな。混んでた?」


「いえ。それほど……というか、すっごい手際の良い人がいるんですよ」


「あ~。分かるかも。角刈りの?」


「あ! そうです。多分、同じ人です。あの人が窓口に居ると、早いんですよね」


 僕は郵便局の窓口で貰った特定記録の控えを保管用のファイルに挟んで、それを元の棚に戻す。


 同じビルの二階に入っている郵便局は、いつも混み合っている。大体の場合は、受付表を取ってから十五分(一番混んでいる時は三十分くらい)は待つことになるのだが、ある人物が受付に居る時はサクサクと列が進むのだ。

 

 僕と赤井先輩が思い浮かべたその人物は、角刈りのような髪型で、縁の薄い細めの眼鏡を掛けた男性だ。歳は四十代後半から五十代前半くらいで、眉間に深い皴の刻まれた、一見すると気難しそうな見た目をしている。


 しかし彼は、口を開けば柔らかい口調で、郵便物を取り扱う手つきも丁寧で、それでいて全てが早くて正確。まるでスーパーマンだ。


「あの人、偉い人なのかな? それっぽいですよね?」


 僕がなんとなく感じたことを言うと、赤井先輩も頷いた。


「年齢的にも、役付きじゃねえの。あれだけ爆速で処理出来るって凄いよな。……でも、管理職に窓口立たせるか? 知らんけども」


 赤井先輩は、自分があの郵便局の局員だったら、色んな意味で緊張すると言った。


 僕も黒岩さん(僕の上司です)が積極的に前に立って仕事をする様子を想像すると、複雑な気持ちになる。「やらせてしまった」とか、「申し訳ない」といった気持ちが先行して、どうにもこうにも落ち着かないのだ。


 こういう時、上司の側は、気にも留めていないことが多いようだけれど。


 僕はふと、刺さるような視線を感じて顔を上げた。気のせいかもしれないけれど、総務の霞ヶ浦さんがこちらを見ていたような気がする。


「僕……もしかして、まだ疑われてますかね……?」


 僕が小声でそう尋ねると、赤井先輩は総務部の方を一瞥し、それから「さあね」と首を竦めた。プロジェクターが壊れていた件で、僕は少し前に霞ヶ浦さんから事情を聞かれている。あの時、疑いは晴れたように思ったのだけれど……。


 先輩によれば、僕が郵便局にお使いに出ている間、霞ヶ浦さんは経理部の男性と給湯室で揉めていたらしい。


「冷蔵庫で、なんか腐らせたんだと」


「それは、普通に怒られるやつですよ。僕だって怒ります。でも、よく名乗り出ましたね、犯人」


「常習犯らしいぜ」


 赤井先輩は、心の底からどうでも良いと言いたげな顔をしている。彼は、会社の冷蔵庫事情にはまるで感心がない。会社の冷蔵庫を使う機会がないからだ。


 僕はというと、正直、霞ヶ浦さんには感謝している。冷蔵庫はいつもキチンと整理整頓されているし、掃除が行き届いてピカピカだ。


 僕は毎日、会社の冷蔵庫にお弁当を入れさせてもらっているのだけれど、掃除や管理を総務の人がしてくれていることは知らなかった。(いつも、いつの間にかピカピカになっているんだよね)


 皆のためになることを、いつもさり気なくしている人達。彼らには、感謝しかない。


 僕は集計した勤怠データのエラーを確認しながら、そのあまりの多さに、色んな人の顔を思い浮かべながら現実逃避する。

 

 普段利用する駅やスーパー。コンビニや郵便局。会社の中でも、業者のお兄さんが自販機の補充をしてくれて、総務さんが共有スペースの管理をしてくれている。考えてみれば、色々な場所で色々な人に支えられながら、僕は一日を過ごしている訳だ。 


「スーパーマンっていいですよね……」


 エラー報告だらけのパソコンの画面からは目を背けて、僕は取り留めもないことを口にした。


 赤井先輩は僕の呟きを拾って、口の端で笑っている。先輩は、僕の心が折れそうになっている理由を察して、同情してくれているようにも見えた。


「俺は、ウルトラマンの方」


 先輩はキーボードをカタカタと鳴らしながら、「ティガが一番好きだ」と言った。


「あれ? 先輩って、ティガ世代じゃないですよね?」


「俺、海外に居たから。世代とか分かんねーけど。こっちきて、初めて観たのがティガ」


 赤井先輩は初めて特撮を観た時の思い出を語りながら、目を輝かせている。彼によれば、ウルトラマンティガこそがストーリーもデザインも一番カッコいいというのだ。

 

 僕は、デザインという点においての素晴らしさは認めつつ、その他については議論の余地があると返した。


「①強さ、②ストーリー、③デザイン、④総合に分けて考えましょうよ。取り合えず、デザインについては、ティガが一番で認めます。……個人的には、ゼロが一番なんですけど」


 僕の提案を聞くなり、赤井先輩は「めんどくせぇ」といって笑い出す。仕事に関係ない話題なのに、先輩に怒っている様子はなかった。


 赤井先輩はいつも、僕の下らない話を適当に聞き流してくれる。ウジウジしがちな僕には、それがとてもありがたい。時々、なんの興味もなさそうにしていても、実は覚えてくれていたりもして。先輩は、ちょっと優しい人だったりするのだ。

 

 僕はパソコンのモニターに表示されたエラー報告をざっと目で攫いながら、見覚えのある社員の名前ばかりだと気付く。毎月、大体同じようなエラーが、同じような人物から上がってくる。溜息なしでは見られない。


 自分が変えられるのは、自分の事だけ。そんなことは分かっている。何度言っても伝わらないことは、方法を変えながら何度でも地道に対応していくしかない。そういうものだ。


 ……勿論、分かってはいるけれど……。


 自分が同じことばかりしているような気持ちになる時、僕は大抵、下を向いている。少し目線を変えるだけで、ここがどん詰まりではなくて、横には抜け道があることにだって気付くことが出来るはずだ。


 でも下を向いている時は、自分がそうであることにも気付かないし、目線の上げ方すら分からなくなっていたりもする。人が変わるのは些細な切っ掛けで充分だけれど、その些細な切っ掛けを見つけられるかどうかは、運だったりもするんだよな……。


「よくヒーローが、『自分の存在意義が問われるということは、それだけ平和ということだ』……みたいなセリフ、言うじゃないですか」


 僕は、そういうカッコいい気持ちで仕事がしたいと思って、それを口にした。


 赤井先輩は「知らねえ」と言ったけれど、僕も譲らない。ニュアンスは違っても、同じような言い回しはある筈だ。例え海外生活が長かろうと、向こうにだって沢山のヒーローはいる訳で、一人くらいは似たようなことを言っていても可笑しくはないだろう。


 先輩は呑もうとしていた炭酸水を溢して、笑いながらティッシュでシャツの腹の辺りを拭いている。


「本家のスーパーマンとか、言いそうじゃないですか? アイアンマンとか、ああいう」


「『本家』……ってのは、作品によっちゃ物議を醸すな。あと、DCとマーベルは違う」

 

 赤井先輩は、海外のヒーロー事情は複雑なのだと溢した。色々と、大人の事情があるようだ。


 さらに、先輩が説明しているスーパーマンの話を聞きながら、僕は自分の知っているそれとは違うように思った。バットマンとは敵対していたような気がするのだけれど、映画と原作は違うのだろうか。


「ま、なんでもいいけど、程ほどにやろうぜ」


 先輩はまとめのような言葉を言って、社用のスマートフォンで通知内容を確認している。彼が言うには、気付かない間に事業部から電話があったらしい。


 僕もいい加減に真面目にやろうと思い直して、勤怠がエラーになってしまっている社員に向けてメールを打ち始めた。登録内容が間違っているようなので、確認して修正して欲しいと伝えるためだ。


 憂鬱なメールを打ちながら、僕はふと、ある疑問を口にした。


「そういえば……結局、どっちが強いんですか? スーパーマンとバットマン」


「……は?」


 ピリッとした空気に気付いて僕が視線を向けると、赤井先輩が僕を睨んでいる。


 しまった。

 地雷だったか――。



 会社には色んな人がいて、僕は色んな人に助けられながら仕事をしている。

 若いとか老いているとか、男だとか女だとか、そんな対立が煩わしく思うことも多いけれど、違いがあるからこそ上手くいっている部分もあるんだよな。


 だから、どっちがいいのかなんて、安易に口に出しちゃいけない。

 先輩がスーパーマンの強さを熱弁するのを聞かされながら、僕は猛省するのだった。

 


おわり 

ジードが好き

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