帝の正室
香華殿に入り、露草さんに挨拶しようと顔を向けた瞬間、私は声もなく固まった。
露草さんは、私が使わせてもらっているようなすのこベッド(そこに敷き布団代わりのゴザ? を何枚も引いて、厚手の着物を掛けて眠るのが、この国の貴族の寝具みたい)に横たわっていたんだけど。
ひと目で病人だとわかるほど顔色は青白く、目の下のクマは濃く、唇は血色悪く乾燥していた。
ここまでハッキリ察せられてしまうほど容態が悪いとは、まったく思っていなかった私は、ショックでしばらく声が出せなかった。
「リナ、リア……姫……殿下。このような……場所に……お呼び、立てして……しまい……まして、誠に……申し訳、ございませ……ん」
苦しげに――でも顔には笑みを浮かべながら、露草さんが私の方へ顔を向けた。
私はハッと我に返り、慌てて露草さんの枕元に近寄る。
「い、いえ! 私こそ、ご挨拶が遅くなりまして申し訳ございませんでした!」
その場に正座し、深々と頭を下げる。
露草さんは優しい声で顔を上げるように言ってくれて、私は恐る恐る従った。
私より少し下の方に、露草さんの顔がある。
彼女はじっと私を見て、『わたくしのような者に……もったいのう、ございますわ』と、はかなげに微笑んだ。
正直に言えば、人をハッとさせるほどの華やかさや、惹きつけて離さないような美しさは、露草さんからは感じられない。
その代わり、どこか人をホッとさせるような柔らかさと、内面からにじみ出るような温かさをまとった、感じの良い人だった。
……だからこそ。
彼女の青白い顔や、血管が浮き出て見えるほど細い手や、クッキリしすぎた鎖骨が――。
泣きたくなるほど、痛々しく感じられた。
「リナリア……姫、殿下……。どうか、そのようなお顔を……なさらない……で……? わたくしは……気の毒などでは、ございません、のよ……?」
微笑みながら告げられた言葉に、ヒヤリとした。
表情を読まれずに済むように、慌ててうつむく。
……私、今……どんな顔をしていたんだろう?
露草さんを憐れむような……そんな失礼な表情を、してしまっていたんだろうか?
だとしたら……。
無意識とは言え――ううん。無意識だからこそ。
私は……。私はなんてひどいことを……!
恥ずかしくて、すぐには顔が上げられなかった。
涙が滲んできてしまい、小さな声で『ごめんなさい』と伝えるのが精一杯だった。
「……いいえ。わたくしの方こそ、失礼なことを……申しました。……ですが、リナリア……姫殿下……。あなた様は、お優しい……方ですわね」
そう言って、露草さんはフフっと笑った。
私は下を向いたまま大きく首を振り、彼女の言葉を否定する。
……優しくなんかない。
優しい人は、きっと憐れんだりなんかしない。
ううん。
私だって、そんなつもりはなかったけど……。
でも、露草さんが私の顔を見てそう感じたなら。
……たぶん、憐れむような顔をしてしまっていたんだろう。
そのことで、きっと私は露草さんを傷付けた。
傷付けてしまった……。
ただただ恥ずかしくて、自分が情けなくて。
いつまでも顔を上げられないでいる私に、優しく語り掛けるように、露草さんはポツリポツリと語り出した。
私の反応を見て、やはり帝に似ているなと思ったこと。
帝も初めて対面した時、とてもショックを受けたような顔で黙り込み、しばらくの間うつむいてしまっていたこと。
次に顔を上げた時、涙を幾つも幾つも流しては、『すまない』『申し訳ないことをした』と、繰り返し繰り返し口にしていたこと――……。
「ウフフ。……本当。よく似ていらっしゃいます。……お優しいところは、帝そっくり……」
少しくすぐったそうに露草さんが笑った後、数分ほど沈黙が横たわった。
さすがにしびれを切らした私は、ゆっくりと顔を上げ、彼女の顔を盗み見る。
露草さんは、眠ってしまったかのように目を閉じていた。
(疲れちゃったのかな? あまり長居すると、お体に触るだろうし……。もう、戻った方がいいのかも……)
そんなことを考え始めた瞬間。
露草さんは再び目を開き、私の方へ視線を投げた。
「お話の、途中で……失礼、いたしました。……普段は、あまり……お話することが、ない……もので……。ほんの少し……の、間でも……疲れて、しまって……」
「あ、いえ……! どうか、ご無理をなさらないでください。お疲れなのでしたら、今日はもうこれで――」
「いいえ!」
『これで失礼します』と言おうとしたとたん。
その言葉を聞きたくないとでも言うかのように、露草さんが鋭い声を上げた。
予想外の大きな声に驚き、私は思わず目を見張る。
「お願い、です……。もう少し、だけ……お話を……させてくださ……い」
訴え掛けてくる切なげな声に、ドキドキしながらも。
ここで断るほど無情にはなれないと、私はコクリとうなずいた。