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辛いよ! 人事さん  作者: 伊都川ハヤト
3/13

コーヒーブレイクと人事さん

 オフィスでの息抜き。大事ですよね。

 お茶を飲んだり、軽いストレッチをしたり、外の景色を眺めたり。

 そんな一時が、仕事にメリハリを与えてくれるように思います。




「……でね、前の勤め先ね、昼休憩は外出不可だったの。どうしてもの時は、行き先と用事を上司に言ってね、それから貴重品だけ持って出るのよ。透明なビニールバッグで」


「そうだったんですね」


「昔、バイトさんがね、昼休憩中に外で交通事故にあったらしいのよ。それで、そういうルールになったみたいなんだけどね。……でも、ねえ? 分かるでしょう?」


「それは……。あ~……」


 自販機の前でコーヒーが抽出されるのを待ちながら、僕(田中正直といいます)はハルコさんの言葉に頷いて応える。


 ハルコさんは、お昼休みに会社までお弁当を販売しに来てくれる人だ。彼女の担当している中華弁当は、月、水、金の担当。他の曜日はカレーやオムライスなどの洋食や、おにぎり屋さんがやってくる。

 

 僕が息抜きに買うコーヒーの自販機は、一杯毎にミル挽きのような旨さがウリ。缶コーヒーやコンビニコーヒーより少し高いけれど、香りも味も僕の好みに合っている。


 普段はお弁当を持参して節約しているけれど、週の真ん中、水曜日の昼だけは、このコーヒーを呑みながら窓の外を眺めるのが僕のリフレッシュ方法だ。


 そんなコーヒーの自販機は、お弁当を販売しているコーナーの直ぐ後ろにある。

 僕は会社でお弁当を買ったことがないのだけれど、毎週同じ曜日に同じ自販機でコーヒーを買っているからか、ハルコさんに顔を覚えてもらったようなのだ。


 ハルコさんはお弁当の販売が終わった後、コーヒーを買いにやって来た僕を見つけては、他愛ない話を振ってくれる。


「だからね、会社の人事さんも大変だと思うけども。それでもね、働く人は、み~んな大変なのよって。そういうお話。ね?」


「はい」


 僕が返事すると、ハルコさんはニコッと笑った。それから彼女はお弁当の入っていた銀色の保冷バッグを両肩に担いで、笑顔を振りまきながら去っていく。


 コーヒーを手に自分のデスクへ戻ると、桃山さんがデスクに突っ伏していた。


「……ねえ、田中君。黒岩さんって……」


「すみません。見てないです……」


 突っ伏したままの桃山さんは、「そうよね」と呟いて、それから大きな溜息を漏らした。彼女のパソコンのモニターには、何かのエクセルファイルが開かれている。そこには「……は編集のためロックされています。」という無情なメッセージが表示されていた。


 黒岩マネジャー(僕らの上司だ)は、エクセルの共有ファイルを開きっぱなしで離席してしまう常習犯だ。本人には自覚も悪気も全くないので、余計に質が悪いのだけれど。


「チャット、送ってみましょうか?」


 僕が提案すると、桃山さんは既に二回送っていると悲し気に答えた。


 僕は他に提案できることもなく、気まずい思いでコーヒーを啜る。外の景色を見たいのだけれど、この状況で窓際のスペースへ行って優雅なコーヒータイムを過ごすのは、何処か少し気が引けるのだ。


 こんな時こそ先輩に帰ってきて欲しいと思いながら辺りを見回していると、僕は総務の霞ヶ浦さんと目があった。正確には、目が合ったような気がした。


 総務の島は、人事の島から大分離れている。同じフロアの中に居ても、用があるときはメールか電話で済ませる程だ。

 そんな総務の人が、何故僕らを見ていたのだろう……?


 余談だけれど、霞ヶ浦さんは無駄な残業も欠勤もなく、キチンとした人という印象だ。それから、いつもお洒落な恰好をしている。


「黒岩さん待ちっすか?」


 赤井先輩が、昼休憩から帰ってきた。先輩はサッカーボールを手に、首からタオルをかけている。


「居た?」


「いや、見てないっすね。午後から会議がどうとか……」


 赤井先輩は汗を拭いながら、パソコンを立ち上げてスケジュールを確認している。

 

 桃山さんもスケジュールは確認したそうだが、黒岩マネジャーのスケジュールはロックされていて、詳細まで確認できないようになっていたという。


 程無くして、赤井先輩が黒岩マネジャーの居場所と予定を突き止めた。マネジャーのスケジュールからは確認できなかったが、他の人物のスケジュールから、会議の同席メンバーに黒岩さんが居ることが分かったのだ。


「経理の利根マネ、同席者名を備考欄にメモしてる」

 

 赤井先輩のパソコンに表示されている経理部マネジャーのスケジュールを見て、僕と桃山さんは思わず声を上げた。几帳面な人だとは知っていたけれど、これほどまでとは。


「黒岩さん、あのマーク誤解してるっぽいんすよ……」

 

 赤井先輩は、黒岩マネジャーのスケジュールに付けられた鍵(南京錠)のマークを指している。


 僕と桃山さんは、赤井先輩に説明を求めた。


「……こないだ、『お仕事の予定はカバンマーク♪』……って言って」


 それだけ言うと、赤井先輩は僕らから目を逸らした。


「……え? 会社のスケジュールだよ? お仕事じゃない予定……?」


 桃山さんが、悲しそうな顔をしている。


 僕は先輩達の悲しげな顔よりも、南京錠のマークがカバンに見える事にただ驚いていた。カバンだと思って見れば、そう見えなくもない。でも、だとしたら、解除された南京錠マークは、取っ手が取れかかったカバンにみえているのだろうか……?


 僕はふと、黒岩マネジャーが、過去にも妙な勘違いをしていたことを思い出す。


 黒岩マネジャーは女性社員に「ねえ、パイパイってなに?」と尋ねて、辺りの空気を凍り付かせたことがある。マネジャーが知りたかったのはスマートフォンの決済サービスの一つである「ペ○ペ○」のことで、彼は単に読み方を間違えていたのだ。あの時の空気といったら……。


 

 不意に、赤井先輩が疲れた顔でスマートフォンを手に立ち上がる。飲み物を買いに行くから、付き合えという。


 こういう時は決まってデスクでは話せない内容と決まっているので、僕は呑みかけのコーヒーを手に先輩の後を追った。


「さっき、総務さんがこっち気にしてました。霞ヶ浦さん」


 僕は黒岩マネジャーのカバンマークから話題を逸らしたい気持ちで、先程の出来事を赤井先輩に話した。


 赤井先輩は、あからさまに不機嫌になって舌打ちする。


「会社でア○ゾン受け取ってんの、バレてる臭いんだよな」


「でも、文房具とか書籍とかだったら、結構いますよね?」


「プロテインバー」


 それは、微妙なラインだ。


「俺さ、目を付けられてんだよ」


 先輩はスマートフォンをかざして、自販機でペットボトルの水を買っている。

 僕が「一体、どんな悪行をやらかしたのか」と尋ねると、先輩は遠い目をした。


「サッカーボールは、袋に入れて隠して持ち歩け……とか。砂が落ちるとか、社会人として他の会社の目を気にしろとか、人事は見本であるべき……とか」


「全部、正論じゃないですか」


 赤井先輩は、週に二回は、昼休みにボールを持って何処かへ消えていく。休憩が全く取れないような忙しい時期は、デスクの下に隠したボールを切なげな顔で眺めている。


「息抜きが必要なのは、僕も同意ですけど」


「俺にとっちゃ、人生なんだよなあ」


 先輩はなにか思い出すように、珍しく頬を緩ませた。


 それから直ぐに、先輩は普段通りの厳しい顔つきになる。彼は、僕を連れ出した目的を思い出したようだった。


「採用チームから、相談きてんだわ。新卒の親から、連日、電話来てるらしい」


「またですか……?」


 稀に、社員のご家族から連絡を貰うことがある。殆どが単なる取次や問い合わせだけれど、中には会社の人事や制度に関するクレームもあったりする。


「ついこの間、『娘は企画がやりたいのに、営業部に配属されたせいで鬱になった』……みたいな話ありましたよね? あれとは、別ですか?」


「別。今回のは、海外勤務希望者が国内配属になって……」


 赤井先輩は時々苦い顔をして、採用チームからの相談内容を僕に伝えている。その内容は、僕の常識の枠を壊そうとするような、理解が難しいものだ。


 僕は、先輩の声が段々と遠くなるのを覚えた。

 掌には、空っぽになった紙コップがある。


 僕は、もう一杯コーヒーを買って、今度こそ味わって呑もうと決意した。

 息抜きは、大切だ。




おわり

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