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辛いよ! 人事さん  作者: 伊都川ハヤト


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13/13

辛いよ! 人事さん(後)

 *



「――田中さん。良かったら、野球で例えて貰えない……?」


 居酒屋のカウンター席。

 並んで座った僕らは、汗をかくジョッキを片手に大判つくねを頬張っている。まだ週の半ばだというのに、店内は満席だ。週末は、入れないこともあるという。


 霞ヶ浦さんは、いつもと同じように冷静だ。

 どちらかというと、僕の方が緊張して声が上ずっている。


「……そうですね。野球には詳しくないのですが……多分、『九回裏ツーアウト』だと思います……」


 僕は、「難しい状況です。(訳:もう本当に無理なやつです)」という意味で、霞ヶ浦さんにそう告げた。


 総務の霞ヶ浦さんは、赤井先輩のことが好きらしい。でもその赤井先輩には彼女が居て、話を聞く限りでは交際も順調な様子。同じ部署の緑川さんと桃山さんが言うには、「ありゃあ、近々結婚するだろうね~」ということだった。


「それってつまり……『勝負はこれから!』ということね……?」


「……え?」


 霞ヶ浦さんはジョッキをグイッと傾けてホッピーを飲み干すと、キリリとした目元で空を見つめている。もしかして、野球の神様的な何かが、見えているのかな?


「あの、どちらかというと、これは……大ピンチという……」


「田中さん」


「は、はい」


「ピンチは、チャンス」


「……はい」


 僕は野球を殆ど観ないので分からないけれど、どうやら野球好きの霞ヶ浦さんは変なスイッチが入ってしまったようだった。


 関係ないけれど、野球好きの上司って、ビジネスをやたらと野球で例えたがる気がする。「とにかく塁に出ろ」とか、「どこからでも点が取れるチームを目指せ」とか「全員野球で」と言われても、全くピンとこない。


 僕の上司である黒岩マネジャーも野球好きで、彼は昨年、「憧れるのをやめましょう」を使い続けて皆をドン引きさせた。


 ちなみに先輩方によると、これでも「野球例えする上司」は減ったらしい。昔はこれに「ガ○ダム例え」とか別の派生もあったらしいけれど、僕は出会ったことがない。


 そういえば一時期、やたらと「ワンチーム」って連呼する人もいたなあ……。


「この場合、ピンチをどうチャンスに変えるんですか?」


 僕は、会社での出来事を思い出してそう尋ねた。例の不倫カップルだ。

 真面目な霞ヶ浦さんのことだから、彼女持ちに横からどうこうしたりはないだろう。けれど、それでも返答を聞くのは怖かった。


「それは……」


 霞ヶ浦さんはメニュー表を眺めながら、真剣になにか考えている様子。


 余計な質問だったと後悔して、僕はジョッキの中身をグイグイ流し込む。


「待つわ!」


 ガツンと、ジョッキの中の氷が歯に当たって、嫌な音。


「先ずは料理を覚えたり、仕事の資格を取ったりして……」


「それって、別れるまで女子力磨いて待つ……みたいなやつですか?」


「そういうんじゃ……。別れて欲しい訳じゃない!」


 アルコールのせいか、恋愛経験の無さ故か、僕には霞ヶ浦さんのいうことがサッパリ分からない。


 それから霞ヶ浦さんは、大体次のようなことを言った。


 先ず、赤井先輩には幸せになってほしい。だから、必ずしも先輩が今の彼女と別れることを望んでいない。

 しかしだからといって、彼女持ちの男に手を出す気もない。その状態で他所に目移りする男は、絶対に浮気を繰り返すから好きにもなれない。

  

「……だけど、人生は野球と一緒。何があるか分からないでしょう? いつ何が起きてもいいように、人として魅力的になれるような……。つまり……」


 霞ヶ浦さんはジョッキを片手に、延々と話を続けている。今日の彼女は何時にも増して饒舌で、でも話の内容は取っ散らかっていて、普段とは全く違う様子だ。目つきも何処かおかしい。

 

 隣でボンヤリ話を聞きながら、僕は彼女のジョッキが少し震えていることに気付いた。


「……つまり、無茶苦茶ショック受けてるんですね」


 凝りもせず、僕はまた、余計な一言。

 

 霞ヶ浦さんはジョッキをカウンターに置いたり、少し持ち上げたりを繰り返している。完全に図星だったようで、彼女の目は右に左に忙しく動いて動揺を隠しきれていない。


 というよりも、霞ヶ浦さんは、僕の一言でようやくショックを受けている自分を認めたようだった。


「ど……どうしたらいいの……?」


 その一言を絞り出すまでに、霞ヶ浦さんは随分と時間をかけていた。本当は、別の色んな言葉が浮かんでいたのかもしれない。でも彼女は、ここが店で、自分が社会人であることを忘れていないような素振だ。


 僕は一先ず、お互いのジョッキが空になったことを確認して、店員さんにおかわりを注文する。


 カウンターの向こうの店員さんは、今日も僕に意味深な視線を送ってきた。多分、彼は、「行くなら今だ」と、そう言いたいんだろう。コイバナ好きなのか、僕らの声が大きいのか分からないけれど、来る度に応援してもらっているような気がする。


「どうしたらって言うと……」


 僕と霞ヶ浦さんは、店員さんから受け取ったホッピーとビールを同じタイミング、同じ比率で注いでいく。


「……マッチングアプリってあるじゃないですか?」


 僕の口からは、自分でも想像していなかった一言。


 店員さんたら、厳しい目。

 分かってますよ。そうじゃないことくらい。

 日寄ったんです。完全に。


「新しい出会いを探せということ? ……でも、私、ちょっと苦手」


「アプリが?」


「アプリ否定派ではないの。そういう時代だって、分かってる。……でも、アプリで出会った人って、アプリで浮気するような気がして」


 霞ヶ浦さんの言葉に、僕は首がもげるほど頷いた。


「分かります! すっごい分かります! アプリ消してって言ったら消してくれると思いますけど、そういうことじゃないんですよ」


「そう。アプリの存在ではなくて、アプリで出会った事実の方なのよ。引っかかるのは」


「そうですね。勿論、アプリで出会って結婚する人もいますから、否定はしません。むしろ、お祝いしたいです」


「そうね。沢山の中から気が合う人と巡り合えたんだから、素敵ね。運命だと思う。ただ……うちの親、ちょっと頭が固いところがあるから……」


 僕が「出会い系サイト」という言葉を口にすると、霞ヶ浦さんは何度も頷いた。

 

 一昔前に流行ったという出会い系サイトのせいで、マッチングアプリの印象が悪い気がする。勿論、悪い使い方をしている人ばかりではないだろうけれど。


「アプリがダメなら……合コンとか?」


「合コンね。聞いたことはある」


「僕もです。大学の先輩が合コンで出会った人と結婚したので、実在している事だけは確かです」


 僕らはどちらも合コンなるものに参加したことが無かったので、それに関する話は特に広がらずに終わった。分かったのは、僕らの周りには合コンを開催するような友人は居ないということだけ。


 それから僕らの話題は、理想的な出会いとはなにかということになった。


「――取り合えず、理想的な順番は、クラスメイト>同僚>紹介……の順でいいですか?」


「そうね。学生時代の恋人とそのまま結婚するパターンは、他の何にも勝るわ。紹介は、上手く行かなかった時のリスクが重すぎるし」


「それですね。下手したら、紹介してくれた人まで縁が切れそうで嫌だ。……あ、幼馴染パターンを忘れてました」


「幼馴染は、一見するとクラスメイトより強いけれど……。でも、恋愛感情が一切ない異性の友人って、素敵じゃない?」


「大人になると、エモさが増すやつですね~」


 そもそも男女の友情が成り立つかどうかという野暮な疑問を、僕は必死に呑みこんだ。


 聞き流したけれど、「幼馴染は、一見するとクラスメイトより強い」ってなんだか不思議なことを言っている気もする。

 

 話をするうちに、僕らには学生時代の恋人も居ないし、紹介で恋愛するのは向いていない性格だということが分かった。


「……となると、後は……」


 同僚。その一言が、出てこない。

 

 カウンターの向こうでは店員さんが、「いったれ!」みたいな顔でこっちを見ている。

 仕事してください。


「後は……あの……」


 僕はジョッキを持ち上げて、中身を一気に飲み干した。


「ジ○リ映画だと、誰が一番好きですか?」


 どんな人が好みですかと、僕にはそんな単純な質問さえ出来ない。

 カウンターの向こうでは、店員さんが僕を睨んでいる。

 さっき、舌打ちしませんでした? 聞き間違いかな?


 霞ヶ浦さんは酔っているのか、優しいだけか、大して気にしていない様子で僕の下らない質問に答えてくれた。


「そうね。森の人が好き」


「森の人……」


 それは確か、ナ○シカの原作に出てくる人物だ。映画には出てこない。


 霞ヶ浦さんはランキング形式で三位まで好みのキャラクターを教えてくれたけれど、それは英雄的なおじさまだったり、平民出の野心家の軍人だったりして、好みのタイプは一貫していないようだった。


 分かったのは、ナ○シカが好きなんだなということくらい。試しに僕がハ○ルやア○タカの名前を出しても、霞ヶ浦さんの反応は薄かった。


「そういえば、三鷹の美術館行ったことあります? 僕、まだなくて」


「私も。一度、行ってみたいと思っているの。湯○婆の指輪が売っているらしくて、妹と面白いねって話をしていて」


「あ~。それって、パークの方じゃないですか? 愛知の」


「そうかも! でも、行くなら先ずは近い方からね」


「そうなんですね。じゃあ……」


 僕と一緒に行きませんか?


 その一言が、出てこない。


 カウンターの向こうでは、店員さんが僕を睨んでいる。

 店員さんどころか、僕の隣に座っているオジサンも、こちらに厳しめの視線を注いでいる。怖くて、さっきから左側が全然見られないレベル。


 僕だって、分かっている。でも、この状況でデートに誘っていいのだろうか? 失恋したばかりの人をデートに誘うって、ちょっと狡い気がしてしまう。


 ……分かってますよ。こんな性格だから、彼女がいないんです。


「そういえば、田中さんてプロレスがお好きなんでしょ?」


「そうです。僕、マスク買ったんですよ。古いやつですけど。見ます?」


 気を遣って振ってくれたであろう話題に全力で乗っかって、僕は霞ヶ浦さんに写真を何枚か見て貰った。エルオリエンタル。カッコいい。


「こういうの、買えるものなのね」


「水道橋にお店があるんです。ネットでも。あと、自分で作ったり。僕、レギンスとか縫えますよ」


 絶対に興味ないだろうなと思いつつ、黙っていると気まずいのもあって、僕は聞かれてもいないことをペラペラと語った。それはプロレスを好きになった切っ掛けだったり、自分でも挑戦してみたけれど挫折したことだったり。


 そんな調子で、僕らは平日の夜らしからぬスピードで呑み進めて、最後の方は本当によく分からない話をしていた。

 

 霞ヶ浦さんは野球の話をして、僕はプロレス技の説明(例えば、ウラカンラナとフランケンシュタイナーの違いとか)をしたり。かと思えば、映画の話になったり、音楽の話になったり。


 僕が「初めて観たスター・ウォーズはエピソード6だった」と言ったら、それには霞ヶ浦さんだけでなく隣の席のオジサンまで笑っていた。


 シリーズ物の映画って、皆が皆、律儀に一から順に観る訳じゃない。僕がいい例だ。僕はハ○ー・ポッターだって、六作目の『ハ○ー・ポッターと謎のプリンス』から観た男なんだから。



 *



「――遅くまで、ごめんなさい。ありがとう」

 

 店の前。赤い顔をして、霞ヶ浦さんが笑っている。

 楽しい時間はあっという間に過ぎて、店を出た途端に魔法は解けてしまった。


 霞ヶ浦さんは失恋したのだから、僕はもう、彼女に協力するという建前では一緒に呑みに行けなくなってしまった訳だ。それを改めて意識すると、物悲しさで酔いもすっかり冷めてしまった。


 また会社で――そう言って、霞ヶ浦さんは帰っていく。

 僕も同じ言葉を返して、隣駅にある自分の家にフラフラと歩いて向かう。


 明日は、また仕事だ。

 家に帰ってシャワーを浴びたら、明日のシャツとネクタイを用意して眠る。

 

 仕事は山積みだし、片付けた傍から新しい仕事が飛び込んでくるから、一向に片付く気配がない。さらにこの後は、社会保険や労働保険の季節ものの業務がある上に、賞与計算なんかもあったりして、残業は避けられない。


 週に二、三日は在宅勤務だとはいえ、時期によってはほぼ出社だし、イレギュラーがあれば直ぐに駆け付けたりもする。


 現場からは陰口言われて、上層部からは何とかしろと丸投げ。そんな実態を思うと、雑誌やネットの記事で見るような「キラキラ人事さん」なんて、ファンタジーにしか思えない。


 気苦労は絶えないのに、給与は営業時代の方が良かったんだよなあ……なんて考え始めてしまうと、もう泥沼だ。


 でも、それでも明日も頑張ろうと思えるのは、やっぱりこの仕事が好きだから。


(……好きなんだな)


 霞ヶ浦さんの笑顔を思い出すと、僕の足は止まっていた。

 

 大人になった僕は、直ぐに理由や意味を考えてしまう。けれど、そんなものが無くても気持ちが動くことはある。


 それでも、流石に振り返って走って追いかける勇気はなかったので、僕はスマートフォンから霞ヶ浦さんにチャットを送った。それは味気なくて、気の利かない言い回しだったかもしれない。でもそれは、僕なりに一歩踏み出した結果だ。


 返事が貰えるかは、分からない。

 それが良い返事かなんて、もっとそうだ。

 それでも、ちょっと良いことあるといいなと思いながら、のんびり待ってみようと思った。


 ああ。明日も頑張ろう。



 おわり

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