解けない疑念
夕食を終え、萌黄ちゃんがお膳を片付けるため、引き戸を開けて廊下に出ようとすると。
そこには何故かカイルがいて、私と目が合うやいなやひざまずき、頭を下げてきた。
「おくつろぎのところ失礼いたします、リナリア姫殿下。帝と藤華様の命によりまして、本日より、姫殿下の護衛を務めさせていただくことになりました。若輩者ではございますが、精一杯務めさせていただきますので、どうかよろしくお願いいたします」
「えっ!? カイ――っじゃない。翡翠さんが私の護衛?」
「ヒスイは藤華様をおまもりするんじゃないのっ?」
ほぼ同時に驚きの声を上げ、私と萌黄ちゃんは顔を見合わせる。
カイルは頭を下げたまま、先を続けた。
「リナリア姫殿下が我が国にいらっしゃる間は、藤華様には他の護衛がつくこととなりました。リナリア姫殿下は、私と雪緋が、交代制でお護りいたします」
「えっ、雪緋さんも? 交代制……って?」
「リナリア姫殿下が、ゆうげを終えられました後から、翌日の昼までは私が。昼過ぎからゆうげの時間までは、雪緋が護衛を務めます」
「私のゆうげ後から、昼までの護衛を……翡翠さんが?」
「はい」
「ゆうげ後から昼まで、って……。えっ? 夜の間も、ずーーーっと護衛してるってこと!?」
「はい」
「えええええーーーーーッ!?」
私はうろたえ、大声を上げてしまった。
だって!
夜の間もずーーーっと、カイルが側で護衛してるなんて……。
ダメ!
そんなのドキドキしすぎて、眠れなくなっちゃう!
「ダメダメっ! ムリムリムリムリッ!」
「ムリ……?」
「あっ、違うの! ムリってゆーのは、カイ――っ、ひ、翡翠さんが嫌ってことじゃなくて、あの――っ」
このままでは誤解されてしまう。
焦った私は、カイルが嫌というわけではなく、他にちゃんとした理由があるんだと、伝えようとしたんだけど。
(……ダメだ。どう説明すればいいのかわからない。だってまさか、『夜、あなたが側にいると思うと、ドキドキして眠れないから』なんて、言えるわけない)
……そう。言えるわけないんだ。
カイルが〝翡翠〟という別人だなんて、私が少しも信じていないってことを、彼は知らないんだから。
きっと私が、カイルの主張をすんなり信じて、別人だってことを受け入れた――って、思ってるに違いなんだから。
なのに、ここで『あなたが側にいたら、ドキドキして眠れない』なんて言っちゃったら。
カイルは、『顔が同じなら他人であってもいいのか』って、『別の男にドキドキするのか』って、失望するに決まってるもの。
だから言えない。
あなたが側にいるとドキドキするから……なんて、口が裂けても言えないよ――!
そんなことを思いながら、私が黙り込んでいると。
ふいに、カイルが声を落として告げた。
「……承知いたしました。雪緋が護衛する時間帯と、私が護衛する時間帯を、逆にすればよろしいのですね?」
「えっ!? 逆にしてもらえるの!?」
思わず、前のめりで訊き返してしまったら、
「問題ないとは存じますが、私の一存でどうこうできる問題ではございません。一度下がらせていただき、帝と藤華様にお伺いを立ててまいりますので、今しばらくお待ちいただけますか?」
書いてあることを読み上げているだけのような、抑揚のない声で告げられ、私はヒヤリとして息をのんだ。
やっぱり、誤解されてしまったのかな?
たちまち悲しい気持ちになって、すぐには返事を返せないでいた。
でも……。
彼がカイルとは別人だと言い張る以上、私も本当のことは伝えられない。
誤解を解くことは諦め、私は小さくうなずいた。
「はい。そうしていただけると助かります」
「……それでは、しばしお待ちください。至急、お伺いしてまいります」
一礼して立ち上がり、カイルは引き返して行った。
彼の姿が廊下の端に消えるまで見送ると、私は深々とため息をつく。
「絶対、誤解されちゃったよね……」
泣きたい心境でつぶやいたとたん、
「あの――っ。わたしもお膳を片付けましたら、寝所を整えにまいります! それまでお待ちくださいっ」
隣で萌黄ちゃんの声がして、ハッとなって顔を向ける。
萌黄ちゃんは、数秒じいっと私の顔を見つめてから、ペコリと頭を下げ、急ぎ足で廊下を歩いて行った。
寝所を整えに、って……。早すぎない?
まだ、夜になったばかりだけど……。
あ。そっか。
寝所を整えるところまでが、彼女の一日のお務めなのかな?
さっき、彼女達のゆうげはお務めが終わってから、って言ってたもんね。
一人で納得し、私はうんうんとうなずいた。
すると、廊下の端の手前で、萌黄ちゃんがくるりと振り返り、
「あのっ! ヒスイは藤華様のお気に入りの護衛ですのでっ! 必要以上にお近付きになるのは、おやめになった方がよろしーかと思いますっ!」
私に警告するかのように言い放ってから、再び前を向き、足早に歩み去った。
「藤華さんの……お気に入り? カイルが?」
つぶやいて、私は呆然と立ち尽くす。
どうして萌黄ちゃんは、いきなりあんなこと言い出したんだろう?
私がカイルを好きだってこと、気付いちゃったのかな……?
だとしたら、私の気持ちはダダ漏れってことだ。
あんな小さな子にまで、バレてしまっているだなんて……。
自分の未熟さが恥ずかしくて。
私は誰もいなくなった部屋の前で、一人で顔を熱くしていた。