ゆうげの時間
すっかり日も暮れて、私のお腹が鳴り出した。
萌黄ちゃんに聞こえちゃったかなと、恥ずかしさで顔を熱くしていると、当の本人が言った。
「それでは、ゆうげをお持ちしますね。しばらくお待ちください」
ピョコンと立ち上がり、萌黄ちゃんは部屋の外へと向かう。
私は焦って、彼女の背に呼び掛けた。
「ちょっ、ちょっと待って萌黄ちゃん! ゆうげって、夕食のことでしょ? それくらいは自分で運ぶからっ」
萌黄ちゃんはピタリと足を止め、一拍置いてから振り向いた。
「ご自分で? 運ぶ? ゆうげを? リナリア姫殿下が?……何をおっしゃってるんですか?」
妙な生き物でも見つけた時のように、萌黄ちゃんは目を細め、キツく眉根を寄せている。
あ……マズい。
思いっきり、変なヤツだと思われちゃったっぽい?
萌黄ちゃんみたいな小さな子に運ばせるくらいなら、自分で――なんて思って、とっさに言ってしまったけど。
さすがに、自分で運ぶのはダメだよねと、私は即座に反省した。
一応、一国の姫って立場の人間なんだもの。
自分で夕食運んだりしたら、きっと萌黄ちゃんが怒られちゃうよね……。
「えー……っと。ごめんなさい。なんでもないです。あの……よろしくお願いしま……す」
未だに〝姫〟って立場に慣れることができない自分が、恥ずかしくて。
私は体を縮こめながら、萌黄ちゃんを見送った。
萌黄ちゃんが運んできてくれた料理は、私がなんとなく想像していたものよりも、遥かに豪勢だった。
まず感動したのが、ご飯。
白米。白飯。この世界での呼び方はわからないけど、真っ白なご飯があったんだよ! 玄米でもない、ちゃんと精米された真っ白なお米が!(まあ、玄米は玄米で美味しいんだけどね。栄養価も高いし)
向こうの世界(六歳から十六歳までいた世界)と違って、こちらの世界では、もう少し先の世にならなきゃ、真っ白なお米なんて食べられないんだろうなって思ってたから、これは嬉しい誤算だった。(食べてみたら、ちょっと硬めだったけど。普通の白米ってよりは、おこわに近い食感だったかも)
第一、ザックスではパンばかりで、お米なんて食べられないもんね。
お米を食べられたってだけでも、かなりテンション上がっちゃったよ。
しかも、膳の上には、十数品ほどの副菜を漆器に盛ったものが、所狭しと並べられていて。
その中にはなんと、川魚(アユみたいな小さめの魚)の煮付けとか、焼きエビ(大きさは車エビくらい)とか、焼きアワビみたいなものまであった。
後は、お味噌汁のような汁物、ナスやウリっぽい野菜の漬物、ナマスみたいな酢の物、ところてんみたいな物や、干した果物(見た目は干し柿っぽい?)、クルミや松の実みたいなナッツ類とか、いろいろ。
基本的に、味付けはほとんどしていないみたいで。
そのまま食べると、素材の味しかしないんだけど。
手前に塩とか酢とか、醤油と味噌の中間みたいな調味料が置いてあって。
どうやら、それぞれの料理にお好みの調味料をつけて食べるのが、この国では当たり前のことみたいだった。
数々の料理の中でも、私が特に感動したのが、乳白色のチーズっぽい物。
乳白色のチーズっぽい物。その正体は……そう!
向こうの世界にいた頃、私がずっとずーっと食べてみたいと思っていた、古代のチーズとも呼ばれている、蘇! 蘇みたいな物まであったの!
蘇って、牛乳をゆっくりゆっくり加熱して、もともとの量の十分の一くらいにまで煮詰めなきゃ、作れないんだよね。
いつか食べてみたいと思ってはいたものの。
時間も労力もかなり掛かりそうだし、メンドクサかったから、作るのは諦めてたんだ。
それなのに、まさか、その蘇が!
いや……蘇かどうかはわからないけど、それに似たような食べ物が、こんなところで食べられるなんて!
私はウキウキしながら、キューブ型に切られた蘇のような食べ物に手を伸ばし、ポイッと口中に放り込んだ。
古代のチーズって呼ばれているくらいだから、甘いものではないんだろうなって思ってたけど。
意外にも、ほのかな甘さが口中の隅々まで広がって行き、私の心はたちまち幸福感で満たされた。
食感は、ちょこっとモソモソしてるかな?
だけど、口いっぱいに広がるこの優しい甘みが、クセになりそう。
……うん。好きだわ、この甘み。
ガツンと、一気に濃い味が広がるような食べ物は、あまり得意じゃない私にとっては、これくらいの甘さがちょうどいい。
ソ、スキ!
ワタシ、ソ、ダイスキ!
何故かカタコトになってしまうほどに。
この食物は、私のお気に入りのひとつとなった。
「ヤダもうっ。蘇、最高! これなら何個でも食べられちゃう! う~ん……久々に感じる幸福感! 大、大、大満足だわ~~~」
頬に片手を当て、しみじみしていると。
「そーですか。お気に召していただけたのでしたら、よかったです」
まるで私に釣られたみたいに、萌黄ちゃんがニコニコ顔で告げた。
とたんに、ハッと我に返る。
私ったら。萌黄ちゃんの前で、一人でいろいろ平らげては、幸福感に浸っちゃうなんて……。
萌黄ちゃんだって、お腹すいてるに違いないのに。
ホントに私ってば、食い意地張ってて嫌になるわ。
配慮が足りなかったことを恥じ、私はシュンとして萌黄ちゃんに謝った。
彼女は目を丸くして、謝られる意味がわからないというように首をかしげる。
「あの……。どーして、謝ったりなんかなさるんですか?」
「え? どーしてって……。萌黄ちゃんの目の前で、一人であれこれ食べては、ヘラヘラ笑っちゃったりしてたから……。萌黄ちゃんだって、お腹すいてるでしょう? なのに――」
「本日のお務めが終わりましたら、わたしもゆうげの時間です。何も食べられないわけではないです。ご心配いただかなくてもダイジョーブです」
「あ……うん。それはもちろん、そーなんだろうけど……」
何も食べられないだろうと、思っていたわけではなく。
お腹をすかせているに違いない萌黄ちゃんの前で、無神経に食べまくってはヘラヘラしていたことを、申し訳なく思っていたんだけど……。
でも、考えてみれば。
私の食事を見守るのも、彼女の仕事のひとつなんだろうし。
仕事している姿を見て申し訳なく思うなんて、逆に失礼だったのかも。
考え直した私は、萌黄ちゃんに食事のことを訊ねてみた。
「萌黄ちゃんの夕食……えっと、ゆうげはどこでとるの?」
「わたし達のような見習い女官は、ゆうげはくりやでとります」
「くり……や?」
「はい。くりやです」
くりや……。
初めて聞く言葉だけど、たぶん、キッチン……台所ってことだろうな。
「そのくりやで、みんな一緒に?」
「はい。お務めが遅くなってしまったら、一人の時もありますけど。だいたい、ゆうげはみんなそろってとります」
「そっか……。じゃあ、萌黄ちゃんのゆうげの時間が遅れないように、急いで片付けちゃうね!」
私はそう宣言した後。
まだ食べていなかったナッツ類を、次々に口中へと放り込んだ。