頼み事とおびえた少女
朝食を終え、萌黄ちゃんが御膳を片付けに行ってしまうと、一気に暇になった。
……だって、この部屋なーんにもないんだもの。
板の間に、一畳ほどの畳が置いてあるだけ。
そこに座って、ただボーッとしているしかないなんて、あまりにも退屈すぎる!
私はヨイショと立ち上がり、障子を開けて、廊下で門番みたいに立っている雪緋さんに話し掛けた。
「ねえ、雪緋さん。先生とイサークが、どの部屋に泊まってるか知ってる?」
「はっ?……あ、はい。存じておりますが――」
「そっか、よかった! じゃあ、今日はそこに案内してくれない? 二人がどうやって過ごしてるのか、私も知っておきたいし」
「えっ? お二人のところへ、ですか?……それは、その……。申し訳ございません。ご案内差し上げることはできないのです」
「えーっ、ダメなの!? どーして?」
一応二人は、私の付き添いってことで来てもらってるのに……。
男性と女性で、泊まるところは分けなきゃいけないってとこまではわかるけど。
もしかして、会いに行くことすらできないの?
御所の敷地内では、ずーっと二人とは離れ離れってわけ?
それはないでしょうと思いながら、じぃっと雪緋さんを見つめる。
彼は困ったようにうつむいて、
「どうしてと申されましても……。お二人がいらっしゃるところは、貴人の御側付き専用の部屋でございます。姫様のような高貴なお方が、お立ち寄りになる場所ではございません」
穏やかな口調ながらも、キッパリと言い切った。
私は困惑して、彼を見返すことしかできなかったんだけど――。
この国ではそういうものなのだと言われたら、大人しく従うしかない。
何か問題を起こして、ザックス王国や、お父様に迷惑を掛けるわけには行かないんだから。
「……わかった。二人に会いに行くのは諦めます。でも、だったらせめて――二人がどういう風に過ごしてるのか、それだけでも知りたいの。雪緋さん。悪いんだけど、二人の様子をチラッと覗いてきてくれないかな?」
両手を合わせてお願いすると、雪緋さんはさらに困ったように眉根を寄せた。
「私は帝より、姫様の護衛を申しつかっております。たとえ僅かな間でございましても、姫様のお側を離れるわけにはまいりません」
「チラッと! ホントにチラッとだけでいいの! 雪緋さんが戻ってくるまで、フラフラと歩き回ったりしない! ここでじっとしてる! だから……ねっ? いいでしょう?」
雪緋さんの服の袖をそっとつかみ、彼の目を覗き込むようにお願いする。(まあ、前髪で隠れてるから、どんなに覗き込んでも、キレイな赤い瞳は見えないんだけどね)
最初はためらっていた様子の雪緋さんだったんだけど、しまいにはため息をつき、私のお願いを受け入れてくれた。
「ありがとう、雪緋さん!」
私はお礼を言った後、両手を振って彼を見送った。
雪緋さんが行ってしまうと、再び暇な時間が訪れた。
仕方ない。
彼か萌黄ちゃんが戻ってくるまで、庭でも眺めていることにしよう。
私は廊下に出て、その先にある広めの縁側のような場所に移動した。
縁側と言っても、一応屋根はついている。
そこに座り、私はボーッと庭の木々と澄んだ空を眺めた。
……青い。
今まで見たことがないくらい、真っ青な空。
鳥の声。
風が揺らす木々のざわめき。
暖かな陽の光……。
平和だなぁ。
のどかすぎて、すぐに眠くなってきてしまいそう。
……って、ダメダメ!
一応私も、一国の姫なんだから。
こんな外から丸見えの場所で、だらしない寝顔をさらすわけには行かないわ!
私は意識して顔を引き締め、背筋を伸ばした。
今は先生が近くにいないから、ついつい気を緩めてしまうけど。
常に先生に見張られている――くらいの気持ちでいないと。
「そーよ! シャキッとするのよリナリア! 『壁に耳あり障子に目あり』! いつどこで誰に見られているかわからないんだから!」
ぐっと拳を握り締め、自分に言い聞かせた瞬間。
どこかから〝ガタンッ〟という音がして、私は反射的に音のした方へ顔を向けた。
視線の先にいたのは、萌黄ちゃんだった。
彼女はおびえたような目をして、こちらをじっと窺っていた。
ちなみに、御所は大きな一つの屋敷とかではなく。
幾つかの平屋が、屋根付きの渡り廊下でつながっているんだけど。
萌黄ちゃんは、この部屋のある棟と隣の棟とをつなぐ渡り廊下の、端の方に立っている。
もともと、勝ち気そうな印象の萌黄ちゃんなのに。
こちらをじっと窺っている彼女の顔は、本気でおびえているように見えた。
「あ……。ご、ごめんね萌黄ちゃんっ。驚かせるつもりはなかったんだけど、あの――」
説明しようとしたとたん。
萌黄ちゃんはくるりと向きを変え、隣の棟へと駆けて行ってしまった。
「えっ? なんでそっち行っちゃうの? 御膳を片付け終わったから、戻ってきてくれたんじゃないのっ?」
思わず口に出していたものの。
彼女の姿はとっくに見えなくなっていて、私の言葉は虚しく宙へと吸い込まれた。
「え……えぇー……。私、そんなに怖く見えたのかな? それともまだ、他の仕事が残ってる、とか……?」
腕を組んで首をひねり、萌黄ちゃんが逃げるように走って行ってしまった理由を考えてみる。
だけど、彼女の表情から考えてみても、私に〝おびえて逃げ出した〟ようにしか思えなくて……。
(……マズい。ホントに怖がらせちゃったんだとしたら……今頃は藤華さんに、『あんな怖い人のお世話なんかしたくありません!』とかって、泣きついてるのかも……)
もしもそうだとしたら。
次に現れるお世話係は、萌黄ちゃんではなくなっているかもしれない。
不安に駆られつつ、私は縁側で腕を組み、う~んう~んと考え続けた。